くいしんぼー
2月16日――
「ラムー、おなかすいたー」
終末の休日、昼下がりの三時頃。
ラムリーザがリクライニングチェアーでうとうとしていると、さっきまでゲームで遊んでいたはずのソニアが引っ付いてきて、甘えたような声を出した。
「またかよ~、一昨日貰ったチョコレートはどうしたんだよ」
「もう食べたよ~」
リゲルにチョコレートを貰ったのは一昨日だが、もう無くなっているようだ。ソニアは今回は大事に食べるつもりだったようだが、結局はまたしても嗜好品をスナック菓子のように食べてしまったのだ。
「アメは?」
「とっくの昔に無いよ」
そう言ったものの、ラムリーザは例のアメを買おうとするたびにソニアに文句を言われて取りやめにし続けたことを思い出した。
だから、今回は悪戯心が芽生えて意地悪をしてみようと思った。
「それじゃあハッカ飴を買いに行くか?」
そうである。例のアクマ式ドロップスには、色々な味のアメが入っているが、ソニアはその中にあるハッカ飴が苦手だった。だから買いたくないと言っているのだ。
「そんなもの要らない」
「じゃあ我慢しろ」
「ふえぇ……」
一度は突き放してみたものの、悲しそうな顔をするソニアを見ると、つい甘やかしてしまいたくなるラムリーザであった。
ラムリーザは、しょうがないなぁと言いながら、椅子から身を起こした。すると、ソニアはそれだけで嬉しそうに期待の視線を向けるのだ。それが可愛い。
「空腹を解消するおまじないを教えてあげるよ」
「おまじない?」
きょとんとするソニア。実はラムリーザの意地悪は続いているのだが、それに気が付いていないのだ。
「まずお腹をさすってごらん」
ラムリーザに言われた通りに、ソニアは自分のお腹を両手で上下にさする。
「それからさすりながら『おなかかくちい』と三度言ってごらん」
ラムリーザは適当に命令してみるが、ソニアは素直にそれに従った。
「おなかがくちい、おなかがくちい、おなかがくちい」
「どうだい? お腹が膨れただろう?」
「膨れるわけがない!」
悲しそうな顔が、今度は怒りの表情になってしまった。
時計を見ると、まだ昼の三時を少し回ったところで、夕食の準備はまだ始まってもいないだろう。
ラムリーザは、やはりソニアの訴えを無視しようかと思ったが、今日は妙に食らいつく。不満そうに鼻を鳴らして、身体を押し付けるのだ。
よっぽど空腹なのか、今日のソニアは放置できない。
「何か食べに行くか」
仕方がないので、ラムリーザは立ち上がった。屋敷ではまだ食べ物の準備ができていないので、外に食べに行くしかない。雑貨屋にでも行って、何か間食をするぐらいでいいだろう。
「てんぷら」
「え?」
「てんぷら食べたい」
しかしソニアは、がっつりしたものを食べたがった。つくづくてんぷらソニアだなと、改めて実感するラムリーザであった。
三時の食事にしては大きすぎると思ったので、ラムリーザはまた椅子に座ってしまった。
「てんぷら食べに行こうよ!」
こうなるとソニアは止まらない。ラムリーザの腕を引っ張って、持ち上がるわけがないが、引っ張って引っ張って――
「しょうがないなぁ……」
ラムリーザは仕方なく再び立ち上がると、外行きの服に着替え始めた。
ソニアは上はゆったりした服で、下は相変わらずの際どい丈のプリーツミニ。パタヴィアは寒かったが、帝国ではこの時期でも暖かいので問題なく、いつものように生足全開である。
二人は屋敷を出て、歩いて市街地へと向かって行った。これからてんぷらを食べるので、少しでも動いておこうと言うわけだ。
まずは屋敷の庭園を通り抜けて、ゆるやかな山道を下って行ってつねき駅に到着。そこから線路沿いに東に歩いて数十分でフォレストピアの市街地に到着した。
目指すはてんぷら屋、カブトだ。
市街地を十分程歩いて、てんぷら屋カブトに到着した。
「いらっしゃい」
二人が入口の扉をくぐると、店主の元気のいい挨拶が聞こえた。
「領主さんか、こんな時間に珍しいね」
「ちょっとお腹がすいてね」
本当はうそ、ラムリーザは減っていない。「ソニアが」と追加したかったが、あえてしないでおいてあげた。ソニアがくいしんぼうという噂が広がったら、またリリスに槍玉にあげられてしまう。既に広まっている気がするが、それは気にしてはいけない。
二人は並んでカウンター席に座った。こんな中途半端な時間なので、他の客は居なかった。
「今日は何にするのかな?」
「えーと、この天丼ミニサイズ」
ラムリーザは、全然お腹がすいていないので、付き合いという意味で一番小さなメニューを選んだ。このぐらいのサイズだと、晩御飯に影響は出ないだろう。
しかしソニアは――
「てんぷら四つ」
「おまっ――!」
ソニアの注文に、ラムリーザは思わず声を上げてしまった。四つとはかなりの量である。しかも小さなサイズではなく並以上を選んでいた。
「てんぷら四つ乗せてよ」
「二つで十分ですよ」
店主も相手が女性、しかも食事時間ではないということを考慮して、身体を心配してか減らすことを提案する。
二つでも十分多いが、小さなてんぷら二つ、例えば野菜を揚げたものとかなら問題ないだろう。
しかしソニアは――
「んーや、えびが二つ、ちくわ、いかで四つなの」
あくまで四つに固執している。メインならば普通だが、こんな時間に間食でエビが二本とはなんと贅沢なこと。
「二つで十分ですよ」
店主は、ラムリーザと目で会話しながら同じことを繰り返した。
