ツアー前日の夜
8月17日――
週末のフォレストピア・ナイトフィーバー、ジャンの店にて――
観客はほとんどフォレストピアの住民、あとはユライカナンからの旅行者や、帝国のほかの地域からの旅行者が少数だ。フォレストピアには、まだあまり娯楽施設が多くないので、夜は自然とここに集まって、夕食や音楽を楽しむのが常となっていた。
この状況は、ジャンが意図的に作り上げたものでもあった。ジャンは、ラムリーザとの仲という特権を最大限に利用して、ナイトクラブ系の施設を独占的に経営しているのだ。
共和国とかだと独占禁止法などで責められる恐れのあるやり方。しかしここは帝国であり、皇帝の意向が最優先される。そしてその意向は帝国宰相にも任され、末端にはその領主の意向が優先されるようになっていた。
つまりフォレストピアは、ラムリーザの指先でどうとでも動く町だったのだ。
そこで市民は賄賂、などと不埒なことを考えるが、ラムリーザはさほど贈賄に興味を示さない。フォレスター家自体が、原油やリン鉱石を採掘できる島を所持しているというものもあり、金銭的な物質では心が動きにくい状態になっていた。ラムリーザも同様で、芸術品にはさほど興味を示さずに、どちらかといえばごんにゃ店主のような、友人みたいな関係を好んでいるのだ。そして実は、賄賂に動かないようにすることを見越して、小遣いを過剰に与えているという裏が有った。
ただし、ソニアに対してはいくらでも贈賄は通用するだろう。あまり意味は無いが……。
そんな状況もあり、ラムリーズは領主様がリーダーを務めるバンドグループというものもあって、住民は競ってその演奏を聞きに来るというものがあった。ラムリーズを盛り上げること自体が、領主様の心象を良くするということに繋がっているのだ。
今日は、リリスが熱唱する「遥かなるコリドー」という新曲を披露していた。もちろんオリジナルソングではなく、ゲームソングだ。
「ここは、コリドーっ!」
人の視線が怖かったリリスも、今ではそれをすっかり克服し、リードギターをかき鳴らしながら絶叫している。
荒廃した世界を救うために戦う戦士の歌は終わり、ラムリーズの演奏は終わった。次はユライカナンからやってきたグループが演奏を始めた。
ラムリーズの演奏が終わったからといって観客が帰らないのも、観客の領主様への心象を良くするというのが働いている。もしもそのまま帰って、後でジャンに、民衆はラムリーズの演奏しか見てくれないということをぼやくと、ラムリーザは打算的な民衆だなと思うことだろう。
それに、ラムリーズが有名と言っても、ネームバリューによる部分も多少占めている。演奏技術から言えば、わざわざユライカナンで選ばれたグループも、技術面では勝るとも劣らない。
バベルの塔が建たなかった世界というわけでもないが、言語の壁が無いと言うのもここではプラスに働いていた。
演奏の終わったラムリーザたちは、客席であるテーブル席へと移動して晩御飯。ただし今日は振るメンバーではない。
レフトールとマックスウェルは、島から戻ってからは他の子分たちと遊ぶことを優先して、夏休み後半はあまりフォレストピアを訪れていない。もっぱら繁華街のエルム街を主戦場としていた。子分を大事にするレフトールならではの流れだ。
ユグドラシルも、生徒会の慰安旅行に出かけたらしく、帝国東のクエスタ・ベルデに出かけたとかどうとか。ユグドラシルは、生徒会よりもラムリーザたちと居る方が楽しいと言っていたが、生徒会も大事にしているといった感じであった。ここは生徒会のメンバーと、親睦を深めることも欠かさない。
今ここに居るのは残りのメンバー、去年からのメンバーに後輩組を加えた八人だ。
「見事に男だけ抜けて女が残った。ハーレムグループやのぉ」
ジャンは、ラムリーザたちの集まったテーブル席にやってきてそう言った。
ソフィリータなどは、「生徒会に入っても良かったかなぁ」などと言っているが、ミーシャに「ソフィ、ミーシャと遊ぼうよ」とか言われて「それもいいか」ということに落ち着いた。
その食事中、ソニアとリリスが揉めだした。お互いに邪魔だなどと文句を言い合っている。
「あ、しまった」
ラムリーザが思ったときにはもう遅かった。
間違えてリリスをソニアの右側に座らせてしまった。いつもはリリスはテーブルの左端に座らせていたのだが、ラムリーザがジャンと談笑しようと左端に座ったのが間違いだった。
