ソニアの災難 ~家族同居のめんどくささ炸裂~
4月16日――
この日ソニアは学校から帰り、屋敷の玄関をくぐったところで突然母親に捕まった。どうやら帰ってくるのを待っていたようだ。
「なっ、なぁに? お母さん、あたし悪いことしてないよっ?!」
ラムリーザは、慌てるソニアを尻目に、自分だけ部屋へと戻っていった。ソニアも後を追おうとするが、がっちりと腕を捕まれていて逃げ出せない。
ソニアの母親ナンシーは、今住んでいるフォレスター家のメイドで、普段は家事に従事しているので、食事の時ぐらいしかあまりソニアとは顔を合わせない。それにこうして捕まえてくることは、これまでにはあまり無かった出来事である。
ナンシーは、ソニアを捕まえたまま顔を覗き込むようにして、厳しい顔で問い詰めた。
「ソニア、あなたはラムリーザ様の部屋に入り浸っているみたいだけど、気のせいかしら?」
「きっ、気のせいだと思うよ。でもラムとは恋人同士になったんだもん、部屋にぐらい行ってもいいでしょ?」
ソニアは、ラムリーザから「親には清い交際をしていることになっている」と言い聞かされていたので、とっさに誤魔化すと同時に食って掛かった。夜も一緒に寝ているということは、まだばれていないようだし、ばれるわけにはいかないと考えていたので、守るより攻めろ精神で言い返す。ほとんどヤケっぽいが。
「あなたの部屋の電気がついているのをあまり見かけないのですが?」
「カ、カーテン閉めてるからっ。ほら、遮光カーテンにしたの、だから部屋の電気が外に漏れないのよっ」
苦しい言い訳だが、ありえない話ではない。もっともソニアは、現在住んでいる新しい屋敷に越してきてからは、自分の部屋にはほとんど入ったことは無かった。要するに、去年と同じくラムリーザと一緒に生活しているわけだ。
「部屋に行っても留守がちですが?」
「たまたまトイレに行ってるか、たまたま寝ているかだよっ」
ナンシーはじっとソニアの顔を見つめている。ソニアも負けじと睨み返す。妙なところで肝っ玉が据わっているのがソニアの良いところかもしれない。
どうやらラムリーザが母親から問い詰められる前に、ソニアの方が母親から問い詰められることになりそうだ。しかしナンシーは、少し穏やかな顔になって言った。
「まあいいでしょう、屋敷の外に出ているわけではないからね」
「じゃあもう離してよ、もういいでしょ?」
「ダメです、本題はこれからです」
ナンシーは、再び厳しい目つきになったかと思うと、おもむろに懐から一枚の通知書を取り出して、ソニアの目の前へ突き出した。その通知書には、なにやらいくつかの数字が書き並べられていた。
「なにそれ? 母の特別任務?」
「何が特別任務ですか、去年のあなたの学校の試験の通信簿です」
「あっ――」
ソニアは再び逃げ出そうとするが、ナンシーは腕を掴んだまま逃がさない。
その通信簿には、ソニアの去年の悪行が明確に書き残されていた。四回の試験があり、一度目は酷い赤点、二回目はぎりぎり赤点回避、三回目と四回目は赤点ではないが、平均点には遠く及んでいない。
どうやら去年住んでいた屋敷に届いていた通信簿が、今頃ソニアの母親の手に渡ったようである。
「いいもんっ、勉強なんてできなくても関係ないんだもんっ」
ソニアは苦しそうに言い訳をするが、ナンシーは許さない。その上、ソニアにとっては厳しいことを告げられた。
「メイドや使用人になるのなら、学業は特に重要ではありません。しかしあなたはラムリーザ様、いえ、将来の領主夫人になるのです。そうなると、それなりの教養が必要になります。領主夫人があほでは示しがつきません」
「む~……」
本当にそうなのかどうかは分からないが、母親が言うのだから本当のことだろうとソニアは思い、うなるしかできなかった。
「ラムリーザ様と結婚しないのならば、勉強はしなくてよろしい。するのなら勉強――」
「お母さん、あたし勉強するよ!」
「――ならばよし」
ソニアはラムリーザとの事を挙げられて、とりあえずその場しのぎの返事をして逃げ出そうとする。しかしナンシーは、まだ逃がしてくれなかった。
