正しいこと、間違っていること
6月6日――
放課後、軽音楽部の部室では、ラムリーズのメンバーが集まって、それぞれ活動をしている。
ラムリーザとリゲルは、ドラムとギターでリズムを合わせる練習をしていて、ソニア、リリス、ユコ、ロザリーンの四人集はピアノの周りに集まってなにやら話し合いをしている。
……雑談部再発か?
最初はロザリーンの演奏を大人しく聞いていたのだが、その内かわるがわるピアノの前に座って思うままに弾いて見せ始めるのだった。
「こうやると、ロックンロールっぽく見えるかも」
そう言って、リリスは鍵盤を肘でスライドさせてグリッサンドを弾いてみる。もっとも、ピアノの鍵盤はちょっと固くてうまく音は出なかったが。
「いや、別に肘で弾かなくてもいいような気がしますよ」
残念ながら、ロザリーンはあまり乗り気では無さそうだ。
「だったら、あたしはこうだ!」
そう言って、ソニアはリリスに代わって座り、自分の大きな胸を抱えると、鍵盤の上に落とすように乗せた。
ジャーンと部室内に不協和音――というより雑音と言った方がいい音――が響き渡った。
その様子を、ラムリーザとリゲルは離れた位置から見ていた。
「お前の女、アホだろう」
「…………」
リゲルに自分の彼女をアホ呼ばわりされて怒るべきなのだろうが、どうしてもそれができないところが非常に残念に思うラムリーザであった。
「うぎゃっ!」
その時、部室内にソニアの悲鳴が響いた。何事だ?
ロザリーンが突然ピアノの鍵盤蓋を思いっ切り叩きつけるように閉めたため、ソニアの胸が挟まれてしまったのだ。
「いったぁい! 何すんのよ!」
ソニアは胸を抱えて、涙目になってロザリーンを睨みつける。
「ピアノをそんな破廉恥な使い方しないでもらえますか?」
ロザリーンは、怒りを隠さずに厳しくソニアに言い放った。
リリスはニヤニヤと笑い、ユコは困ったような笑顔、つまり苦笑を浮かべている。
「だからって酷いじゃないの!」
「酷いのはあなたです」
その後、部室内にソニアの上げる非難の叫び声が何度も響き渡ることになった。ちっぱいだの、乗せるだけの胸が無いくせにだの、とてもじゃないが聞いていられない内容だ。
「…………」
「おい、ラムリーザ。あれなんとかしてこい……」
離れた位置でその光景を見ていたリゲルは、演奏を止めて静かに冷ややかに言った。リゲルの言うとおり、先程から発しているソニアの暴言は、とてもじゃないが聞くに堪えない。
ラムリーザ仕方なく立ち上がると、口論が繰り広げられているピアノの方に向かって行った。
「君たちはいったい何をやってるんだ、ギャーギャー騒ぐんじゃない」
ラムリーザはずっと見ていたので何をやっていたのかはわかっている。それに、騒いでいるのはソニア一人だ。
「ローザがね、酷いことするの! ラムも言ってやって! こいつね、自分のちっぱいさを僻んでいてね!」
ソニアは、味方が来たとでも言うかのように、ますます強気にロザリーンを責めたてる。だがロザリーンは、落ち着き払って事実をそのまま述べた。
「ソニアさんが、胸でピアノ弾くなんてふざけたことするから許せなくてですね」
「ああ見てた、ロザリーンが正しい……ったく、アホなことやってるんじゃない、それともう騒ぐな」
「むー……」
剥れるソニアをほっといて、ラムリーザはさらに言葉を続けた。
「僕はちょっと用事を思いついたから居なくなるけど、君たちはピアノの周りに集まってないで、自分の練習をすること。いいね?」
「はいっ」
素直に返事をしたのはユコだけだ。彼女はピアノの傍を離れて、テーブルの方に向かっていった。
返事はしなかったが、リリスもピアノの傍を離れていった。
ソニアは胸を押さえたまま、ソファに座り込んでしまった。よっぽど痛いのだろうか……。
ロザリーンはそんなソニアを見て、ふんと鼻を鳴らすと再びピアノを弾き始めた。
みんなそれぞれ活動し始めたのを見届けて、ラムリーザは生徒会室に向かう。とりあえず、外でライブの予行演習を行うために、許可を貰いに行ったのだった。確か生徒会長はジャレスだったので、ラムリーザの願いは快く受け入れてくれるだろう。
