シロヴィーリ家のイシュト嬢
8月22日――
ユライカナンの最東端、サロレオームの都。その地域を治める領主が、シロヴィーリ卿である。
そしてこの休日、領主の娘イシュトがラムリーザと一緒に行動して町案内をしてくれることになっていた。予定は朝の10時ぐらいに合流して、途中で昼食もいっしょにといった流れだった。
「なるほど、そうきたか」
ラムリーザから今日の予定を聞いて、リゲルは何だか納得したような表情を浮かべて言った。
「なるほどって何が?」
「先日の不手際の埋め合わせってやつだな。年頃の娘をあてがって、罪滅ぼしか機嫌取りかそんなところだろう」
「そんなひねくれた考えは感心しないなぁ。それに僕はもう気にしていないのに」
「逆の立場で考えてみな。フォレストピアにユライカナンの客人を呼んで、その時に暗殺未遂が発生したら、お前ならどうする?」
「う~む……」
ラムリーザは返答に困った。たしかにリゲルの考えにも一理ある。というよりも、基本的にリゲルの言うことは理にかなっていることがほとんどだ。だから彼を、参謀のように扱っているところがある。
「娘が来たら聞いてみたらいい。親父に言われて今日のイベントを企画したのだろ? と」
「そんなこと聞けないよ。ただしソニアは連れて行くからね。二人きりで合うと、後で揉めるのわかりきっているし」
「今も揉めてる!」
横からソニアが口を挟んでくる。ソニアはラムリーザから今日の事を聞いてからずっと不機嫌だった。ラムリーザが折れて、同行させてやるよと言ってからは落ち着いたものの、「そのイシュトって奴も寝取ろうとしているだけ」と決め付けているからめんどくさい。
イシュトは「ラムリーザ一人で」と言っていたが、そこは謝罪と説得をうまく混ぜ合わせて変更してもらうことにした。とにかく二人きりのデートといった形にするわけにはいかないのだ。
さて、リゲルの考えは置いておくとして、待ち合わせと言ってもラムリーザはこの町の地理を詳しく知っているわけではない。そういうわけで、待ち合わせ場所は宿泊しているホテルの一階ロビーということにしておいた。
時間が近づいてきたので、ラムリーザはソニアを率いてホテルの一階へと降りていった。まだ待ち合わせ時間の十分前であったが、イシュトは既にロビーで待っている。
「おはよう、イシュトさん」
「あら、おはようございます、ラムリーザ様」
ラムリーザが挨拶をすると、イシュトも気がついて立ち上がり挨拶を返した。
今日のイシュトは白いブラウスの上から薄紫色の上着を羽織り、濃い灰色のスカートと領主の娘としてはあまり目立たない格好であった。そして、まるで夜明け前の空のような群青色の髪の毛が美しい、とラムリーザは感じていた。ウェーブのかかった前髪を両サイドに垂らしていて、後ろはお下げが一本、その先は小さな白いリボンで留められていた。
一方ラムリーザとソニアは、舞台衣装も兼ねている学校の制服のまま。ソニアなどは学校や公演じゃないのだからと言って、嫌いなサイハイソックスを取ってしまっているので、短いスカートから伸びた生足がヤバい。
「ラムリーザ様、その娘は? 確かメンバーのソニアさん?」
「ああイシュトさん、いろいろあるけどまず様付けはしなくていいですよ。僕も君も領主の子息といった同じような身分、そんなかしこまらなくても大丈夫」
「あらそうですか? ではラムリーザさんで」
「うん、それでいいよ。あとソニアだけど、実は僕たちはもう付き合っているんだ。だからイシュトさんと二人きりで出かけるとなるといろいろとマズいんだよ。だから邪魔はさせないから、せめて同行させてやってください」
ラムリーザは、ソニアとの関係を隠さずに話し、頭を下げて頼み込んだ。
