南国エルドラード帝国を襲った異常気象
1月27日――
その日の朝、目覚めた時、ラムリーザは氷の中にでも居るのかと錯覚した。
とにかく部屋の中が異様に寒い。
窓の外の風景にも違和感を感じた。妙に白く輝いている。
ラムリーザは、布団から這い出るとともに身震いした。
絨毯の無い床の部分は、これまた氷の板の上に立っているかのように冷たかった。
「何だこれは?」
つぶやくと同時に吐く息が白く曇った。この現象も、ラムリーザにとっては初めて見る光景だった。
気になる外の景色を見るために、バルコニーに面した窓へと近づいた。そして、外を見た瞬間、ラムリーザは絶句した。
あたり一面真っ白、空からも白くふわふわしたものが舞い降り続けていた。
「まさか、これが雪か?」
ラムリーザにとって、これが生まれて初めて見る雪景色だった。
バルコニーに出ようとしてガラスドアをスライドさせて開けた瞬間、外から猛烈な寒気が襲いかかってきた。
「うっ、これはやばい……」
すぐにドアを閉めて、寒気を防いだが、部屋の温度はさらに下がってしまったようだ。
ラムリーザは、寒さをしのぐために寝衣からすぐに普段着へと着替えた。それでも足りなかったので、二枚重ねで服を着込んだりしてみた。
南国エルドラード帝国を襲った異常気象だった。
雪が降るのも百年に一度あるかないか、それが今年起きてしまったのだ。
交通はおろか、外に出るのも危険と判断され、朝早くからまるで戒厳令のような外出禁止令が発布されたほどだ。
年中温和な南国ゆえ、寒さに対する対策は行き届いておらず、それは今ラムリーザが下宿している屋敷でも同様だった。
ラムリーザは、廊下に面している扉を開けてみたが、廊下は部屋よりもさらに冷え込んでしまっていた。
「これは、朝食の準備どころじゃないな?」
この寒さでは屋敷の使用人も、さぞ縮こまっていることだろう。
仕方が無いのでラムリーザは、扉を閉めて部屋に閉じこもることにした。他にやることも無いので、テレビを付けてみる。
テレビのどこのチャンネルでも、異常気象についての話題で持ちきりだった。くれぐれも外に出ないでくださいなどと、熱心に呼びかけている。どうやら学校関係は全て休校になっているようだ。
ラムリーザは、テレビに言われなくても外に出るつもりは無かった。
「しっかし、これはきついな……」
ラムリーザがどうしたものかと考えた瞬間、「寒いよう!」という悲鳴が部屋の中に響いた。
びっくりして振り返ると、ソニアが寝衣のままガクガクと震えながら立っていた。
「その格好だと寒すぎるだろ、早く着替えるんだ」
そう言って、ラムリーザは再びテレビ画面へ視線を戻した。
しかしすぐに、「まだ寒いよう!」と泣きそうな声が響いた。
ソニアに言われなくても、部屋の中までまるで冷蔵庫の中に居るような寒さだ。
ラムリーザは、ソニアの方を振り返って眉をひそめた。
「いや、その格好は無いだろう?」
ソニアは、上半身は温かそうなふわふわニットを着ていて、大きな胸が強調されているが、下半身がいつもと同じ、際どい丈のプリーツミニスカートに素足だ。
「ラム、助けて……」
「助けてじゃなくて、長ズボン履こうよ。それか、厚手のタイツとか無いの?」
「どっちも無い!」
力強くドヤ顔で主張されても困る。
「せめて靴下履け、あそうだ、学校に履いていってるやつ履いたらいいじゃないか」
「靴下嫌い!」
「いや、好き嫌い言ってる場合じゃないだろう?」
寒さに我慢しきれなくなったソニアはラムリーザに抱きついた。しかしラムリーザは、ソニアに抱きつかれたまま無理やり靴下を履かせた。
制服のサイハイソックスは、太ももを覆ってくれるので寒さから足を守ってくれるだろう。
