寝耳に水のリロケーション
2月16日――
結局うやむやになったリードボーカル争奪戦は、第二ラウンドへと突入することになった。
「動画の投稿勝負をもう一度やって、今度こそ次の歌のリードボーカルを決めましょう」
リリスは、DoS攻撃まがいでアカウント停止を食らったことにめげずに、再戦を提案する。
「いや、もうあれはやめとけって」
ラムリーザは反対するが、リリスは余計な気を回す必要の無い方法を考えていた。
「今度は、総再生回数の少ないほうが勝ちよ」
「ん、それならいいだろう」
ラムリーザは、このルールだと余計な気を回さなくて良いと考えて、好きにやらせることにした。
つまらない方が勝ち、なんとも空しいルールだが、この二人にはお似合いかもしれない。
この日ユコは、学校が終わって帰ったところで、めずらしく早く帰ってきていた父親に呼ばれて話を聞かされた。
ラムリーザやソニアの友人の一人、ユコ。家族構成は両親と彼女の三人だ。
「次の春から、新しい町での仕事に移る事になったのだ。というわけで、もう少ししたら家族全員で引越しになるから」
「え? 引越しですの?」
ユコにとっては寝耳に水の話だった。すぐに大事なことを尋ねる。
「学校はどうなるんですの?」
「そうだなぁ、これから開くことになっている新しい町の学校に行くことになるかな?」
ユコの父親は、今日はまだ転勤の話を聞いたばかり。学校のことは、これから追々考えていけばいいと思っていた。
彼女の父親の仕事は、主にこの地方の物流を担当しているシュバルツシルト鉄道に勤めている従業員である。主に、町内の輸送を担当していた。
町の発展に伴って、輸送の担当者は増減する。この為に、この任務に就いている者は、何度か転勤する者も少なくない。
ユコの一家も、この地方に三年前に、この地方、リリスの家の隣に越してきたばかりだ。
「嫌ですの! 折角、折角……」
ユコは反論する。だが、途中から言葉になっていなかった。
「父さんは、新しい町の運輸事業のまとめ役に抜擢されたんだよ」
「まぁあなた、出世ですのね」
不服を言うユコとは違い、両親は少しばかり盛り上がっている。そりゃあ出世はうれしいだろう。しかし――。
「お父様は、自分の出世のために私の交友関係を破壊するのですね?! 私は一人でもここに残りますの!」
「いやぁ、この家も引き払って、新しい町で新しい住居を構えることになるんだぞ」
「そんなの嫌ですの!」
「新しい家は、ここよりもっと大きいぞ」
「大きさなんて関係ありません! ああそうだわ、私は学校指定の寮、桃栗の里に入寮してでも残りますの!」
「困るなぁ……」
「ユコ、我儘を言うんじゃありません!」
両親としては、まだユコを傍においておきたかった。だから一人残すことは考えられなかったのだ。
だがユコは、この地を離れたくなかった。見知らぬ土地へ投げ出されるのも嫌だし、それ以上に……。
「とにかく私は反対ですの!」
ユコは、そう言い捨てて家から飛び出していった。
家から出たところで、たまたま外に居たリリスと鉢合わせした。
「あ、ユコ。丁度いいところに出てきたわ。これからちょっとエルム街に行かないかしら?」
「……そんな気分じゃありませんの!」
「そう……」
ユコはいつもならすぐにリリスと一緒に出掛けるのだが、今はそんな気分にはなれなかった。どうせ離れ離れになるのなら、もう親しくする必要はない。そんな無茶苦茶なことすら考えていた。
ポッターズ・ブラフの静かな田舎道を歩きながら、ユコは自然と涙があふれ出できた。
折角気の合うパートナーができたのに。
折角尊敬できる人に出会えたのに。
折角からかえるおもちゃができたのに。
折角ゲームセンターに行く時のボディガードができたのに。
ユコは、自分の周りの人たちの顔を思い浮かべると、胸が締め付けられるような気がして、止まらない涙は頬を伝わって落ちた。
「このまま野宿でもして、そこから学校に通おうかな」
無茶な考えすら、脳裏に浮かんだりしていた。そのまま、宛てもなくさまよっていた。
その頃ラムリーザは、ソニアと一緒に夜の散歩へと出掛けていた。
ポッターズ・ブラフに流れる川の岸に咲く桜の花々、庭だけでなく外の夜桜の鑑賞をしていた。
「ラム、あの動画を見たらダメだからね」
「お願いされても見ないよ」
