ずっと私の一番でいて
9月19日――
昼休み、ラムリーザとソニアの二人は、特に何もすることがなく、グラウンドを見渡せる位置に来て、なんとなく周囲を眺めていた。
今日は、男女数人のグループが居て、ドッジボールで遊んでいる。
普通の男女混合なら、女子は勝負にならないだろうが、男子に混ざって遊ぶような娘だ。アクロバティックにボールをかわす娘や、男子顔負けの力を見せる娘が参加しているようだ。そして逆に、ヒョロガリ男子は押されている。
「ドッジボールかぁ、そういえばあまりやらないね」
ラムリーザは、何気なくつぶやいた。小さい頃はよく遊んだものだが、ポッターズ・ブラフに来てからはやった記憶が無い。知り合いが少ないので、仕方がないこともあるが。
「あたし、ボールをうまく受け止められないからやりたくない」
ソニアはおもしろくなさそうに言った。それを聞いてラムリーザは、ソニアの身体能力は低くなく、むしろ高い方だが、球技はダメだったっけ? と思い返してみた。
「それじゃあ練習あるのみだね」
ラムリーザはグラウンドに降り立つと、倉庫からボールを取り出した。そしてソニアの方へ、軽めに投げてみる。
ソニアは、腕を前に突き出して、手首から先だけを使って挟み込むようにして受け止めた。
「あー、それだと危ないよ。指に当たったら突き指してしまうかもしれない。ほら、投げてごらん」
ラムリーザは、ソニアが投げ返したボールを、抱きかかえるようにして受け止めた。
「見たかい? こうやって身体を使って受け止めるんだ。じゃあ次は少し強めに投げるよ」
言ったとおりに今度は少し強めに投げてみる。
ソニアはラムリーザが見せたやりかたと同じようにしてボールを受け止めようとしたが、ボールは突き出た大きな胸に当たってしまった。それで変な方向に跳ね、ボールはソニアの腕をすり抜けて落ちてしまった。しかもソニアは、ボールがぶつかった胸が痛いのか、両手で抱えて顔をしかめている。
「あ、ひょっとしておっぱいのせいだった?」
ここでラムリーザは、ソニアがドッジボールをやりたくない理由がわかった。要するに胸が大きすぎて、ボールを受け取るのに邪魔なのだ。
「こんな胸、もう嫌!」
またソニアがやけを起こしそうだ。
ラムリーザは、ボールを倉庫に投げ込むと、急いでソニアの元へ駆け寄った。こんな時、ソニアはいつも胸を引きちぎろうとするのだ。だからとりあえずその場を繕って慰めておく。
「まー、それはそれでいいさ。僕は胸が大きければ大きいほど好きだから、ソニアを見ていたら他の女の子に目移りしないよ」
「えっ、ほんと?」
ソニアはうれしそうに目を輝かせたが、実際のところラムリーザは、この春にソニアの身体測定の場に居合わせるまで、胸のことを意識したことは無かった。
「リリスより?」
「そこでなぜリリスの名前が出てくるのかな? リリスより大きいだろ?」
ラムリーザのその言葉に、ソニアは調子を取り戻して得意げになって口走った。
「ふっ、ちっぱいめ」
「はい、人を見下すのはやめようね。おっぱいの大きさで優劣を競っても、なにもならないよ」
ラムリーザの言葉は、先ほど言った「大きければ大きいほど好き」とは異なるものになっていた。しかし、ソニアはそこまでは気が回らなかったようだ。
ラムリーザは、ソニアの肩に手を回し、グラウンドの外周にあるフェンスに沿って散歩し始めた。
そういえば屋上や裏山に行くことは多くても、体育の時間以外でグラウンドに来るのは初めてかもしれない。
しばらくの間、二人はグラウンドで遊んでいる生徒を尻目に、歩き続けていた。
気がつくと、鉄棒の傍まで来ていた。グラウンドをぐるっと半周したことになる。
鉄棒を前にして、先日の体育の授業を思い出していた。
「懸垂勝負する?」
ラムリーザの一言に、ソニアは面白くなさそうに答えた。
「また? 脳筋ラムには勝てないよ」
「ではその脳筋よりテストの点数が悪いお前は何だ?」
「ふーんだっ。……あ、そうだ」
ソニアは何か面白いことを思いついたかのように、軽く笑みを浮かべて振り向いた。
「あたしが抱きついた状態で懸垂してみて」
「なんだそりゃ」
ソニアは、ラムリーザの返事を待たずに、前から抱きついた。腕を首に回し、足を腰に回してぶら下がっている。巨大な胸をラムリーザに押し付けることになるが、そこは気にしなくてもよい。
「なんだこのだっこちゃんは、仕方ないな」
ラムリーザは、ソニアを前にぶら下げたまま鉄棒に飛びついた。
「ん、これは重いな」
「重い言うな!」
「何も5kgが重いとは言ってないよ」
「5kg言うな!」
そう言ってソニアは、怒ったように足を締め付けるが、ラムリーザはそれほど苦しくはならない。
しかし、5kgは冗談だとしても、合計100kg以上の重さを腕だけで支えているのだ。これはなかなかきつい。
「それじゃあ、行くよ」
ラムリーザは腕に力をこめて、グイッと身体を持ち上げた。
ゴン!
