清くない交際がばれても意外となんとかなるかもしれない
8月10日――
この日の昼食後、ラムリーザとソニアの二人は屋敷の庭園に散歩に出掛けた。
庭の木々からは、わおわおと蝉の声がやかましく鳴り響いている。今日も日差しは強い、夏真っ盛りだ。
ラムリーザから少し遅れてついて来ていたソニアは、ラムリーザの隣に並ぼうとして少し駆け足で近づいた。その時、石畳の段差に足を取られて前につんのめてしまった。
「ほらもう、足元――、今日もいい天気だねぇ、蝉がうるさいねぇ」
「わざとらしく話題変えなくてもいいよもう……」
ソニアは今度はラムリーザの隣に並び、腕を絡めた。これでひとまずは派手な転倒は防ぐことができるだろう。
「しかし、こうして二人で庭を散歩するのは、あの日以来だな」
それはこの春、ポッターズ・ブラフに出発する少し前の事だった。さらに言えば、ラムリーザがソニアに告白する直前の事だ。
あの頃はまだ二人は腕を組むことは無く、ソニアはラムリーザの周りをうろうろしているだけだった。
「ねぇ、あの日寝転んで何を考えていたの?」
それは、今二人が立っている、腰ぐらいの高さのこんもりとした芝生で覆われた小さな山だ。
あの日、ラムリーザは二人で散歩に出たものの、すぐにここに寝転んで考え事をしていたのだった。
ラムリーザは、あの時と同じように寝転んでみる。するとソニアは、同じように横たわり、すぐに右脇に引っ付いた。あの時と違い、二人の距離はゼロになっていた。
「あの時かぁ。ソニアを連れて行くかどうするか、連れて行くにはどうすればいいか、そんな事をずっと考えていたなぁ」
「それでその日の夜、突然の告白に繋がったのね」
「受け入れてくれなかったら、一人で行く覚悟はできてたけどね」
「あ……」
ソニアは何かを思い出したのか、少し顔を強張らせた。ソニアは一度、ラムリーザを受け入れない光景を見たことがあったのだ。それは……。
「はい、悪夢の話はもう忘れようね」
ラムリーザは、ソニアの気分が沈む前に制しておいた。そして、右脇に引っ付いてきているソニアの身体を抱き寄せて、自分の身体の上に乗せる。
「ラム……」
「こうして堂々と抱き合う仲になるとは、五ヶ月弱で変わりすぎだよな」
「はぁ……、五ヶ月前とはラムとはただの友達、ただの幼馴染だったのかー」
「今の二人は何だい?」
「変人!」
ソニアは真顔で力強く言い切った。
「いや待て、文章で書く場合その誤字は百歩譲ってありえると言ってやる。だが言葉に出して間違えるのはわざとだよね? おかしいだろ?」
「ラム、あなた疲れているのよ」
「ごまかすな」
「ひまわりの種が好きな、変人ラム」
「あのなぁ、百歩譲って僕は変人でも別にいい。いや、よくないけど。それで、ソニアの彼氏が変人だってことは受け入れるのか? 将来の旦那が変人なんだぞ?」
「キスしようよ」
「ちょっ――」
ソニアは、ラムリーザがソニアのよく分からない台詞に真面目に受け答えしてあげていると、その隙を突いていきなり唇を奪ったのだった。
遠くに入道雲が並んでいる以外は、大海原のように広がる青空。夏の強い日差しが差し込む芝生。その芝生に寝転がってキスをする二人。聞こえる音は蝉の声とほちょん鳥のさえずりだけ。
二人の時は、誰にも邪魔されることなく、ただ静かに過ぎていった。
「ラム……、大好き……」
「そうだな、僕もソニアが大好きだよ……、愛してる……」
キスで気を良くしたのか、ソニアはラムリーザに甘えてくる。ひょっとしたら、キス以上のことまでやってしまいそうな雰囲気だ。
だが、この開けた場所は屋敷の窓からよく見えてしまうので、家族に見つかってしまう可能性が高い。
清い交際をしていることになっているので、母親のソフィアに見つかるのだけはなんとしても避けなければならない。というより、キス以上のことをやったことがある時点で、すでに清い交際も何もないのだが。
この時までにラムリーザは、ばれなければそれでいい、そういう考えだった。