「あらあらまあまあ――」
ソニアは驚いたような顔を見せる。しかしすぐに穏やかな顔を取り戻して言った。
「わかりました。ラムリーザさんもしっかりしているのですね」
「そうよ! あんたになんか寝取らせないのだから!」
ソニアは一人息巻いているが、ラムリーザに胸の先端をつままれて「ふえぇ」と漏らして黙り込んだ。
イシュトは再び「あらあらまあまあ」と言っただけで、ソニアの凄みにも怯むことなくニコニコとしている。
「それではソニアさんもよろしくお願いします」
イシュトの挨拶に、ソニアは「ふんっ」とそっぽを向きかけたが、ラムリーザに尻を叩かれて、慌てて「よろしくお願いしてあげるからありがたく受け取りなさい!」となんだか意味不明な挨拶で返してくるのだった。
まるでソニアが高慢な貴族令嬢に見える。ただし、おだやかなイシュトが本当の貴族令嬢。ソニアはただのメイドと執事の娘である。
こうして、イシュトの案内でサロレオームの町巡りが始まった。
ラムリーザは、本当はみんなにも町巡りをさせてやりたかったが、もともとイシュトがラムリーザ一人でと言ったので、仕方なくソニアだけにしたようなものだ。イシュトの狙いが何なのか? リゲルの言うとおり親に言われてならば問題ないが、もしもラムリーザ個人とより親密になりたいと考えているのならば、ソニアは邪魔になる。しかし邪魔だと扱うわけにはいかない。リゲルのように開き直って二股とかも遠慮したい。ラムズハーレムなどは、リゲルが勝手に言っているだけで、ハーレムなど形成されているはずが無い。ラムリーザは一人そんなことを考えながら、ソニアと並んでイシュトの後をついていくのだった。
「お二人とも、仲がよろしいのですね」
イシュトは、少し振り返ってそう言った。
「実は生まれたときから一緒なんだよ」
ラムリーザは、ソニアとの関係を語る。
「あらあら、幼馴染なのですか。いいですねそういうの、わたくしも時々幼馴染が居たらなと思う事がありますよ」
イシュトはゆったりと、優しそうな口調で語っている。
「イシュトってリリスとかと違うね。あいつらは露骨に寝取ろうとしてくるけど、イシュトはそうじゃないみたい。イシュトも吸血鬼とか呪いの人形って嫌いだよね」
ソニアは、イシュトのおっとりとした雰囲気に安心したのか油断したのか、最初の敵対心が消えて普通に接している。
「吸血鬼に呪いの人形ですか? ヴァンパイアもアナベルも興味有りますよ。わたくし、ホラー映画とか好きで、今丁度映画館で吸血鬼ノスフェラトスというのやっていますよ」
「ホラー映画好きなのですか。見てみようかな……」
ラムリーザは、この娘はリゲルと気が合いそうだなと思いながら、それでも何故か見てみようと言い出してしまった。リゲルからいろいろと話を聞くうちに、自分自身も興味を持つようになってしまったのかもしれない。
「呪いの人形なら、こんど死霊紅魔館というのがそれを扱った映画だと聞きます」
「くっそー、リリスもユコも映画に出やがって。あたしは出ていないのに!」
ソニアは一人で憤っている。ラムリーザは「それなら風船おっぱいお化けの出てくる映画はあるかな?」と聞こうと思ったが、わざわざ平地に乱を起こすのも馬鹿馬鹿しいので黙っておくことにした。おそらくリリスやユコなら言っていただろう。
「それでは丁度映画館の近くに来ましたので、見ていきましょうか。わたくしも見てみようと思っていたので、ちょうどいい機会です」
「いいよ、見てみよう」
ラムリーザはイシュトに同意して、映画館に向かった。ソニアは一人「えー」などと乗り気ではないみたいだが、今日のソニアは付録だ。いや、付録って何だろうね。
こうして、まずは映画鑑賞から始まった。