その時、ラムリーザの部屋をノックする音がして、使用人が入ってきた。使用人も服を着こんでまん丸になっている。
「ラムリーザ様、現在朝食と風呂の支度をしております。この寒さは、風呂に浸かってしのぐとよいでしょう」
「宜しくお願いします」
幸い水道管は凍っていないらしく、お風呂は使えるようだ。お湯に浸かれば、冷え切った身体も温まるだろう。
一方、寒さを和らげることのできたソニアは、携帯型情報端末キュリオをいじって何かをしている。
すぐに、ラムリーザのキュリオがメールの着信を示すメロディを奏でた。
ラムリーザが画面を覗いてみると、ソニアからのグループメールで「寒いよ、助けて」という内容が投稿されていた。
「いや、わざわざメールしなくても、口で言えばいいじゃないか?」
「ラムだけじゃなく、みんなに言ったの」
ソニアがどういう思惑でみんなに通信したのかは不明だが、すぐにメールの受信を示すメロディが鳴った。
投稿者:リリス
本文:上は服を重ね着して、下は長ズボンとタイツを重ね着してたら平気
「ほらみろ、リリスだってそうじゃないか。なんでお前はズボンとかタイツ持ってないんだよ」
「だってそんなもの要らないんだもん」
「要らないって……、こういう時にどうする――」
そう言いかけて、ラムリーザは言葉を止めた。
こういう時と言うが、そもそも今日のような事自体が百年に一度あるかないか、ひょっとしたら生きている間に体験できない可能性がほとんどな事例なのだ。
そんなことに備えていないからと言って、非難できるとは言い切れない。もちろん備えていることに越したことは無いが。
とりあえずリリスの生存確認ができたことはよしとしよう。
またメールの着信が入り、ソニアがしつこく「寒い、寒い」と打ち込んでいる。
リリスからの返信は、「ホットミルク温かくてウマー (⌒p⌒)」だった。ソニアの悲鳴を聞くつもりは無いらしい。聞いたところでどうしようもないので、そこは咎められないが。
さらにしつこくソニアが「寒い」をメールで連呼するので、リリスは「どうせいつもの超ミニスカ姿なんでしょ? ミニスカ履けばいいってもんじゃないのよバーカ(・∀・)ニヤニヤ」と返事が返ってきた。ご名答。
それに対してソニアは、「だってそれしかないんだもん」と自慢にならないことを返していた。
その時、また別の着信が入った。
投稿者:リゲル
本文:雑談にいちいちグループメール使うな、うざいぞお前ら
これまた正論。メンバー全員に寒いと訴えるソニアは、どうやら寒さで冷静な判断ができなくなっているのだろう。普段から冷静か? と言われれば、反論し難いが。
とりあえずラムリーザは、「リゲルも無事なようだな、生存確認了解」と打ち込んで、フォローしておいた。
リゲルは、「とりあえずうっとーしいからグループメールからログアウトしておくぞ」と送信してきたが、ロザリーンの「それは困ります」という通信が入ってきたので、ログアウトは思い留まったようだ。
「ロザリーンも生存確認了解」
ラムリーザはそう打ち込んで、ユコからの通信がまだ入ってこないなと思った。
次の着信も、ソニアからの「寒い死ぬ」との内容だった。
ラムリーザはちょっと心配になって、「ユコは生きてる?」と打ち込んでいた。
投稿者:ユコ
本文:へんじがない ただのしかばねのようだ
ラムリーザは、短く「了解」と送信した。
ユコは「突っ込んでよ!」と非難のメールを送ってきたが、ラムリーザは「寒くてそこまで気が回らない」と返しておいた。
そろそろいいかげんにしておかないと、リゲルが文句を言ってきそうだ。
だがその前に、ユコからの非難が飛び込んできた。
「その寒いはどっちに対して? ネタ? 気温?」
