マトゥール島を周ってみよう
7月21日――
この日、ラムリーザたちの過ごす海岸は、朝から静かだった。
まず女性陣の主なメンバーが、昨日のハッキョイリーグの疲れからか、コテージの大部屋でゴロゴロしているだけで海岸に出てこない。男性陣も、レフトールとマックスウェルはコテージの部屋に篭ってカードゲームに興じている。
そしてコテージのテラスに集まったラムリーザ、リゲル、ジャン、ユグドラシルの四人は、のんびりと静かな午前中を過ごしていた。
「俺は釣りが好きだが、流石に毎日やってたら飽きる」
そういえばリゲルは、島に来てからずっと釣りをしていた。
「普段は何をしているんだ?」
ジャンの問いにリゲルは短く「ゲームとか」と答えた。これはラムリーザが覚えていた事だが、去年からの部活メンバーは、みんなゲーム好きでマニアの域にも達していた。例外はロザリーンぐらいで、彼女はピアノやオカリナの音楽関係、または料理が趣味だった。
「どんなジャンルが好みで、今は何にハマっているのかな?」
ユグドラシルの問いに、「エロ――」と言いかけて口をつぐむ。しかしすぐに表情を取り繕って答えた。
「戦略系ゲームかな、今はアイルズという島開発ゲームをやっている」
「島開発かぁ、そういえばここも島だねぇ」
ユグドラシルはテラスの外へと目をやった。誰も居ない海岸だが、今日もいい天気だ。東の空に浮かぶ太陽、セルリアンブルーの空と真っ白な砂浜、エメラルドグリーンの海が広がっている。
「そうだ、一度島をぐるりと回ってみないかい?」
海を見ていたユグドラシルは、振り返って思いついたことを言った。
「島を一周? 車でまぁ、三時間か四時間ぐらいで回れるぐらいの大きさだったかな」
ラムリーザは、昔家族で車に乗って一周した時のことを思い出しながら言った。
「車か、クソ、俺も免許取ってやる」
ジャンは自分だけ置いてきぼりにされたことを思い出して毒づいた。
「君はまだ運転免許取っていないのかい?」
ユグドラシルに聞かれて、ジャンは不満そうに頷く。
「それなら今度一緒に通おう、自分もまだ持っていないのだよ」
「ユグドラシル先輩、お供します」
ジャンは、深々と頭を下げて見せるのだった。
「去年、ローザが運転免許を見せてきたときには驚いたね。ラムリーザ君たちと計画的に合宿していたらしいんだ」
「そうそう酷いんだぜ、俺をのけ者にしてさ」
「お前は去年居なかっただろ」
リゲルがラムリーザを庇う。
「まあいいや、今日は車で島を一周してみよう。リゲルと一緒に車を借りる手配をしてくるから、ジャンとユグドラシル先輩は、ごろごろしているみんなを叩き起こしておいてね」
そう言ってラムリーザは、リゲルを伴って本館の方へと向かっていった。
………
……
…
十時を回った頃、リゲルの運転する大型のバンが、コテージ脇の駐車場に姿を現した。この大きなバンで、十二人全員を運ぶ算段だ。
ラムリーザの乗る助手席のドアを開けて、ソニアが入ってこようとする。
「こらっ、後ろに行きなさい」
「あたしラムと一緒に乗る」
「危ないから後ろ!」
ラムリーザに押し出された時、ソニアは「うっ」とうめいた。ラムリーザが押したのは、ソニアの肩と胸の間、そこは昨日リリスに強打され続けて赤く腫れ上がっている。リリスの方を見れば、彼女も紫のキャミソールから覗くその位置は、同じく真っ赤っかだ。二人とも加減を知れというものだ。
「ミーシャもリゲルと乗るー」
「余計危ないわ!」
ソニアのマネをして運転席に居るリゲルの上にミーシャは乗ってこようとする。しかしリゲルに持ち上げられて、そのまま後ろの席へと追いやられてしまった。
全員適当に乗り込んで出発した。コテージのある北の砂浜からスタートして、まずは本館の方角へ向かい、時計回りに島を回るルートを取った。
「こんな辺境の島によく車があったな。燃料とか補給できるのか?」
リゲルは運転しながらラムリーザに尋ねる。
「燃料は島の中央にある施設で作っているらしいんだ。この島の周囲にいくつか油田があって、この島で精製した物を本国に送っている話を聞いたことがあるんだ」
「なるほどな、油田のある島か。フォレスター家に金があるわけだ」
「なんかジープが付いて来るぜ?」
後ろからジャンが乗り出してきて伝える。確かにバンの後方から、ずっとジープが追尾している。
「護衛車みたいなものだから気にしないで」
ラムリーザはそう答えるのだった。
島の中央に行くのは後回しで、今日は海岸沿いに回るだけにした。