映画が終わって映画館から出ると、昼の日差しが眩しい。まるで吸血鬼にでもなったかのように、日の光に照らされて塵と化してしまいそうだ。
ソニアなどは、「吸血鬼の実態が良くわかった。リリスにはより一層の警戒を」などと言っている。
「ゾンビが出てこなくても、怖い映画はできるのだね」
「あら、ホラー映画はゾンビだけではありませんわ。吸血鬼、狼男、そしてソニアさんが言っていたように呪いの人形。物によっては家自体が悪魔になっていて、住民を苦しめるというのもありますよ」
「そ、それはすごいなぁ」
ラムリーザはリゲルに聞かされた範囲しかしらないし、最近はヨンゲリアの話でもちきりだったのでゾンビぐらいしか知らなかった。そしてなんとなく、もっと他のホラー映画を見てみようかな、という気にさえなりかけていた。
こうなるとソニアは、「ラムが見るなら見る、見ないなら見ない」といういつもの行動に出ると思われるので、やりやすいと思う。
「ところで、ユライカナン最新の映画はどんなのだろうかな?」
ラムリーザは、いつの間にかイシュトと映画談義に興じていた。
「そうですね、キー・プスィ・オメガ・マーダーズでしょうか? なんだか二人の殺人鬼コンビ、いえ表向きは害獣駆除を装っているけど、契約次第では人殺しも受け持つみたいでして。それに巻き込まれた主人公とヒロインの、どたばたコメディ? ホラーなのかしら? あらあら?」
「なんだか面白そうですね。次の機会があったら、それも見てみたいかな」
「わたくしの家に、大きなシアタールームがありますわ。こちらにいらした時は、ぜひ一緒に見ていきましょうね」
ソニアが会話に置いてきぼりになっているが、ラムリーザはイシュトの反対側で、ソニアの肩を抱き寄せて歩いていて、その埋め合わせをしているつもりだった。
「ソニアさんは、どんな映画が好きですか?」
と思ったら、イシュトは気を利かせてソニアにも話を振ってくる。
「あたし? えっとね、呪いの人形と吸血鬼が戦って共倒れになるやつ」
「えーと、近いものではモンスター対狼男というのがありますが……」
「吸血狼男?」
「ええ、それもありますわ」
「あれれ? 実在したんだ」
ソニアは適当にリリスを攻撃していた言葉が、そのまま普通に映画として存在していたのをしって一人笑い始めた。
「なーんだ、リリスって映画のネタに事欠かないのね、あははっ」
ソニアが勝手に呼んでいるだけだが、そういうことなのだろう。
昼食は、ごんにゃとはまた別のリョーメン屋、スワキリョーメンという所に立ち寄ってみた。
とても領主の息子娘が立ち寄るような雰囲気の店ではないが、そういった庶民じみたところがラムリーザの周りに人を集め、またイシュトも似たような感性の持ち主だったということだろう。
「へぇ、ごんにゃ以外にもリョーメン屋があるんだね」
「わたくしは、ここのリョーメンが好きですわ。他にも、フータ、バリバリ、ヤマキンなどいろいろありますよ。抽選の結果、ごんにゃがフォレストピアへ行きましたが、まだまだ他にもあるんですよ」
「なるほどー、やっぱり店によって味が違うのかな?」
「はい、ここではピリゴマリョーメンがお勧めですわ」
「冷たいのある?」
「冷やしピリゴマかしら?」
「ではそれで」
そんなわけで注文してみたものだが、トウガラシが利いていて辛い系のリョーメンだった。トッピングとして、トウガラシがそのまま乗っているが、激辛カレーで慣れたのか、ソニアはトウガラシをそのまま食べている。
「ところで、ラムリーザさんは吸血鬼に襲われたらどうしますか?」
ここでも映画談義は続いていた。
「そうだねぇ、噛みつかれなければいいのだから、相手が近づいてきたら顔を掴んで近づけられないようにしてやるかな」