「料理の一つや二つ、できないなんてみっともない」
今度はソニアの料理の腕を糾弾した。そういえば、ソニアはまともに料理をしたことはない。以前みんなで集まってバーベキューをやった時は、みんなの邪魔ばかりしていた。
「なっ、なによっ、別に女だからって料理ができなくちゃいけないなんておかしい!」
ソニアは反論するが、ナンシーから先ほどと同じように、「ラムリーザ様のお嫁さんになるのなら、そのぐらいの教養は必要になります」と言われるとソニアは何も言い返せない。
「さあどうしますか?」
「わかったわよ、やればいいんでしょ?」
やけくそになって答えたが、ソニアはそのままナンシーに引きずられて調理場へと連れて行かれてしまった。
屋敷の調理場は食卓からつながっており、カウンター越しに食卓からは調理場を、調理場からは食卓の中を見ることができる。
ソニアはそこで、まずは芋の皮剥きをナンシーに命じられた。ソニアもまさか今夜から突然母親の料理レッスンが始まるとは考えていなかった。いつもならこの時間は、ラムリーザの部屋でゲームをしているか何かしているはずだった。
このぐらいの家事手伝いはあたりまえなのか、去年一年間、自由奔放すぎたのか。とにかくソニアは、料理がめんどくさくて仕方なかった。
「はい、できたよ! これでもう終わっていいでしょ?」
不貞腐れたように、皮を剥いた芋をナンシーに差し出す。残念ながら、芋の大きさは少し小さくなっていた。その代わり、皮に身がかなり残っている。当然のごとく、駄目出しを食らってしまった。
「ダメです、毎日練習しなさい。はいもう一度」
「え~……」
おかわりの芋を受け取りながら、ソニアは頬を膨らませてへの字口。ゲームの練習なら毎日やってもいいが、料理の練習なんてつまらないと考えていた。
五つほど芋の皮剥きをしたが、すぐには上達しないので次の課題に移ることになった。
「次はこのキャベツを千切りしてもらいましょう」
そこでソニアはあることに気がついて、この場から逃げ出そうとした。
「ちょっと待って! あたし自治領主夫人になるから、料理は使用人にやらせるからあたしやらなくてもいいはず!」
「何が自治領主ですか、どこの自治領に行くのですか? それと、ソフィア様が料理できないとでも思っているのですか? 時々趣味でお菓子を焼いていますよ」
ソフィアとは、ラムリーザの母親である。また、ソニアはユコの口癖が移っていて、無意識のうちに自治領と口に出してしまった。どちらにしろ、ナンシーにこう言われたのでは何も言い返せない。
「女だからって料理を強要するのは変!」
「その理屈を盾にして逃げるのも変ですよ」
こうなると、仕方がない。ソニアは、不満顔のままキャベツをナンシーから受け取ると、まな板の上にどかっと置いた。それから早速切り刻もうとして、あることに気がついた。
一歩下がろうとしたソニアは、張り付くように後ろに立っていたナンシーにどんとぶつかる。
「逃げるんじゃありません」
ナンシーは、ソニアの両肩を後ろから掴んで、前に押し出した。
別にソニアは逃げ出そうとしたわけではなかった。もっとも逃げ出したいとは思っていたが、一歩下がったのは逃げ出すためではなかった。
ソニアは、まな板の上に置かれたキャベツを切ろうとしたが、そのキャベツを視界に入れることはできなかった。この立ち位置からでは、すぐ下にあるまな板を見ることはできず、視界に入るのは自分の大きな胸だけだった。これは、胸が邪魔で足元が見えないのと同様の状態だ。
ソニアはまた一歩下がろうとするが、ナンシーに押し戻される。本当の事は恥ずかしくて言えない。母親に「胸が邪魔でまな板が見えない」なんて言えなかった。
「ふえぇ……」
胸の下に包丁を構えたまま、見えない刃が怖くて包丁を動かすことはできなかった。結局ソニアは、いつもの困ったときのフレーズを口走ることしかできなかった。
ラムリーザは、いつまでたってもソニアが部屋に来ないので、少し心配になって屋敷内を探して回っていた。