「リリスがぶつかってきたから、お肉が皿から飛び出た!」
ソニアの右肘をリリスの左肘で突かれて、肉がフォークから飛び出たので怒っている。
「ソニアのせいでトマトが転がった!」
リリスもまた、ソニアに文句をぶつけている。
「チェンジ!」
ラムリーザは大声で二人を制し、リリスと席を替わるのだった。左利きのリリスは、テーブルの左端に座らせないと、どこかでトラブルが発生してしまうのだ。
「リリスの左利きってかっこいいよな」
ジャンは、ここでもリリスを持ち上げてくる。しかしリリスに不満を爆発させていたソニアはすぐに噛み付いた。
「全然かっこよくない! 手逆病のぎっちょじゃないのよ!」
「なっ、何が手逆病よ! のっぺら病のエルおっぱい!」
「静かに食事しろ!」
ラムリーザに声を張り上げられて、二人は口をつぐんでしまうのであった。
「ほら、せそ汁にもチャレンジしてメニューに加えてみたんだ。じっくり味わって食べてみろってんだ」
ジャンは、新たにトレイがやってきた時に、それに合わせて言った。せそ汁と言えば、ユライカナン産の「せそ」という調味料を使った汁物だ。料理のさしすせそ、砂糖、塩、酢、せそ、そょうゆの五つは、ユライカナン料理では基本中の基本だ。
「せそ汁まで出すようになったか」
ラムリーザは、氷を要求してせそ汁の中にぶちこむ。熱くて飲めたものじゃないってものだ。
「実はロザリーンに少し手伝ってもらったんだけどな」
「マトゥール島でのキャンプで出してみようと思いましたが、島にはせそが無くて作れなかったので、今日の夕方リベンジしてみました」
新しい料理となると、喜んで飛びつくロザリーンであった。
「あたしの方が、ラムがおいしいといってくれるせそ汁作れるから、リリスは料理下手」
「何よ! あんなの勝負になってないわ。審査員がラムリーザ以外だったら私が勝っていたわ」
「一億人にまずいと言われても、ラム一人でもおいしいと言ってくれたらあたしの勝ち! リリスは熱いだけの爆弾をラムに食べさせた酷い人なの!」
「ぐぬぬ……」
せそ汁合戦のことをソニアは持ち出して、リリスに攻撃を仕掛けた。あの戦いでは、熱いものが苦手なラムリーザに対して、冷えたせそ汁を出したソニアが勝って、熱いままのせそ汁を出したリリスは、ラムリーザの舌をやけどさせる結果になっただけだったのだ。
「俺はリリスのせそ汁の方が、エル汁よりおいしいと確信しているぞ」
リリスの窮地を、ジャンはすかさずフォローしてくる。
「そんなの魔女の誘惑に惑わされている科学者ジャンだけ。中途半端の役立たず同士気が合うのよ。あたしはローザよりもおいしいせそ汁をラムに出す自信がある」
ソニアの反論は、いつもどおりだった。
さて、ロザリーンの作ったというせそ汁はどうだろうか?
「ん、このせそ汁はおいしいな」
ラムリーザは初めておいしいせそ汁に辿りついた感じであった。以前食べたリリスのは熱いだけだったし、ソニアのは食べられはしたが、具が中途半端だった。
「何でよ!」
ラムリーザがまんざらでもない顔をしているので、ソニアは不満顔で文句を言う。
「ラムリーザさんのせそ汁は、ほどよく冷やしておきました」
ロザリーンは、ラムリーザの猫舌事件を知っていたので、ラムリーザに出すものにはあらかじめ氷を入れて冷やしていたのだ。
「ずっ、ずるい!」
ソニアは顔を真っ赤にして怒っているが、リリスは「ずるいのはあなたよ」とだけ答えて、ますます火に油を注いでいた。
ソニアとリリスの口喧嘩がうるさいので、ラムリーザはさっさと食事を済ませて席を立った。そのまま司会をしているジャンの傍へと向かっていった。
ラムリーザがなんとなくステージの方へと目をやってみると、その奥には何か大きなものが置かれていて、白い幕が被せられていた。
「あれ? あんなのあったっけ?」
ラムリーザは、白い幕を指差しながらジャンに尋ねてみた。
「おお、あれはスクリーンだ。今日の特別イベントとして用意していたものだよ。さて、そろそろ時間かな?」
ステージ上では丁度演奏していたユライカナンのグループが、最後の曲を終えたところだった。一礼をして、ステージの袖へと消えていく。
次にジャンの合図で、白い幕が引き下ろされた。ステージ上に、大きなスクリーンが現れたのであった。