夜、下宿先の自室に戻ったとき、ソニアはいつもと違って沈み込んでいる感じだった。そういえば、ラムリーザが校庭でのライブの許可を貰って生徒会室から戻ってきた後も、ソニアはあまり積極的に活動していないようにも見受けられたのであるが。
ソニアは大きな胸を抱えて俯き気味である。
「ソニア、胸が痛むのか?」
ラムリーザは少し心配になって声をかける。ピアノの蓋で挟まれた所が、まだ痛んでいるのかもしれない。
「うん、ちょっと……」
ソニアが元気なく答えたので、ラムリーザは、ソニアをソファに座らせ、肩に手を回し抱き寄せて言った。
「少し見せてごらん」
要するに胸を見せろということなのだが、ソニアは抵抗せずにブラウスのボタンを外して胸を出した。確かに胸の半ば辺りに、横一直線のあざができている。
「あー、これは痛いな……」
ラムリーザはやさしく揉んでマッサージしてやる。あまり力を入れずになでる感じで。
「どうだ? 痛むか? あとでお風呂でもマッサージしたらいいかな」
「うん……、でも気持ちいい」
しばらくマッサージしてやるが、相変わらずソニアは沈み込んでいる感じだ。
「んー、それとも冷やすほうがいいのかな……」
「ラム……」
その時、ソニアはラムリーザの顔を見ながら呼びかけた。その目は悲しそうな感じだ。
「どうした? そんな目をして」
ソニアはしばらく訴えかけるような目でラムリーザを見ていた。そして、ふいに視線をそらして呟いた。
「どうして……どうして庇ってくれなかったの?」
「……そういうことか」
そういうことだ。ラムリーザは、なぜソニアが落ち込んでいるのかを理解した。部活でロザリーンと口論になったときに、ラムリーザが味方になってくれなかったのが原因なのだろう。しかし、元はと言えば、ソニアが馬鹿なことをしたからであって、言わば自業自得のようなものだ。そこに庇ってやる道理など存在しない。
だが、今その事について突っ込めば、ソニアはますます落ち込んでしまうだろう。
だから、ラムリーザは言葉を選んで言ってあげた。
「僕はね、ソニアが理不尽な責めを受けているときに、全力で庇ってあげたい。だから、ソニアが間違っているときは、ちゃんとそれを正していこうと思っているんだ」
「でも……」
「でも? つまりソニアは、僕の加護や権威を盾にして、無理を通して道理を引っ込めて、自分勝手に振舞いたいのかい?」
「う、ううん」
「じゃあ、今日の事件の原因は何かな?」
ソニアはすぐに答えず、しばらく目を泳がせていた。
やがて再びラムリーザの方を見て、そのまま少し俯いて答えた。
「……あたしが馬鹿なことをやったから」
「そうだね、僕も見ていて恥ずかしかったよ。これからは気をつけようね」
「……うん」
そこでラムリーザは、ソニアの落ち込んでいる雰囲気が、悲しみから後悔に変わったように感じた。そして、素直な娘でよかったと思う。
「それでも傷ついた胸は、なんとかしないとね。血行を良くしたら治るかな」
この場合、傷ついた胸というのは、外傷を指すのか心を指すのか。
ラムリーザはその両方を癒すために、さらにマッサージを続けるのだった。
「あん……、胸の先は触らないで……」
「ん? そこも痛むのか?」
「ひゃうっ、……ダメ……」
だんだんとソニアの目がトロンとしてくる。そして顔もだんだん赤くなり、息も荒くなってくる。ラムリーザの方も、そんなソニアを見て徐々に興奮した。
それにしても、ソニアが素直な娘でよかったとラムリーザは思った。これで好き放題したいなどと言い出した日には、交際を考え直す必要があった。そのような乱暴な娘は、自分の評判を下げるだけにしかならない。
ラムリーザの家は、かなりの権力を持っている。しかし、幼少の頃からそれに奢らないよう厳格な教育を受けてきたのだ。だからラムリーザは、間違っていることを間違っていると理解できる人間になっていた。