「ちょっと暑いな」
ラムリーザは、ソニアの太ももに手を当てる。すべすべとした肌以上に、ひんやりとした感触が心地よい。
しかし暑さで熱を持ったラムリーザの手を押し付けられたソニアは、
「暑い!」
と顔をしかめた。
「僕は冷たくて気持ちいいよ」
「ヤダ!」
そんなわけで、芝生の山から立ち上がり、ソニアの手を取って屋敷の裏手に回っていった。そこは屋敷の陰になっていて、日も当たらずに薄暗く、茂みに入れば夏でも涼しい場所だった。
ラムリーザはソニアを茂みに連れ込んで言った。
「えっと、ここなら大丈夫かな」
えーと……、以下省略。
――ラムリアースは、二階にある自室の窓から裏庭を眺めていた。
とくに何かを見ようと思ったわけではない。書物を読むのに疲れて、目を休めるためにたまたま裏庭を眺めていただけだったのだ。
ラムリーザとソニアがそこに現れて、二人で一緒に茂みの中に入っていくのが見えた。
そこは茂みと言っても垣根のようになっていて、横から見れば遮られているが、上からは丸見えだった。
つまり、ラムリアースは、ラムリーザとソニアの二人の時間について一部始終を全て見ているのだった――。
………
……
…
「ふう、やれやれだ」
ラムリーザは一息ついて、その場に座って一休みしていた。
「こりゃまるでなんだな、ソニアは嫌にならないか?」
「どうしてそんな事思うの? 大好きなラムと一緒に居られるんだから、嫌なわけないじゃない」
「それはそれなら良いとして――」
ラムリーザはなんとなく、二人の関係についてソニアに話しておこうという気になった。
「――母に隠していることがあるんだな」
「え? ソフィア様に?」
「僕たちは、清い交際をしていることになっているんだ。だけど、清いかねぇ?」
「いいの、ついで! どうせあたしたち、もう清くないもん!」
「まあいいけどさぁ……」
ラムリーザは、何気なく屋敷の方を見上げると、二階の窓からこちらを見ているラムリアースと目が合ってしまった。
「しまった……」
「どうしたの?」
「あいや、いや、いややや、どうしたもんだろねぇ」
ラムリーザは慌てていたが、ラムリアースは何故か親指を立てるポーズを見せてニヤッと笑い、窓から消えていった。
とうとう家族にばれた。実家でやるのがそもそも間違いだった。だがそれが兄だったのが不幸中の幸いだ。
呆然と立ち尽くすラムリーザの腕を、ソニアは立ち上がって引っ張った。そして、「タオルがない……」と困ったような顔でラムリーザの顔を見上げてくるのだった。ソニアの足には土がたくさん付いていた。
「ああ、ないねぇ」
とりあえず相槌を打ちながらも、ラムリーザは内心気が気でなかった。一刻も早く兄の元に向かって、口止めしなくては……、そんなことで頭の中はいっぱいだった。
「ふえぇ、どうしよう……」
「どうしようはこっちの台詞だ。そこの水道で洗えばいいだろ」
ソニアは、ラムリーザに示された庭にある水道に向かっていき、ホースの先を掴むといろいろと洗い始めた。
「ふぅ、タオルが無いから乾くまで水浸しかな?」
「そのスカート丈で水浸しか、大惨事だな」
「なにそれどういう意味よー」
「いや、そんなことはどうでもいい! 日なたに出て日光浴でもしていたら自然と乾くだろ。つか部屋に戻れよ。こっちは大事な用があるから、後は自分でなんとかしろ」
ラムリーザはそう言って、ソニアを裏庭に残したまま屋敷に戻り、兄の部屋へまっすぐ向かっていくのだった。
この日の夕方には、ラムリーザの父であるラムニアスも帰省していた。
年に一度、あるかないかのフォレスター家一家団欒が生まれたのである。
父は、兄とは同じ城勤めでよく会っているので、自然とラムリーザの近況についての話題になってくる。
「ラムリーザは一人で新しい町で生活することになったが、しっかりやってるか? 困ったことや問題は起きてないか?」
「全然大丈夫だよ、父さん。それと、一人じゃなくてソニアも一緒に行くことになっているから」
