顔を合わせるたびに煽りあう二人
8月18日――
この日も、ラムリーザとソニアは朝からゲームをしたり演奏をしたり、自由気ままに過ごしていた。
しかしゲームはソニアがなんだかずるいプレイばかりするので、ラムリーザは逃げ出すように早々に切り上げてしまった。その後、ドラムの練習ということで、演奏して遊んでいた。そこにソニアも加わり、歌を歌っていたところ、ふいに部屋の入り口にある呼び鈴を鳴らされ、続いてノックする音がした。
ラムリーザは演奏を止めて、「はい」と返事をする。
「ラムリーザ様、お客様がお越しになりましたよ」
外から使用人の声が聞こえた。誰だかわからないが、客が来たらしい。
「客? やばっ――くないな、十五分――、じゃなくてすぐ連れて来ていいよ」
「かしこまりました」
ラムリーザは立ち上がって、入り口の傍で待機する。
ソニアもギターを置いて、ラムリーザの傍にやってきた。その途中、何を思ったのか、棚に置いてある消臭剤のスプレーを持ち出した。
「今日もこれで証拠隠滅するの?」
ソニアは、ラムリーザに消臭剤を差し出して言った。
「何の証拠を隠滅するんだよ。あぁ、そうだ。それだったらお前の胸元に、しっかりと吹き付けておけ。今日はそれで証拠隠滅できる」
「何でよ! あたし何も証拠残してないよ?!」
「百を隠せるじゃないか」
「ラム!」
「わかったわかった、じゃあ何を隠滅するんだ?」
「ラムのお尻のにおい……」
「お前が何を言っているのかさっぱり理解できない!」
二人でそんなことを言い合っていると、入り口のドアが開いて客が入ってきた。ラムリーザの予想通り、リリスとユコだ。
「これはこれはリリス殿、ユコ殿」
ラムリーザは、芝居がかった口調でもてなしてみた。だがしかし、「こんにちは」と返してくれたのはユコだけだった。
リリスは黙ってラムリーザの近くまで移動すると、周囲を観察でもするかのように見渡した。ひとしきり見渡すと、今度はラムリーザの顔をじっと見てくる。
「何をしていたのかしら?」
リリスは鋭く、そして怪しく輝く赤い瞳でラムリーザをじっと見つめていた。
「えーと……」
ラムリーザは、何もやましくないはずなのに、その瞳で見つめられて返事に困った。その瞳には、まるで吸血鬼の様に何か人を惑わすような力があるのかもしれない。ラムリーザはチラッとソニアの方を見ると、ソニアはなにやら不満げな顔でこっちを見ている。
「まぁ、外から聞こえていたけどね」
ソニアはこの時、リリスの一言を聞いてドキッとした。まさかラムリーザの『百』発言を聞かれていたのかどうか、気が気でなかった。
しかしリリスは、そんなソニアには一瞥もくれずにラムリーザの方にさらに一歩近づいた。その表情は妖艶な笑みを浮かべ、まるで誘惑するような雰囲気だ。
「えっと、今日は何の用かな?」
ラムリーザは、目の前まで近寄ってきたリリスを見て美しいと思った。ソニアが不安がるのは仕方が無いかもしれない。全く、これのどこが『根暗吸血鬼』なんだ、誰だそんなこと言い出した奴は。今でも一部の性格の悪い奴は、そう呼んでいるらしいのだが、その人物の美的感覚を疑う。
「その様子、賢者タイムじゃないわね、くすっ」
「君はいったい何を言い出すんだね?!」
ラムリーザは、リリスに突然突拍子も無いことを言われて焦ってしまった。リリスは、そんなラムリーザを気に留めずに、ラムリーザの頬に手を伸ばしてきて――。
プシューッ
「キャッ、なっ、何すんのよ、この変態乳牛!」
なんとソニアは、突然リリスの顔目掛けて消臭剤を吹きかけたのだった。
「何が変態よ! もうあんたには遠慮しないって決めたから言ってやる! 泥棒吸血鬼!」
「くっ……」
リリスは吸血鬼という呼称に顔をしかめる。根暗吸血鬼と呼ばれていた暗い過去が、フラッシュバックしてしまうのだ。
「吸血鬼と呼ばれるの嫌がってるの知ってたから言わないでおいてあげたけど、この前のライブの日に酷いことされたからもう遠慮してあげない!」
ライブの酷いことというのは、先日のリリス誕生日イベントのことだ。ソニアがラムリーザに捕まってもがいている所を、リリスにマイクを突きつけられて会場全体に変な騒ぎ声を響かせてしまったのだ。
「くっ……、とりあえずラムリーザ、タオルを貸して頂けないかしら」
リリスの顔は、消臭剤でびしょびしょだ。水も滴るいい女?