ラムリーザは、両方に対して寒いと思ったことにしたが、めんどくさいので返信はしないでおいた。
だが、メールとはいえそれに集中していると、気が紛れて寒さも和らぐような気がした。
次に飛び込んできたメールは、送信者を除く全員が眉をひそめる内容だった。
投稿者:リゲル
本文:うん、リゲルは平気だヨ!お前も風邪引かないように暖かくしているんだぞ(`・ω・´)b
何だこれは? とラムリーザは思った。
一人称が名前だとか、語尾とか最後の顔文字とか、リゲルらしからぬ突っ込み所は満載のメールだった。
ラムリーザは、「リゲル?」と打ち込んで問いかけてみた。
リゲルからの返事は、ただ一言「バグった」だけだった。
グループメールがバグるなんて話は聞いたことが無い。むしろ、リゲルの頭がバグったのでは? という内容だ。
リリスの「誰相手に打ったの? ロザリーン?」との問いには、ロザリーンが「私は何も打っていません」との返事だった。
そもそもグループメールのログ履歴を見ても、リゲルの送信は唐突過ぎて話の脈絡が無い。本文中の「お前」とは一体誰に対してのお前なのだろうか。
リゲルは、「独り言だ」と返信してきた。
それに対してユコが、「何それ怖い」と打ってきた。
次の瞬間、リゲルがオフラインになり、グループメールからログアウトした旨が表示された。
逃げたな……。
ラムリーザは、これ以上問い詰めることはできず、そう思うしかなかった。
その時、使用人が朝食の準備ができたと伝えてきたので、ラムリーザとソニアは食堂に向かおうと思った。
しかし、誰も居ない食堂はかなり冷え切っているということで、わざわざ部屋まで朝食を届けてくれたようだ。
ラムリーザは、ありがたく受け取ると同時に、外で雪が降っていることを思い出した。
「ほらソニア、外を見てみろよ。お前の好きな歌、きーらきーらに出てくる雪だぞ」
「雪なんて嫌い! あの歌もう嫌い!」
ソファーの上で丸まったまま、ソニアは理不尽なことを叫ぶことになった。
朝食をとったが、それで身体が温まるということは無かった。
パンも飲み物も、部屋まで運んでくる間に完全に冷え切ってしまっていたのだ。
部屋の寒さは全然変わることが無く、ゲームで遊んで気を紛らそうにも、手がかじかんでまともにプレイすることができない。
結局の所、二人は抱き合ったままテレビを見るしかできなかった。
一時間後、使用人から今度は風呂の準備ができたとの連絡を受け、二人は顔を見合わせた。
「え、えーと、ソニア入る?」
ラムリーザは、ソニアに先に入ってもいいと言った具合に譲ってみた。
「うん。あ、でもあたしだけ温まるのも……」
ソニアにも、相手を気遣う面があったようだ。
ただし、気遣ったという面もあるが、寒いから抱かれているラムリーザから離れたくないというのもあった。
「僕は多少は我慢できるから、先にどうぞ」
ソニアは、ラムリーザの顔を真顔でじっと見つめていたが、すぐに何かひらめいたのか笑顔になった。
「一緒に温まる方法が見つかったよ」
「なんぞ?」
一緒に温まることができるのなら、ラムリーザもその方が良いと思っていた。
「お風呂に一緒に入ろうよ!」
ソニアは、ラムリーザに強く抱きつきながら言った。
「一緒にって、えーとそれは……」
二人はこれまでに、大きな声では言えない遊びを何度もやってきたが、一緒に風呂に入ったことは無かった。
「いいじゃん、ねー、ラムー、お風呂入ろうよー」
ソニアは、ラムリーザの身体をゆすりながら催促する。
「まいっか、誰かが見ているわけでもないし」
考えていても寒いだけなので、ラムリーザはあっさりと決めて、ソニアを抱きかかえたまま浴室へと向かっていった。
窓の外では、今もなお雪が降り続けている。