夏休みの終わりに
8月30日――
気がつくとラムリーザは、見たことも無い所に居た。
周囲は薄暗く、草木も生えておらず、無機質な岩が転がっている。空は暗く紫がかっていて、所々に赤い雲が浮かんでいる。
この様な場所で、ラムリーザは一本道をひたすら歩いていた。
後ろを振り返っても、同じ景色が続いている。
いつどこからここに来たのか分からなかった。
他にできることも無いので、道を進んでいくしかなかった。ただ、どれだけ歩いても不思議と疲れはない。
ここはいったいどこだろう? なぜこんな所に自分は居るのだろう?
どれだけ考えても、なにも分からなかった。
しばらく進んでいくと、左手に川が見えてきた。どんよりと濁った水が流れている。
このまましばらく、川に沿って歩くことになった。
そのうち道は、何故か川の中に入っていくような形になって途切れていた。元々は橋でも架かっていたのだろうか?
ラムリーザは、このまま道なりに進んで川に入ったものかと考えた。しかしすぐに、ここがどこか分からないのに無理をする必要は無いという考えに至って、水辺にたたずんだ。
ふぅ、一つため息をついて周囲を見回すと、道から離れた川岸に一軒の小屋が建っていた。
そこで、道を外れてその小屋に行ってみることにした。木でできた小屋で、その小屋だけが周囲の雰囲気と違って、ごく普通の雰囲気を醸し出している。
入り口にたどり着いたラムリーザは、とりあえずノックしてみたが反応は無いようだ。そこでドアを開けようとしたが、鍵がかかっているのか開くことは無かった。
入り口脇に木でできたベンチがあったので、ラムリーザはそこに腰掛けてしばらく様子を見ることにした。
しかし頭に浮かぶのは、ここはどこかということと、自分一人だけなのかということだけだった。
それからしばらくの間、ラムリーザはベンチに腰掛けたまま、ぼんやりと川の流れを見ていた。向こう岸はもやがかかっていて良く見えない。
よく見ると、時折人が道を歩いている。どうやらこの世界に自分一人というわけではないようだ。
歩いてくる人は、みんな道に沿って川に入っていく。しかし泳ぐ風ではなく、そのまま歩いて沈んでいく感じだ。
それを見ていると、ラムリーザ自身も川の中に入るべきなのかな? と思うようになった。
しかし、入ったら二度と出られないような気もするのであった。
その時、唐突に頭の中に声が響いた。
「ラムリーザ、だね?」
誰だ?
ラムリーザは周囲を見渡す。しかし、呼ぶ声は右からでも左からでもなかった様な気がする。それをあえて表現するとしたら、頭の中に直接聞こえたと言えるかもしれない。
ラムリーザは立ち止まり、少しの間様子を覗っていた。
「こっちだよ」
「えっ?」
声の主が突然目の前に現れて、ラムリーザは驚き一歩下がる。あまりにも一瞬過ぎて、何故そこに居るのかわからない。
ラムリーザは正面を見ていた。しかし、少しの間何気なく目を逸らし、再び正面を見た時に、何の前触れも無くそこに居たのだ。
「えっと、誰だろう?」
しかしラムリーザは、何故か恐怖は感じなかった。まるで敵ではないと思い込まされている様な、不思議な感覚だった。
「僕の名前はピピレピさ」
「ピピレピ?」
ピピレピと名乗った者は、子どもの様に見えるが、青年の様にも見える。それだけではなく、見た目、声と共に男性の様にも女性の様にも見える。一言で言えば、あらゆる分野において中性的と言えるだろう。
もしも神の様な存在が居るとしたら、ピピレピの様なものかもしれない。
ラムリーザが立ち止まったままでいると、ピピレピは近くまで歩み寄った。
「僕は君が気に入っているんだよ」
「はあ……」
「折角の機会だから、君に特殊能力を与えてあげよう」
「特殊能力? それはどういうものですか?」
ラムリーザの問いに、ピピレピと名乗った者は、いたずらっ子のような表情を浮かべる。
「ほら、無条件勝利とか、他人の心を支配できるとか、いろいろあるじゃないか」
「そういうものですか……」
ラムリーザはここで、このピピレピという存在は、神に近いものだと感づいた。
しかしよく考えた結果、この誘いは一見魅力的に感じるが、同時につまらない物だと思うに至った。
神に与えられた力で大成しても、神の力に頼っただけ。自分の力で大成したいではないか。
だからラムリーザは、ピピレピに「そのようなものは要らない」という旨を伝えたのだった。
「ふ~ん、ますます君に興味を持ったよ」
ラムリーザが断ったのに、ピピレピは楽しそうだ。
「じゃあこうしよう。君の願いを三つ聞いてあげるよ」
それを聞いた瞬間、ラムリーザはこれは悪魔の類ではないかと警戒する。