「ああ、そういえばソニアと付き合うことにしたのであったな。父さんは別に反対はしないが、夜の営みはうまくやっているか?」
そこまで聞いて、ラムリーザとソニアは同時に「ぶっ」と食べていたものを吐き出してしまった。さらに母のソフィアが二人にとって痛いことを重ねてくる。
「ラムリーザとソニアには早すぎます。二人とも清い交際をしているのですよね?」
「お……、おう……」
ラムリーザはそう答えるのが精一杯であり、ソニアは何も言わずに赤い顔をしたまま俯いてしまった。
これは、今日真昼間から、裏庭でウフフなことをしていたなんて、口が裂けても言える状況ではない。しかし、今日は都合の悪いことに目撃者が居た。
「いや、ラムリーザとソニアなら、今日の昼――」
「兄さん! 話が違――っ!」
ラムリーザは、わたわたとしながらラムリアースの言葉を遮った。
今日の昼、あの後ラムリアースの部屋に行って、見なかったことにしてくれとか、清い交際をしていることになっている旨を伝えたりいろいろしていた。
ラムリアースは、その時は笑って言ったものだ。
「俺もお前ぐらいの時は、権力と金に物を言わせて同級生の女に好き放題やったもんだ。もっとも、城勤めし始めてからは真面目に堅物ぶっているけどな。その点ソニア一筋のお前は、かえって清々しいと思うわ」
「さっき見たことは親には内緒で……」
「それはわかった」
そこでラムリアースは、さらに今向こうでどう生活しているのか等を聞いた。ラムリーザは同棲状態だということを隠さずに話したら、ラムリアースは「そりゃ清い交際しろと言われても無理だわ」と笑いながら言うのであった。
結局この後、二人の初めてから何から何まで、根掘り葉掘り聞かれたものだが、ラムリーザは黙ってくれることを条件に全部答えるハメになったものであった。
「――まあこの二人は、俺が居ないとまともに仲良くできないからなぁ」
そういう事もあり、ラムリアースはさらっと話を変えてくれたのであった。しかしその後で、さりげなくラムリーザとソニアにとって重要なことを聞き出してみた。
「ラムリーザとソニアが清くない交際したらどうなるん?」
「あぐ……」「ふえぇ……」
ラムリーザとソニアは、同時に変な声を上げてしまう。でも、それは念の為に聞いておきたいことでもあった。
「そうですねぇ……」
ソフィアは、ソニアの母であるメイドのナンシーの顔を見据えた。ナンシーは「そんな恐れ多い事……」とだけ答えた。特にその先は考えていないようだ。
「ラムリアースみたいに好き放題やらかすよりは、ソニアだけって決めておけば問題ないぞ。結婚も視野に入れているんだろう?」
一方父ラムニアスは、何気に肯定的な様子だった。
「特にどうなることはありません。ラムリーザとソニアのモラルに任せましょう」
ラムニアスが肯定的な以上、ソフィアも否定的に考える必要は無いと判断したのか、さっさとこの話を切り上げてしまった。
「ま、何かトラブルが起きたらすぐに連絡するんだぞ。危害を加えるような者が出てきたら、すぐにレイジィを派遣するからな」
レイジィとは、ラムリーザに幼い頃から専属で付けられていた警護のような者だ。今現在は帝都に残り、主に屋敷の警護に当たっている。
あまり心配をかけるのも気が引けるので、ラムリーザは何ともない風に言うのだった。
「たぶん大丈夫。なんだかのんびりした田舎だしね」
「嫌な奴なら居るよ、風紀監査委員とか風紀監査委員とか!」
しかしソニアが、不満そうに言葉を続けた。
「それは、お前が制服を乱して着るから目をつけられるのだ」
「むー……」
などと話しながらの、久しぶりの一家団欒であった。
清い交際というのは建前であるだけで、意外とそんなに大事なことではないのかもしれない。これが分かったことが、一番の収穫かもしれない。
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