ソニアは帰ってからすぐに、動画共有サイトにアカウントを取り直して、すぐに前回と同じ動画を挙げ直して今度は放置していた。
ただし、動画のタイトルは違う。
~絶対に見てはいけない動画~
全然内容と関係の無いタイトルをつけていたが、こんなタイトルだと気になって開いてしまう人も居るかもしれない。
しかしソニアには、そこまで気が回らず、ただ単純に見てもらいたくないために、安易な名前を付けたのだった。
「動画はどうでもいいや。それよりもほら、夜桜が綺麗だぞ」
ラムリーザは、上を指差してソニアの注意を引いた。
「おいしいかな?」
「さくらんぼはおいしいけど、桜の花がおいしいかどうかは、そうだ食べてみろ」
「嫌だ!」
「入れろ!」
「やんっ」
そんな話をしていた時、反対の方角から川岸を歩いてきたユコと鉢合わせした。
ラムリーザとソニアは、ユコと顔を見合わせた。
「やあ、奇遇だね」
「あっ、呪いの人形発見!」
ラムリーザの軽い挨拶と、ソニアの余計な一言に、ユコは無言のまま視線をそらせただけで、答えることはなかった。
ラムリーザは、そこでユコの目が赤くなっていることに気がついた。瞳は奇麗な緑色だが、その周囲は充血している。
「目が赤いよ、どうしたの?」
ユコは、慌てて目をぬぐう。
少しの間、三人の周囲は黙ったままの時間が過ぎていった。
「ラムリーザ様、この春から屋敷でメイドとして雇って下さいまし」
沈黙は、ユコの唐突なお願い事で破られた。
「唐突過ぎて何が何だかわからんぞ? というより、進路希望の時にそれは無しにしただろう? 作曲家の夢はどうしたんだい?」
「夢は壊れましたの」
ぼそっとつぶやいたユコの一言に、ラムリーザは何かただ事ではないことがユコの身に起きていると感じた。よく見ると、ユコの表情にはいつもの元気さが無い。
その不安をぬぐうように、ラムリーザは「何故だい?」と問いかけていた。
目の前のユコは、いつもの神秘的な雰囲気は無く、壊れかけた人形のような脆さを表していた。
ソニアも、いつもと違うその雰囲気を感じ取ったのか、ラムリーザの後ろに隠れるように移動して、黙り込んでしまった。ソニアはソニアで、妙に勘が良いところがあるし、真剣な場面では素直に身を引いて黙る良い所があった。
ユコは少しの間黙っていたが、震える声を振り絞って、台詞を続けようとした。
「私、この春から……、この春から……」
だがユコは、それ以上言葉を続けることができなかった。ユコの両目から、涙が流れ落ちた。
「な、何だ? どうした?!」
ラムリーザは、ユコの突然の変化に驚いた。ソニアが泣く所は何度も見てきたが、ユコが泣く所を見るのは初めてだった。
ラムリーザのそんな心配を他所に、ユコはさっと身を翻すと、二人の傍から駆け去っていってしまった。
「ラム、追いかけなくていいの?」
ユコが駆け去っていく様を眺めていたラムリーザは、ソニアの一言で我に返った。
ハッと気が付くと、既にユコは視界から消え去ってしまっていた。
「なんだろう、リリスと喧嘩でもしたのかな……」
「あたし、なんだかこんなジメジメしたの嫌。ユコが困っているのなら助けてあげてよ」
いつも自分勝手で迷惑ばかりかけるソニアだが、人との和を大事にしている面もあった。ソニア自身は、いつも和に納まる範囲内でふざけているつもりなのだ。
例えばリリスに対しても、「根暗吸血鬼」呼ばわりは、彼女がそれを克服するまでは口に出さなかった。
「とにかく明日学校で話を聞いてみよう」
今日はもう夜も遅いし、ゆっくりと話を聞いてやることはできない。これから探して話をするとなると、どのくらい遅くなるかわからない。
そういうわけで、二人は一旦ユコの事は忘れて、夜桜を楽しむことにした。満開の桜の花が、川岸にセットされたライトに照らされて、不思議な光景を作り上げている。
「もう満開だね~。でも、すぐに散っちゃうのが残念だな」
ラムリーザは、ソニアの肩に手を回しながら言った。
「道路が汚くなるんだよね」
ソニアの返す言葉は、趣が全く無い。まぁ、言っていることは間違っていないのだからよいだろう。
ラムリーザは、フォレストピアの公園にも桜の並木道を作ろうなどと考えながら、夜桜を十分に堪能した後に帰宅したのであった。
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