「何もしないから、そんなに怖がらなくていいよ」
「それでは――」
ラムリーザは、曲解されても被害が出ない願いを述べることにした。
「人々が皆幸せになりますように、未来に希望がありますように」
「ふむふむ、それと?」
「三つ目の願いは、無し」
この願いには、あまり意味はない。もしも三つの願いを叶えた後に、魂を取られる場合の対策だ。つまり保留にすることで、願いを終わらせない――とも取れるし、いろいろ考えられる。
「なるほど、君の願いは分かったよ」
「世界が平和になるかな?」
「君次第かな、僕は聞いてあげただけだからね」
そう言って、ピピレピは楽しそうに笑った。
ラムリーザは、肩透かし半面、がっかり半面だ。しかし、確かに聞いてあげると言ったのは事実だから、文句を言うわけにもいかない。
「僕はこの先、君や君の仲間たちに、手助けをしたり試練を与えたりするよ。でも君なら僕の力を借りることなく、自分の力で解決するだろうね」
ピピレピは、なんだか自分のおもちゃで遊んでいるかのような、無邪気な笑顔を見せている。
「それって――」
ピピレピはラムリーザの言葉を遮り、
「さあ、目覚めるときだよ」
周囲は段々白く輝きだし、
「どうしても助けが欲しい時は、僕の所に万物創生の書を持ってきてごらん」
気がつくと、ラムリーザはいつも寝ている下宿先の自室にあるベッドの上に寝転がっていた。
どうやら昼食後にゴロゴロしていたところ、昼寝をしてしまった模様。ソニアは相変わらず格闘ゲームに興じている。
「あ、起きてきた」
ソニアは、ラムリーザが起きたのに気がつくと、ゲームを中断して近寄った。
「昼食後は昼寝だろう?」
「何それ幼稚園みたい」
幼稚園児みたいなソニアに言われたくない、とは返さない。
「リリスから電話があって、よい夢が見られましたか? って聞いてきたよ」
「何っ、それはマズい」
慌てて連絡を取ろうとするラムリーザを、ソニアは邪魔する様に抱きついてきて、
「うそだぴょ~ん」
「ホントか?」
「そうだよ、電話なんて無かったよ」
といった感じに、いちゃついているだけになった。
実際のところ、ラムリーザの携帯端末には着信が無かったし、ソニアが通話したのなら、ラムリーザの件は社交辞令だろう。
「ところで、どんな夢を見ていたの?」
それでもソニアは、ラムリーザの見た夢が気になるようだ。普段は聞いてこないのに、リリスの話として適当に言ってみたことで、ついでに聞いてみようと考えた気まぐれだろう。
「どんな夢だったかなぁ?」
ラムリーザは、思い出してみようと、先程見てきた光景を頭の中に浮かばせてみた。
「確か、薄暗い野道を歩いていたと思う。大きな川も流れていたかな」
「夜の庭みたいなところ?」
ソニアが言うのは、帝都にある屋敷の庭園のことだ。
「そうかなぁ? でも、何故かその川を渡ってはいけないような気がしたかな」
「なんで?」
「二度と戻って来られないような気がして」
ラムリーザは、自分で言ってみて、なんだか背筋が冷たくなるような気がした。
「それって、現世と死者の世界を隔てている話みたい」
「怖いこと言うね」
ソニア自身は、想像で言っただけだから、気にしていない様だ。
「まぁ、国境を流れる川を見てきたから、そんな夢を見たのだろうね」
確かに、夢とは現実に見たことがデタラメに出てきていると聞く。逆に、知らないことは出てこないのだ。
「それで、川で何をしたの?」
「ん~、そのまま周囲が明るく真っ白になって、気がついたらソニアが居たよ」
「ふ~ん」
ラムリーザは、その時に何故か「万物創生の書」という単語が頭に浮かんだ
それは何だろうか?
しかし、どれだけ考えても、それが何なのかわかることはなかったのである。
「あ~あ、夏休みも今日で終わりになっちゃった」
ソニアは、だるそうに呟いた。
「始まりがあれば終わりがあるもの、また来年の夏休みを楽しみに待っているんだな」
「む~ん……」
「学校も楽しいじゃないか」
「胸が入らないブラウス嫌い、長い靴下嫌い」
「ぴちぷにょができるのに?」
「やだ!」
「わかったわかった」
ラムリーザは、ソニアの機嫌を直してやるために、格闘ゲームの対戦を引き受けるのだった。
そのおかげでソニアは気をよくしたが、寝る前にまた愚痴ってくるのであった。
その時はどうやって元気付けたかは謎ということで、夏休みも今日でおしまい。明日からまた学校だ。
「ラムリーズ」としての初めての夏休みは、こうして終わったのである。
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