もっとも、去年の春以前は恋人同士でいちゃいちゃしていたわけではないので、部屋は別々だったし、日によっては食事時しか顔を合わせない日もあった。
それでも去年の春以降は同棲状態だったし、居なければ居ないでさびしいものがあったのだ。
いろいろ屋敷内を回った後、ラムリーザは食堂に入ったときに、調理場に居るソニアを見つけることができた。
ソニアは、メイドのナンシーと調理台の間に挟まれ、なにやらもぞもぞとしている。
「何をやっているのかな?」
「あっ、ラム、助けて!」
「これはこれはラムリーザ様、ソニアに料理の練習をやらせているところです」
ソニアは助けを求め、ナンシーは落ち着いて説明する。
「あっ、それいいね。ソニアの手料理を食べてみたい」
ラムリーザの一言を聞いて、ソニアは少し考えを改めることにした。ラムリーザが望むのなら、やってみよう、と。
そこでソニアは、キャベツを切るために視界に入れようと一歩下がろうとするが、またしてもナンシーに押し戻されてしまう。それからもまたしばらくの間、下がったり押されたりのくりかえしをやっていた。
「何をやっているのかな?」
ラムリーザは、先ほどと全く同じ質問をしていた。傍から見ると、ソニアが逃げ出そうとしていて、ナンシーが押し留めているように見える。実際のところ、ナンシーはソニアが逃げ出そうとするので押し戻しているだけだが、ソニアの行動は、先ほど述べたように別の意図があった。
「逃げるんじゃありません」
ナンシーの言葉にソニアは「逃げようとしているんじゃないもん」とだけ答える。
それなら何をやっているのだ? と今度は頭の中で思い、ラムリーザは調理場へと足を踏み入れる。二人の姿を横から見ることができ、ようやくラムリーザにもソニアの行動の意図が読めてしまった。
「ああナンシー、それじゃあソニアはキャベツを切れないよ」
「それはどういうことですか?」
「あっ、やだっ、ラム言わないでっ」
ラムリーザの指摘に、首をかしげるナンシーと、慌てふためくソニア。ラムリーザが何を言おうとしているのかソニアにはわかったが、ソニアにとってそれを言われるのは恥ずかしすぎると感じていた。しかし、黙っていたのでは話が進展しないので、ラムリーザは遠慮なく言わせてもらった。
「その位置、その角度だと、おっぱいが邪魔でおっぱいの下のキャベツが見えてないよ」
「ふえぇ……」
思ったとおりの事を指摘されて、ソニアは顔を真っ赤にして悲鳴をあげてしまった。
ナンシーもソニアの肩越しに後ろから覗き込んで、「なんですかこれは、胸にばかり栄養を回すから、頭が成長せずにあんな成績を取るのです」と理不尽な言葉の攻めを行なう。
「ひっ、ひどっ、あたし別になりたくてこうなったわけじゃないのにっ」
「それに何ですかその胸元は、ちゃんとボタンを留めなさい」
そういえば、学校から帰宅早々捕まったので、ソニアはまだ制服のままだ。胸が大きすぎてボタンが留まらないブラウスのまま。
ナンシーは、後ろから手を回してボタンを留めようとするが、どうやっても胸が邪魔で届かない。
「やだっ、やだやだっ」
ソニアはナンシーの手から逃れようとじたばたともがくが、包丁を持ったままなので見ていて危ない。
「全くあなたは一体何なんですか!」
「しっ、知らないわよっ、ふええぇぇぇん!」
ソニアはナンシーから逃れると、包丁を投げ出してラムリーザの脇をするりと駆け抜けて、泣き声をあげながら調理場から飛び出していった。包丁はくるりと円を描き、サクッとキャベツに突き刺さった。
「これまではあまりじっくりと見ることができなかったけど全く……、あの子はあんな格好でうろついていたのですね」
ナンシーは、困ったような顔をラムリーザに向けてぼやいた。
「いや、あれはね、風船――じゃなくて、一メートル――、いや……ほんと、何なんでしょうねぇ」
ラムリーザも、どう返答してよいものやら思いつかず、適当に相槌を打つぐらいしかできなかった。
二人きりで同棲していた去年と違い、親と一緒に生活するようになった今年。これはラムリーザだけでなく、ソニアにとっても災難な年の始まりだったようだ。