その瞬間、鉄棒に鈍い音が響き渡る。
「痛い!」
ソニアは悲鳴を上げる。ラムリーザの前に引っ付いていたので、鉄棒に頭をぶつけてしまったのだ。
「あ、ごめん。大丈夫か?」
「ラムの馬鹿!」
「いや悪かったって」
「ふえぇ……」
「しょうがない奴だな、痛いの痛いの飛んでいけー」
ラムリーザは、ソニアの頭を撫でながらおまじないをする。しかし、元はといえばソニアが不用意に前にしがみつくからだ。全面的にラムリーザが悪いわけではないはずだ。
「あたし子供じゃない!」
「そうか、大人なら我慢しようね」
「むー……」
ソニアは不満そうに口を尖らせて呻くと、今度は後ろからラムリーザの背中に飛びついた。
「おんぶかよ」
そういえばソニアをおんぶすることってあまりなかったな、とラムリーザは思う。前回は、確か機関車から降りられなくなったときにおぶって降りたっけな。
大きな胸が押し付けられている感触は……、うむ、面白いことになっている。
「ラム、何をぼんやりしているの? はやくこれで懸垂してみてよ」
「おっと、そうだな」
ラムリーザは、ソニアをおぶったまま鉄棒に飛びつき、今度こそ普通に懸垂を始めた。
「どう? きつい?」
「ん~、まあまあ?」
「なによ~、もっと苦しそうにしてよ~」
「そ、そうか? それじゃあ……、ふっ、ふえぇ」
ラムリーザは少し考え、ソニアが緊急時に発する台詞を言ってみた。
「なにそれ?」
「……困った時に、よく言ってるじゃないか」
「あたし知らないよ?」
「…………」
どうやらソニアの「ふえぇ」は、無意識のうちに発しているらしい。
しかし、ソニアをおぶっての懸垂はさすがにきつい。七回ぐらいで腕が疲れてきたので、ラムリーザはあまり無理をせずに十回で終わらせることにした。
「十回ね、さすがにこの重さだとこんなものか」
ラムリーザが疲れた腕をさすっていると、ソニアは何故か得意げになって言った。
「あたしはこの前十二回できたよ? ラムは十回しかできないの?」
「お前なぁ……」
さすがにラムリーザも呆れる。それならば、とソニアの後ろに回って、腰をはさんで持ち上げながら言った。
「それじゃあ今度はソニアがやってみよう」
「えっ? あたし?」
ソニアは持ち上げられて鉄棒を握りながら聞き返す。ソニアが鉄棒を握るのを確認してから、ラムリーザはソニアの腰にぶら下がってみた。ラムリーザが地面から足を浮かせた瞬間、ソニアは悲鳴を上げる。
「ちょっ、ちょっとこれ何?! おっ、重っ……」
「ほら、懸垂開始、はい一回~」
「こっ、こんなの無理だよぉ!」
「僕は十回やったよ」
「ふえぇ……」
結局ソニアは一回もできずに、鉄棒から手を離してしまった。
「はい、僕は十回、ソニアは何回?」
「ふんだっ、ラムが重すぎるのが悪いの! デブ!」
「お前なぁ、胸囲はお前のほうがでかいだろ?」
「ウエストはあたしの方が細い!」
「尻は?」
「尻は知りません」
何故か丁寧語で反論するソニアを、ラムリーザは抱き寄せて頭を撫でながら、しばらくグラウンドを眺めていた。
グラウンドでは、遊んでいるグループの他にも、何組かのカップルが散歩しているようだ。
「ソニア、お前はなんでそんなに可愛いんだ」
グラウンドを眺めるソニアの横顔を見て、ラムリーザは自然とつぶやいていた。
「えっ?」
ソニアはびっくりしてラムリーザの目を見つめる。しばらく見つめあった後で、さらにラムリーザは言った。
「そんな可愛い顔で僕の顔を見つめて、お前は僕を誘惑する気か?」
「な、何? あたし、そんな事っ……」
「いったいどういうつもりだ? 僕を誘惑してどうしようと言うんだい?」
「そんなリリスみたいなことしないよ」
