敵意
9月10日――
放課後――。
ジャンの店にスタジオができてからだが、一旦部室に集まってから、そのままみんなでスタジオに向かうのがいつものパターンとなっていた。音楽活動は、防音設備が効いただけの部室よりも、いろいろと他の設備も整ったスタジオの方が、よりやる気も出るものだった。
ラムリーザは、ソニアと二人で部室へと向かっていた。
「今日は車で帰るよ。はい、先に言ったからね」
昨日の事を受けて、ソニアは先に言った。そして、自分が運転するなどと言い出すのであった。
「安全運転してくれるのならいいよ」
「うん、片輪走行とかやってみせてあげるよ。街の遊撃手みたいに」
「せんでええ」
片輪走行のどこが安全運転なのか、全く話が通じていない。
廊下を歩いているとき、ラムリーザは自分が手ぶらなのに気がついた。いつもなら鞄を持っているはずだが、何故か今は持っていない。
「あれ? 鞄持ってない。ソニア僕の鞄持ってる?」
「え? あたし自分のしか持ってないよ」
「そうだよなぁ」
ラムリーザは何をぼんやりしていたのか分からないが、どうやら教室に鞄を置き忘れてきたらしい。後で取りに行ってもいいが、教室と部室の位置関係上無駄な往復となるので、今この場で取りに戻ることにした。
「それじゃ、あたし便所に行ってる」
ソニアは、廊下の途中にあるトイレへと入り、ラムリーザは元来た道を戻っていくのであった。
ラムリーザが教室へ入ろうとすると、丁度出てこようとしていた人とぶつかりそうになる。それでもお互いに、思わず身を引いて、すんでの所で衝突は避けられた。
「悪い、危なかったね。ぶつからなくてよかったよ」
相手は、転校生のフィルクルだった。教室の中には、他には三人ぐらいしか残ってなくて、教卓辺りに集まって雑談しているようだ。
フィルクルは、睨むような目つきでラムリーザを見つめていたが、「ふんっ」と鼻を鳴らして目を逸らしてしまった。相変わらず無愛想なようである。
「新しく入ったフィルクルさんだね。僕はラムリーザ、よろしく」
「ラムリーザ?」
「うん、ラムリーザ・フォレスターだよ」
その名前を聞くと、フィルクルの表情が徐々に変わっていく。その表情は、怒りに近いものがあった。
「けっ」
大きく吐き出すと、後はぼそぼそと続けた。「フォレスター家の貴族が――」と。そこには、ラムリーザに対する嫌悪感しか見て取れなかった。
しかしラムリーザは、フィルクルの表情に対して、慣れない場所で緊張しているのだな、ぐらいにしか考えられなかったので、さらに言葉を続けたのだ。
「ごめんね、慌てていて。ところでフィルクルさんは、部活とか決めた?」
「上から見下ろしていい気になっているような態度見せないで。自慢はたくさんよ」
ラムリーザは、フィルクルの反応にハテナマークを頭に浮かべる。上から見下ろす? 誰が? そんなことを考えていた。
「あたしもう行くから」
フィルクルは、わざとラムリーザに体当たりするような感じで肩をぶつけてきて、そのまま通り過ぎようとした。しかし普通の女の子程度では、体当たりでどかせるにはラムリーザの身体は頑丈すぎた。
「――っと危ない」
想定外の固さに思わずよろめいたフィルクルを、ラムリーザは腕を延ばして支えようとした。しかし、その手が彼女の肩に触れた途端――
「触るなドチカン!」
突然フィルクルは、右手の拳でラムリーザに殴りかかってきた。ラムリーザは、肩に手を伸ばしているのと反対側の左手で、その拳を受け止めた。そのぐらいの反応はできるので、視界外からの不意打ちでもない限り、直撃を食らうことは無い。
続いてフィルクルは、蹴りを放ってくる。しかしラムリーザは、上手く足を使ってそれを受け止める。低い蹴りは受け止められたので、今度は高い蹴りを放ってくる。高さは丁度ラムリーザのわき腹の辺りか。ラムリーザは今度はガードをしようとせず、腹に力を入れてその蹴りをそのまま食らう。
「何か誤解しているみたいだけど、僕は敵じゃないよ」
打撃攻撃が全然通用しないラムリーザを見て、フィルクルは顔をしかめる。残念ながら、蹴り技で同じ不良どもをバッタバッタと倒しているレフトールの蹴りを受け止めるラムリーザの身体は、並みの女の子程度の力では、傷一つつかない。ラムリーザの打たれ強さは、半端なかった。
「一つ、二度と私に触れるな。二つ、二度と私に触れるな。偉そうに自慢するのはやめろぉ!」
フィルクルは、ラムリーザを突き飛ばそうと、両手で押してくる。しかしラムリーザを押し退けるどころか、自分の方が少しうしろによろけてしまった。ラムリーザは、ただ立っているだけなのだが、並の子程度の力では以下同文。
「自慢って、何が?」
一方のラムリーザは、わけがわからない。突然いわれもない文句ばかり投げかけられ、さらに暴力――とまではいかないが、手を出してくる。もしもラムリーザが、その辺りのなよっとした男だったら、今頃ひっくり返っていただろう。
「貴族ってみんなそう。いつも上から目線で、自慢ばかり。貴族の身勝手さのせいで、あたしは――」
フィルクルは、悔しそうな目をラムリーザに向けてくる。彼女にとって、ラムリーザが頑丈すぎたのは想定外だった。それがまた、嫌悪感を増幅させる結果にも繋がっている。平手打ちを食らわせようにも、正確にガードしてくるから始末に負えない。
「ラム~、何して――って、転校生がラムに何してんのよ!」
そこにソニアがやってきた。トイレの前で待っていたが、ラムリーザがなかなか教室から戻ってこないので、様子を見に戻ってきたのだ。