そしてすぐに、何かがスクリーンに映し出される。どこかのステージを横から映しているようだ。
「繋がったかな? 繋がったかな?」
ステージでは、見覚えのある人がキョロキョロしながらマイクテストみたいなことをやっている。
「ん? あれはエド・ゲインズさん?」
ラムリーザはすぐに思い出した。ユライカナンで初ライブをやった地方都市、サロレオームでのショーの司会者だ。
「そうだ、覚えていたな。おーい、写ってるぞー」
ジャンがスクリーンに映っているエドに語りかけると、彼もこちらを正面から見据えた。
「お久しぶりー」
「お久ー」
などとやりあっている。
「このスクリーン、いったいどうするのだ?」
ラムリーザがジャンに尋ねると、「これでこの店とあちら側の舞台が繋がっているんだ」と答えた。
スクリーン上のエドは、「テストを兼ねて、ここで一曲!」と紹介すると、画面がぐるりと回って今度はステージを正面から映した。そして向こう側のステージで、バンドの演奏が始まったのであった。
「うわっ、これはすごいね。これは向こうもこっちが映っているのかな?」
「うん、お互いにビデオ中継できるようにしたんだ」
「じゃあ向こうが演奏してくれたら、こっちは休憩できるわけだ」
「そういうこと」
スクリーンに映し出された演奏でも十分に盛り上がっている。これは便利な物ができたものだ。
向こう側の演奏が終わると、今度はこちら側からのテスト放送が行われることになった。休憩中のラムリーズではなく、リゲルの友人がリーダーを務めるローリング・スターズの演奏だ。
「ラムリーズじゃなくていいのか?」
「明日からユライカナンのツアーが始まるから、今はいいのだよ。それに、もうしばらくテストを続けるが、ツアーで回る全ての会場の様子もここから見られるようにするのだぞ」
ジャンは得意気に言っている。つまり、ラムリーザたちがユライカナンで活躍している様子は、この店からも見る事ができるということだ。
「なんか、責任重大だなぁ」
「なぁに、いつもどおりにやってくれたらいいさ。これからはこのスクリーンも利用して、ここから見られる演奏も増やしていくからな。すでにいくつかのライブハウスとは提供しあう話が進んでいるぞ」
「ジャン、君はすごいよ。そっか、ユライカナンのツアーか……」
「そんなに緊張することも無いさ。ツアーと言っても、そこまで大物って訳じゃないからユライカナン全土ってわけじゃなく、以前行った地方都市サロレオームを中心に、その近辺だけを回るだけだから。ラムリーズは有名でも、精々地方で盛り上がっている学生バンドレベルだからな。いくつかのステージを回るだけ、そんなに難しく考えなくてもいいさ」
「そんなのを大々的に広めていいのか?」
「友好都市の領主様がリーダーを務めるバンドということで、政治的効果が強い面があるのだよ」
「ん~……、まあいいか」
ソニアやリリスは、リードボーカル合戦で揉めあっているが、自分たちは有名なんだと増長しているわけではない。楽しみながらやっていることに、いろいろ付随している程度だ。
運営は、ジャンとエド・ゲインズが連携して行ってくれるという話しだし、「まぁ、なんとかなるんじゃないかな」とラムリーザは思うのであった。
「ちょっと何すんのよ!」
一方客席では、ソニアとリリスがまだやりあっていた。
リリスはソニアに何かをぶっかけられたようで、濡れた場所をはたいている。それにあわせて、何やら「エンエン」という音がしている気がする。
「へー、ブタガエンってほんとうにエンエン言うんだ」
ユコは、何だか感心したような顔で、体からエンエンという音を発しているリリスを珍しそうに眺めていた。
ソニアはブタガエンの入った小瓶を持ち歩いていて、リリスとの口論が頂点に達したときに思わず振り掛けた様だ。毒性は無いのはわかっている。ただエンエン音がするだけ、イタズラには十分に使えるということがわかった。
リリスは素早くソニアから小瓶を奪い取って、ソニアにも頭からぶっ掛ける。そしてすかさず頭を叩く。エンッ!
この日の帰り道、頭の天辺から足先までブタガエンまみれになった二人は、足を進めるたびにエンエン言わせながら帰路につくのだった。エンッ!
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