本館を通り過ぎると港が現れ、そこを通り過ぎるとすぐに島民の居住地となっている住宅街に出た。ここだけを見たら、田舎の港町といった雰囲気だ。
居住地を過ぎると、今度はサンゴ礁の海が目の前に現れた。
この島では港や居住地の海岸は整地されて削られているが、それ以外の大半の海岸は、サンゴ礁で囲まれている。
「ヨンゲリアという映画だったら、この島にはゾンビが居るな。いや、ヨングか」
「ここはヨンゲリアじゃない、マトゥール島だからな」
リゲルが不穏当な事を言うので、ラムリーザは訂正しておいた。
一時間ほど車で移動して、場所的には島の東海岸といったあたりか。全行程の四分の一ほど進んだ辺りで一休みをすることにして、車を降りて東の海岸へと向かう。
この砂浜の特徴は、丁度道路と海の間の中央部あたりが盛り上がっていて、そこから水が湧き出している。小さな火山みたいな感じで、マグマの代わりに水が出ているといった感じだ。
レフトールは湧き水を覗き込んで、それから一杯すくって口に含んでみた。
「しょっぱいぞ、これも海水じゃないか」
どうやら砂浜の下に空洞か何かがあって海へ続いていて、波の勢いか何かで海水が押し出されて湧き出ているのだろうか。
さらに特徴的な物があった。
「あの島、不気味ですの」
ユコは、東の沖100メートルぐらいの場所にそびえたつ、海面から突き出た大きな岩山を指差して言った。ただの大きな岩山ではなく、四つの崩れたような人の顔が並んでいるようにも見える。
「島の人が言っていたなぁ、フォースデビルズヘッドと呼ばれているみたい。夢に出てくるかもしれないので、あまりじっくりと眺めないように」
それほどまでに、不気味な岩山だった。溶けかけた頭蓋骨? そんな雰囲気も持っていた。
また、その岩山から少し北に離れた場所、海岸から見て左側にも同じくらいの高さの四角い岩山がそびえていた。
こちらは表面だけを考えたら、豆腐のように真四角な岩山で形的には特徴は無い。しかしその表面が特徴的だ。
岩山の上から太い茎が垂れ下がり、緑色の大きな葉が縦に四枚並んでいる。さらにそれは横にも四つ連なり、合計十六枚の巨大な葉が岩山の表面のほとんどを隠していた。
「あの巨大な植物は何だ? 隣の顔のとはまた違う不気味さがあるぞ?」
「ここは呪われた海岸だー」
いろいろな意見が上がっている。どうやら東の海岸は、皆には不評だったようだ。
「ゾンビみたいな顔が四つ並んでいるように見えるな」
「ねぇ、あの島の名前は何かしら?」
リリスはラムリーザに聞いた。リリスを近くで見ると、やはり肩と胸の間が痛々しい。
「岩山自体に正式名称はついていないけど、さっき言ったとおり島民はフォースデビルズヘッドと呼んでいるよ。勝手に命名しているのだけど、まぁこの辺りには人はあまり来ないからね」
「やっぱりこの海岸は呪われているのよ」
リリスは、海を眺めながらつぶやいた。
この島は、島自体がフォレスター家の別荘のようになっていて、住んでいる人もほとんどがこの島で資源の採掘作業をする従業員でフォレスター家が特別に雇った者とその家族だけだ。
あまりにも不気味な光景に皆口数が少なくなる中、ミーシャだけは手のひらサイズの小型ビデオカメラを手に撮影に夢中になっている。動画投稿者にとっては、この光景はものすごく美味しいネタになっているのだろう。
「で、あの植物は?」
リゲルは改めてラムリーザに問う。
「植物には詳しくないなぁ……。島の人は何って言ってたっけ……、リネイシアだったかな? わかんないや、忘れた。今度ちゃんと調べておくよ」
ラムリーザもこの島には数年に一度来るぐらいだ。ここでしか見かけない植物について詳しいわけでもなかった。そもそも東海岸でゆっくりするのは実は初めてだった。これまでは家族でドライブ中に通り過ぎるだけで、車の窓から遠目に海に浮かぶ不気味な岩山を見たことがあるだけだった。まじまじと見つめるのは、今日が初めてなのだ。
「でもさ、海賊とかが宝を隠すとしたら絶好の場所だよな」
ジャンはそう言うが、ラムリーザは「この辺りに海賊は出ないよ」と答えた。島民が扮した似非海賊は出るけどね。
その内、ソニアとユコが「もう行こうよ」と言い出し、他の者もそれに同意し始めた。ミーシャはギリギリまで撮影に夢中になっていたが、休憩もそこそこに再び移動を開始した。ゆっくり休憩するには、景色が不気味すぎたのだ。
車は南へと向かっている。少しでも早く、呪われた海岸から離れようと、スピードは若干速めに……