ソニアがリリスの名前を出したので、ラムリーザは話題を変えることにした。自分が「誘惑する」などというまるでリリスを思い起こさせるような言葉を使ったため、ソニアは不機嫌になったようだ。
「それはそうと、ソニアは本当に可愛いよ。他の人にも言われないかい?」
「あたし知らない。みんな胸ばっかり見てる。可愛いって言ってくれるのラムぐらいだよ。リゲルなんか冷たい事ばかり言うし……」
リゲルか……。リゲルも過去の傷が癒えたら、ソニアにもっと優しく接してくれるかもしれない。ラムリーザは、こればかりは時間が解決してくれるのを待とう、と考えた。
「おかしいなぁ、こんなに可愛いのに。ひょっとして他の男子と話したこと無い?」
「無いよ」
「ダウト! とまぁそれはどうでもいい。しかしもったいない、何で話をしないの? 去年まではジャンとかいろいろな男子と普通に話していたじゃないか。ソニアのこと好きだって言ってくれてる人も居るんだよ」
六月にソニアを一日だけラムリーザから借りようとして撃沈したクルスカイのことだ。他の男子生徒とも、話ぐらいはしてやってもいいものだ。
「そういうの困るの!」
しかし、ソニアは突然大声を張り上げて非難した。
「もし他の男子といろいろ話して、もしラムより素敵だって人が出てきたらどうするのよ!」
「それは……、どうしようかねぇ」
そんなのたくさん居るだろうに、と思いながらラムリーザは返事に困った。
ラムリーザがはっきりしないので、ソニアはさらに言葉を続ける。
「あたしはラムが好きなのよ。だから他の男と付き合うなて考えられない。あたしだってわかってる、ラムと同棲しているのが普通じゃない、特別なことなんだって。それに今の屋敷に住ませてもらっているのも、ラムの恋人だからってのもわかってる。でもそんなのたまたまラムの家がそうだっただけで、あたしはラムさえ居てくれたらそれだけで満足! たとえ無人島で二人きりになったとしてもこの気持ちは変わらない!」
その叫びは、ソニアの中に渦巻いている不満を吐き出したようなものだった。ソニアは能天気に過ごしているようで、実はその優雅な暮らしがラムリーザによってもたらされた物だということを理解している。けれども、ソニアにとってのラムリーザは、それが全てではなかった。
以前ラムリーザは、母にソニアと付き合うことに関して駆け引きみたいなのを持ち込まないで欲しいとは言ったものの、実際はソニアは現実にがんじがらめみたいな感じになっている。
だからラムリーザは、ソニアが自分以外の男と付き合うようになっても問題なく暮らしていけることを説明してやった。
「もしも僕から離れたとしても、その時は母に頼んで学生寮に入れてあげることぐらいはできるよ。だから気にしなくていい」
「やめてよそんな話!」
だからソニアはさらに語気を強めて非難する。今にも泣き出しそうだ。
そんなソニアを見て、ラムリーザは慌てて慰めの言葉をかけることになった。
「ごめんよ。でも僕はソニアに幸せになって欲しいと思ってるんだ。これは前にも聞いただろう? だから、僕以上にソニアを幸せにできる相手が出てきたら、いろいろとサポートするよ」
「それでいいの?」
ソニアの問いに、ラムリーザはきっぱりと答える。
「よくない。僕はソニアが一番だから、手放したくない」
「だったら! 他の男に負けない素敵な男でいて! ずっと私の一番でいて!」
「任せておけ……」
ラムリーザはうつむいたソニアの肩に手をまわして抱きかかえ、他の人から見られるのを隠すようにグラウンドを背にして、こっそりとキスをするのだった。
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