「二つにしなさい」
ラムリーザも、食べ過ぎないように諭す。
しばらくの間、四つと二つの応酬が繰り広げられていたが、ラムリーザの「そんなに揉めるのだったら一つにしちゃおう」の一言で、ようやく二つに落ち着いたのであった。
ラムリーザの前に、小さな器に小さなエビのてんぷらが乗った物が来た。これで満足はしないが、満足してはいけないちょっとした繋ぎの食事なのだ。
ソニアの前には、普通の器に小さめのエビとイカのてんぷらが乗っている。いよいよてんぷらソニアだ、リリスの言うことは間違いない。
それでも、幸せそうな表情を浮かべててんぷらを食べるソニアは可愛いものだ。この表情が好きなラムリーザは、食べる事よりもソニアを見つめることを重視しているのであった。
お腹が別にすいていないラムリーザはゆっくりと、食いしん坊のソニアは普通に食べているので、食べ終わる時間はほぼ同じになった。しかし――
「おかわり!」
あろうことか、ソニアは普通にもう一杯要求したのだ。
「ダメだ」
ラムリーザは、店主を制してこれ以上食べさせないようにする。おかわりでまた二つ食べたら、結局四つ食べてしまうことになる。
店内を見渡しても他に誰も居ない。リリスなどが居たら、明日学校で黒板にでかでかと「てんぷらソニア」と書かれてしまうこと間違いなしだ。
ラムリーザはさっさとお金を払って、ソニアを引っ張って店の外へ出ていった。いつまでも店の中に居ると、てんぷらのいい匂いで食欲を掻き立てられるだけだ。
「十分満足しただろう?」
そのまま今度は市街地ルートを歩いて屋敷を目指しながら話しかけた。
「てんぷら四つ食べたかったのに、二つにされた」
「二つで十分だよ」
ラムリーザも店主と同じようなことを言うのだった。
二人は帰る前にちょっと散歩を、と中央公園ストロベリーフィールズへと向かった。二人はこの公園に置かれている遊具の所に行くのが好きだったが、今日は食べた後なので草原を横断して散歩することにした。
本当は草原に横になりたいのだが、誰が言いだしたのやら食べた後に横になると牛になるという話があるのだ。
ソニアに至っては、既に身体の一部が牛化しているが、そんなことはどうでもいい。
「らむー」
ソニアは、歩きながら身体をラムリーザに摺り寄せてきて甘えた。
「どうしたんだい?」
ラムリーザは、ソニアの頭をなでながら、優しく聞いてやる。
「お腹すいた」
「なんでやねん!」
思わずラムリーザは、ソニアを突き飛ばしてしまった。ソニアは、「ふえぇっ!」と言いながら草原の上に転がった。
ありえない要求に、ラムリーザは驚きつつ少しだけ怒りも沸いていた。そんな悪い子にはお仕置きが必要だ。
ラムリーザは、転がっているソニアの上に、馬乗りになって覆いかぶさった。
「重いよう」
「ダメだ、これは食いしん坊を治す儀式なのだからね」
「儀式って、あたし食いしん坊じゃない!」
ソニアは、ラムリーザにもみくちゃにされながら反論する。草原の上を組み合ったままゴロゴロと転がって、二人の服に草原の芝生がちょっと付いてしまう。
「てんぷら食べたい?」
「食べたい!」
ソニアが食べ物を要求するたびに、ラムリーザは力を込めてさらに激しく草原を転がるのだった。ソニアは抵抗できず、ラムリーザの成すがままにその腕の中に抱かれて転がされ続けている。
「この度し難い食いしん坊めっ」
「だからあたし食いしん坊じゃない!」
「だったらなぜこんな時間にてんぷらを食べたがるんだ?」
「お腹すいたから!」
「それが食いしん坊だと言うのだ!」
そんなことを言っている内に、草原の端まで転がって来てしまった。随分と長い距離を転がったものだ。
ラムリーザは転がるのを止めて、今度はソニアを草原から追い出そうと押し始めた。草原の外は学校のグラウンドのような土と小さな石で成っている通路となっていた。
「やだっ、落ちちゃうよ」
ソニアは抵抗してラムリーザに引っ付こうとするが、ラムリーザはお構いなしにぎゅうぎゅう押し続ける。
「食いしん坊は、固い地面に寝転がって反省するんだ」
「やだっ、草原がいい!」
ラムリーザの腕を潜り抜けて、ソニアは角度を変えて転がった。しかしラムリーザは逃がさず、すぐにソニアを捕まえて転がりだした。
「もう食べないか?」
「食べる!」
「だったら転がって運動しなくちゃね」
「ふえぇっ!」
転がり続けて今度は大きな木の傍まで転がって来てしまった。ソニアは太い木の幹を背にして、これ以上動けない。それでもラムリーザは、再びぎゅうぎゅう押し始めるのであった。
「せ、狭いよう」
ラムリーザに木に押し付けられて、ソニアは文句を言いだした。
「ソニアは隅っこ暮らしが似合っているからね」
「そんな暮らしなんてやだっ!」
「食いしん坊は、隅っこで慎ましく生活しなくちゃね」
「嫌だっ!」
ソニアはラムリーザにピッタリと引っ付いて木の幹から逃げようとするが、それはさらにラムリーザと幹の間を埋める結果となったのである。
「ふえぇ……」
狭すぎて悲鳴を上げるソニア。十分に懲らしめられて満足したラムリーザは、ソニアを離して少し離れて草原に大の字で転がった。
ソニアは少しの間呼吸を整えていたが、やがて落ち着くと、ラムリーザのすぐ傍に引っ付いてきて、一緒に寝るのであった。
余談だが、その夜、ソニアはご飯をお代わりしててんぷらを食べそこなった分を補ったのである。