ラムリーザは、なぜかちらついて仕方が無いリリスの顔を振り払いながら答えた。ソニアがリリスのことを吸血鬼吸血鬼と言うから、いつの間にかラムリーザの中でも定着してしまいつつあった。
「あらあら、勇敢ですのね」
「ラムはね、勇敢さの徳は極まっているけど、清らかさの徳が足りない」
「何ですかそれは?」
「いや、気にしなくていいよ」
久々に出てきた徳の話。別に誰が聖者になろうが関係ない。ソニアがなりたければ、ソニアが聖者でも何の問題もないものである。
昼食が終わった後は、適当に町並みを見物しながらそのままイシュトの住む屋敷へと向かっていた。屋敷ではイシュトが二人のためにケーキを焼いてくれると言うのだ。
ケーキが出来上がるまでの時間、ラムリーザは庭にあったデッキチェアで横になって待つことにした。どこに行ってもラムリーザはこんな感じである。
その時突然茂みがガサッと言って、誰かが現れた。ラムリーザは素早く身を起こすが、現れた人物は見かけた人だった。
「あれっ? ラムリーズのリーダー?」
「えっと、ウルフィーナさんでしたっけ? あーびっくりした、何故そんなところから現れるんだい? てっきりまた襲われたのかと」
「この庭にはいろいろな花があってね、丁度ここにミシアの花が咲いているんだ」
なんだか聞いたような名前だなと思ったら、例の五花術で使う花の一つだった。
「使えば敏捷度が上がる五花術だね」
「あ、知ってるんだ五花術」
「ユライカナンの人に聞いてね」
「それよりもお姉ちゃんどうだった?」
「そうだね――」
ラムリーザは、ウルフィーナに姉のことを尋ねられ、思わず言いかけた言葉を飲み込んだ。
やはり父親か誰かに言われて、今日一日付き合っていたのか。しかし、そんな外交に娘が使われるのはかわいそうだ。このことだけは聞く事ができなかった。
だから簡単に、「吸血鬼が怖かったよ」とだけ答えていた。それを聞いて、ソニアはきゃはっと笑った。どうせリリスのことを連想したのだろう。
ウルフィーナは姉のホラー映画好きを知っていたのか、くすくすと笑っている。
そこにイシュトが、焼きあがったケーキを持って庭に現れた。持ってきたケーキは、ホール型になっていて白いクリームでコーティングされた上にはイチゴが八つ乗っている。
余談だが、実はラムリーザは、こういった生クリーム系のお菓子が苦手である。しかしここでは、顔に出さないようにしているのであった。
「へー、自作でこんなのが作れるんだ、凄いね」
ラムリーザは素直に感心してみせる。一方ソニアなどは、すぐにでも食べたいといった様子を見せていた。
イシュトはデッキチェアの傍にあるテーブルにケーキを置くと、うまく四等分に切り分けた。
「ちょっと大きいかもしれないけど、おやつタイムにしましょうね」
「全然大きくないよ、あたし丸ごと全部食べる」
「そんなことをしたら、またおっぱいが膨らむぞ」
そんなことを言いながら、午後の時間を楽しく過ごすのであった。
今日はこのままイシュトの屋敷で過ごし、夕暮れが近づいたところで再びイシュトの案内でホテルまで戻ってきておしまい。町を案内すると聞いていたけど、映画を見て通りを歩いたぐらいでほとんど屋敷で過ごしたような気がするが、まあよい。
ラムリーザの感想では、イシュトはおっとりとしていて傍に居て安心できる人というものだった。友達とか恋人とか言うよりも、まるで優しいお母さんを連想するような……
帰り際にイシュトは、一枚の手紙のようなものをラムリーザに手渡してから去っていった。ソニアなどはそれを見て、ラブレター送ってきやがったとか憤慨して、素早く手紙を奪い取る。
「何々、小麦粉をふるいにかけて、牛乳と卵を――、なにこれ?」