一時間が経過し、スタート地点のコテージがあった海岸から正反対の南海岸へ到着した。そしてこの海岸にも特徴的な物があった。
海岸は両側を岩石海岸に挟まれた、100~200メートルの幅の砂浜。そして、そこから見える波打ち際から少し海側に進んだ場所、丁度岩石海岸から挟まれた中央部にそれはあった。
どういった海流になっているのか解らないが、東から西、海岸から見て左から右に向かって海水が激しく流れている場所があり、その中央部では激しく水しぶきを上げながら空中に円を作っている。まるで海の上に、水の輪ができているようだ。水流は海面では左から右に流れ、ジェットコースターの垂直ループのように浮き上がり円状にぐるりと周り、右側へと抜けている。円の大きさは、大体直径2mぐらいか? その場所だけ、ゴウゴウと水の音が激しい。
「なんか神秘的ですの」
水の輪を見ながら、ユコはそうつぶやいた。
「傍まで泳いでいったらどうなるんかの?」
レフトールは波打ち際まで駆けて行ったが、近くでその激しい水流を見て海に入る気は薄れたようだ。
「番長、飛び込んでみてよー。しっかり撮ってあげるから、タイトルは神秘的な水の輪に飛び込んでみたってので公開してあげるよ」
「何が番長だ、幼児体型。お前の動画だろうが、撮っててやるから自分で飛び込めよ」
ミーシャは少し考えた後、レフトールにカメラを預けて服を脱いで水着だけになると一歩波打ち際に足を踏み込んだ。
「やめとけ」
そこで突然ミーシャは後ろから担ぎ上げられて砂浜に戻された。ミーシャの行動を監視していたリゲルが、危険行為を事前に止めたのだった。
「折角のネタなのにー」
「危険すぎる、これ見ろ」
リゲルは砂浜に転がっていた木切れを水流の近くに投げ込んだ。木切れは水流に巻き込まれ、垂直ループのような水の輪を作っている側面から高く投げ出された。
「すごーい」
それを見たミーシャは、レフトールからカメラを返してもらい、今度はもう少し大きな木切れを投げ込んで撮影を始めた。
今度は木切れは水流の左側から吸い込まれ、水流を登り垂直ループの頂点を流れ、その途中で左側に投げ出された。再び吸い込まれて水流を登り左側に投げ出されるのを繰り返している。
五回ほどループした後、木切れは水流の届かないところに投げ出されて波間をぷかぷか浮かぶだけになった。
「どういう潮の流れの原理かわからんが、近づくのは危ないから海に入るなよ」
リゲルは念を押して、ラムリーザの所へと戻っていった。
気がつけば太陽は天まで昇り、少しだけ西に傾いている。そこでこの不思議な水の輪を遠目に見ながら、昼食にすることにした。
持ってきたのはロザリーンが主導で作ってくれたサンドイッチとおにぎり。サンドイッチは馴染みの弁当だが、おにぎりというものはユライカナン産の食べ物で、米を炊いた物を丸めて作ったものだ。
「そういえば、ここまで海岸線を走ってきたけど民家が一軒も無かったね」
ユグドラシルは、おにぎりにかぶりつきながら言った。
「従業員以外住んでいないからね。皆北の港付近に住んでいるんだ。ここから内陸部に少し行けば、原油精製施設の一つがあるはずだけどね」
「エネルギー源の採掘場となっている島か。それだけなのか?」
リゲルの問いに、ラムリーザは聞いている事で答えられるものだけ答えた。まだ全てを親から知らされているわけではないのだ。
「なんだったかな、グエンかな? グアノだっけ? 何かそんな名前の資源が島に大量にあって、――というより島の中央部自体がほとんどそれでできているらしくて、それを採掘しているって聞いたよ」
「グアノな、サンゴ礁に鳥や魚の死骸などが堆積して化石化したもので、主に肥料とかになるな。黄燐とも呼ばれているな」
ラムリーザの話を聞いて、リゲルは博識なところを見せる。
「オーリン? オーリンってなぁに?」
とくに脈絡も無くミーシャがリゲルに聞いてくる。
「うむ、踊り子と占い師の孤児姉妹を引き取って育てた錬金術師の名前だ」
「ミーシャ踊り子、ねぇソフィーは占い師になってよ」
話が逸れてしまったが、内陸部を見渡してみると、林の影から岩石の切り出し場所みたいなものが遠くに見えていた。
「この島だけで国が作れないかな? 資源だけで成り立つんじゃないかな?」
ユグドラシルの意見にリゲルは反対する。
「そういう国は資源が無くなったら寂れるだけだ。この島の資源の埋蔵量……、ラムリーザにはわからんわなぁ」
そこまでラムリーザが知らされるのは、恐らく大人になってからだろう。
「さてと、マトゥール島一周旅行の残り半分に行こうか」