「ふん、これでメイクも落ちて、色仕掛け攻撃できなくなるね、ざまーみろ」
ソニアは、ニヤニヤ笑いながら悪態を吐いた。しかし、リリスは落ち着き払っている。吸血鬼呼ばわり以外は平気なのだろう。
「フン、生憎だけど私はノーメイクなんですけどね」
なんとリリスは、ノーメイクでこの美貌だった。確かに、ラムリーザから受け取ったタオルで顔をぬぐうが、その前後で何も変わらない。
ソニアは、「なにそれずるい!」と文句を言ってリリスから視線を外した。
「すごいな、そんな美人なのにノーメイクだなんて」
リリスは、ラムリーザに感心され得意げな笑みを浮かべた。
「そうなのよね、素材はよかったんですの」
ラムリーザはユコにそう言われて、そう言えばこのリリス、妖艶なる黒髪の美女はユコによって作り上げられたことを思い出した。メイク技術もユコ直伝と思われたが、その必要はなかったのであった。
「てっきりユコのメイク技術の賜物だと思ってたよ」
「私もメイクしたこと無いんですの」
なんてことだろう、この二人は……、本物の美少女だった。
もっとも、リリスがどれほど美しかろうが、ラムリーザはソニアを十分可愛いと思っていて好きだった。
一方リリスは、ラムリーザを誘惑するのは止めて、ソニアを挑発する作業に移行していた。
「ラムリーザは私の虜。あなた今どんな気持ち? ねぇ、どんな気持ち?」
何を意図してか、ソニアの周囲で足をトントン鳴らして小躍りしながらクルクル回っている。
「うるさい、ちっぱい! ノーメイクだからって、全然すごくない! あたしもメイクしてないし、ラムは顔より胸が大きい方が好みなんだ!」
ソニアは、悔しそうに叫びつつ、さりげなくラムリーザの嗜好を決め付けるようなことを言ってくる。
「確かにあなたは、顔より胸が大きいわね、くすっ」
「胸が顔より小さい吸血魔女は黙れっ!」
「いや、何だか言葉がおかしいし、ソニアも十分可愛いから僻むなって。あと、おっぱいがどうのこうの言うは止めような。いくらお前がひゃ――っだからな、いかんぞ」
思わず『バスト百』について話しそうになったが、ギリギリの所で押さえつつ、ラムリーザはソニアをフォローする。可愛いと思っているのは事実だから、何も取り繕った台詞ではない。
「で、『ソニアがひゃっ』て何かしら、まあいいわ。どうせソニアは厚化粧しているのでしょうし」
リリスは細かいところまでよく聞いている。だからラムリーザは誤魔化すために、次はフォローになっているのかどうか微妙な事を言ってしまった。
「いや、こいつがメイクするような女に見えるか?」
実際のところ、ラムリーザの言うとおりメイクはしていないのだ。それどころか、朝ラムリーザに言われて、しぶしぶ顔を洗う程のズボラぶり。それでいて十分可愛いのだから、世の中不公平である。
「えっと、それで今日は何の用?」
ラムリーザは、再び同じ質問をした。それが聞きたいだけなのに、どれだけ遠回りさせられたのだろうか。
リリスは、「今日はこれ」と言って、一冊の雑誌を取り出した。ソニアが「ゲーム雑誌?」と尋ねると、「ファッション雑誌」と答える。するとソニアは、すぐに「いらない」と言って顔をそむけた。
「えっと、ソニアの服を選ぶのかな?」
「いいえ、今日は靴よ」
「靴?」
「あれ? 自動車教習所行きのバスの中で、ソニアの靴選んでって言ってなかったかしら?」
そこでラムリーザは、そんなことも頼んだな、と思い出した。帝都の実家に帰っていて、すっかり忘れていた。だがソニアは、興味無さそうだ。
「いらない」
「いや、いらないじゃなくて持とうよ。お前はサンダル以外の普段靴持ってないじゃないか。カジュアルなの持とうよ」
「ソニアは普段、黄色い長靴で十分だとおもうわ。園児みたいですもの、くすっ」
「なっ、なにおぅ?」
リリスはからかい続ける。吸血鬼呼ばわりされたので、今日は容赦ない。
「雑誌で選ぼうと思ったけど、せっかく休みだし隣町のエルム街まで買い物にでかけましょう」
「えーと、それは僕も行くってことになるのかな?」
「荷物持ちをお願いするわ」
「まぁそのぐらいだったらいいかな」
リリスの提案に、ラムリーザは快く応じた。家の中に居ても、どうせほとんどゲームで過ごしてしまうのだから、こういった機会がある時はどんどん出掛けよう。
「この雑誌はあげるから、服とか選ぶといいわ」
「どうやって選ぶのよぉ」
ソニアはおもしろくなさそうに呟いた。胸が大きく成長しすぎたために、今まで持っていた服がほとんど着られなくなってしまったのがあって、服を選ぶのが面白くなくなっているのだ。
「そうねぇ、マタニティドレスとかなら、とりあえず普通に着られるんじゃないかしら、くすっ」
「ふっ、ふえぇ……」
リリスの途切れることの無い言葉攻めに、ソニアはとうとう涙声になってしまった。
「はいリリス、そのくらいにしておいてあげようね」
ラムリーザに制されて、リリスは「今日はここまで」と言って、舌を出して微笑んだ。
「さあ、行くわよ」
リリスはそう言って、ソニアの手を引っ張って連れ立っていこうとした。
「やーん、いらないよぉ」
ごねるソニアの背中を押しながら、ラムリーザも一緒に部屋から出て行くのだった。
そんなわけで、四人で隣町まで買い物に出掛けた午後の時間でしたとさ。