「あいや、何もやってないよ。ぶつかりそうになったからごめんって言ったら怒り出した」
「何それ、やな感じ!」
ソニアは、ラムリーザの後ろからフィルクルをにらみつける。
「あーあ、貴族の取り巻きが来た。どこにでもこんなのが居るのよね!」
フィルクルはそうつぶやくと、ラムリーザを押しのけようとする。ラムリーザは、特に抵抗はせずに、脇へ避けて通してやった。
そしてフィルクルは、そのまま立ち去るかに見えたが、急に反転して、再びラムリーザに殴りかかってくる。彼女的には、一発だけでも有効打を得られないと気がすまなくなっていたのだ。
そこに割り込んできたのは、丁度たまたまラムリーザの居る教室へ足を伸ばしてきたソフィリータであった。ソフィリータは、フィルクルがラムリーザに突っかかっていっているのを見て、すかさず割って入る。
「何ですか?! なぜリザ兄様が襲われているの?!」
「僕もよくわからないんだ。何を怒っているんだよ、詳しく事情を話してくれないと困るよ」
「あっ、不良ですね、あのレフトールみたいな。ああいうのは男だけとは限りません。あなた誰だかわかりませんが、この人を相手にするならまずは私を倒してからにしてもらいます」
そう言いながら、ソフィリータはラムリーザとフィルクルの間に立ちはだかった。
「やっぱりそうなるのね」
フィルクルは、ソフィリータに威圧されて少し怯んだかに見えたが、ラムリーザをじっと睨みつけている。
「そんなに怒られてもなぁ、困っていることがあるのなら言ってくれたら相談に乗るよ」
「聞いてどうすのさ、偽善者! あんたみたいなのは、今みたいに取り巻きにちやほやされていて、適当に金ばらまいていればいいのよ。あたしみたいに民衆なんか無視してね!」
そう言い捨てて、フィルクルはその場から駆け去ってしまった。
そこには呆然としたラムリーザ、不満そうな顔をしているソニア。二人はフィルクルが見えなくなるまでじっと睨みつけていたソフィリータだけが残された。
少しの間、その場に沈黙の時が流れた。
「何あいつ~、ラム何があったのよ」
静けさは、ソニアの言葉で終わりを告げた。不満そうな顔と声で尋ねてくる。
「全くわからん、むっちゃくちゃ怒り出した。あーでも、不用意に肩を触ったからかな? 痴漢とか言われたし」
ラムリーザに思い当たる点はそのぐらいであった。結果的にはぶつからなかったし、他に彼女を怒らせた事情は思いつかない。
「なんだか危険な人ですね。次からあの人に会う時は、私も同行させてください」
「いや無理だよ、クラスメイトだし」
ソフィリータはラムリーザの身を心配しているが、クラスメイトである以上、何もしなくても教室で会ってしまう。
「あの人なんか嫌い。ラムの事を悪く言うような人って信じられない」
ソニアはまだ怒っている。その声からは、不快感が強く感じられていることがよく分かる。だがラムリーザは、憤慨しているソニアをなだめた。
「正義は一つだけじゃないからね。一つの正義も、反対側から見たら悪になることもあるのさ。真理が一つじゃないってのもよくある話だろう? 僕も気をつけて、二度とあの子には触らないようにするから」
「それじゃあたしはあいつのこと菌扱いしてやろ。触るなって言うのなら、みんなに触らないように言いふらしてやるんだ。フィルクル菌ってのをね」
「いや、そんな小学生のいたずらみたいなことせんでいいから」
「でもラムを嫌がられているのって、あたしが嫌がられているみたいなものだよ」
「まあいいから、全ての人と仲良くするなんて無理だよ。ほら、部室行くぞ」
あまりやりすぎると、転校生と言うこともあり孤立してしまう恐れがあるので、ラムリーザはソニアをなだめ続けるのであった。ラムリーザ的には、フィルクル一人に嫌われたところで、全体に影響はほとんど無かった。自分も気に入らない人は居るわけだし、お互い様として触れないようにする、で済ませたかったのだ。
こうして少しばかりめんどくさかった時間は終わり、再び部室へ向かうこととなった。
「あっ」
廊下を歩いている時、ソニアは突然ソフィリータの足元に手を伸ばした。ソフィリータは、すばやく身を翻して距離を置く。
「何で逃げるのよ。ほら見て、銀貨が落ちていたよ」
ソニアは拾った銀貨を見せるが、ソフィリータは持っていた鞄で太股の辺りを隠しながら言った。
「ソニア姉様が、靴下をずらしにかかってきたのかと思いまして」
「そんなことしないよー。やるとしてもリリスにしかやらないよ」
ソニアは心外といった感じの顔をするが、ソフィリータは忘れていなかった。夏休みの南の島キャンプで、一発芸大会が発展してプロレス大会になった時のことを。意味不明な嫌がらせのことを。
そんなわけでソフィリータは、ソニアが近づくと何気なしにサイハイソックスの履き口部分を鞄で隠して、触らせないようにしているのである。
ラムリーザは、この謎のやり取りを見たおかげで、フィルクルのことは頭から消えてしまっていた。やはりソニアは見ていて楽しいね。
その後部室に集まり少し雑談したあとで、ジャンの店にあるスタジオへと向かっていったのである。そして今日のラムリーザたちは、他のメンバーとは別行動して忘れずに親戚の屋敷から車を回収して、ジャンの店で合流するのだった。
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