プロレス同好会
9月17日――
この日、学校の部室にラムリーザとリゲル、レフトールとマックスウェルの四人だけが集まって、ソファーに陣取って雑談していた。女性陣は、別に何かやるようで、揃って町に出かけていて今日は居ない。男性陣だけが集まるのは珍しいことだ。
部室には楽器は無い。私物は全部ジャンの見せにあるスタジオに持ち込んでいて、ここにあるのは学校側の備品であるピアノのみだ。
「おいマックスウェル、何か弾いてくれ」
レフトールは、子分一号に命令する。
「やなこった」
しかしのんびり屋の子分一号は、あっさりと拒絶した。たとえ拒絶せずとも、弾けないだろうからこの要求はあまり意味が無い。
「じゃあリゲル、お前だ」
「人に頼む前に、自分でやってみたらいい」
しかし、リゲルにも冷たく言い放たれてしまった。
レフトールは他のクラスメイトや学生には恐れられていても、どうもこのメンバーで集まるといまいちその怖さが伝わってこない。何事にも自分勝手で暴力を使ってでもやってしまうレフトール、以前はカツアゲとかでラムリーザに借金を返済しようとしたこともある。そんなレフトールが唯一頭の上がらない相手が権力者の系統。権威主義っぽいものが強いレフトールは、ラムリーザは当然として、リゲルにもあまり強気に出てこない。
「お、言ったな? 後で後悔するなよ」
そんなわけでレフトールは、ソファーから立ち上がり自分自身がピアノへと向かった。そこで見事な腕前を披露して、「お、お前そのな一面が――?」などと一同を驚かせることは、なかった。
部室に集まったメンバーは、レフトールの演奏を聞いてやろうと黙っていた。しかし、いつまでたってもうんともすんとも言わない。
「早く弾いてみろよ」
たまらずリゲルは声を上げる。しかしレフトールは、ニヤリと笑って言った。
「俺がたった今作曲した『オルガン・可能な限り遅く』は、既に演奏が始まっている」
「なんだそれは? 全然聞こえないぞ、ちゃんと鍵盤押しているのか?」
「この曲は、最初の十七ヶ月は無音なのだ」
レフトールの返答に、リゲルは眉を寄せて睨みつける。マックスウェルは「あほくさ」と一言だけ述べて、その場で大きく伸びをした。
「そんなのだったら、僕だってできるぞ」
ラムリーザは立ち上がってピアノの前に向かい、レフトールを押しのける。そして、鍵盤に叩きつけようと振りかざした指を、そのまま空中で制止させた。
「早く始めろよ」
レフトールは促すが、ラムリーザも同じく「もう始まっているよ」と答えた。
「なんだそれは?」
リゲルは、めんどくさそうに尋ねた。
「フォレストピア国際賛歌、六秒間の無音ね。丁度今演奏は終わった」
「そんな曲がフォレストピアにあったのかよ、初めて知ったぞ。というよりそれって曲なのか?」
「今作曲したちゃんとした曲だよ」
部室内に、再び沈黙が訪れた。
どうやらラムリーザのギャグセンスは、レフトールとどっこいどっこいのようだった。
「たのもうっ!」
突然部室のドアが開いて響いた声に、一同はビクッと肩をすくめる。ラムリーザとレフトールの寒いギャグに冷え切っていたから、なおさらのことであった。
部室に入ってきたのはジャン、そして後からユグドラシルと知らない二人が付いてきた。
「おー、ジャン。遅かったね」
ピアノの前から、ラムリーザは声をかける。
「なんだラムリィお前、ピアノ弾くようになったのか?」
「ジャンにも聞かせてあげよう、フォレストピア国際賛歌」
「そんなの作曲したのか、聞かせろ聞かせろ」
「弾かんでよい」
盛り上がるジャンを、リゲルはビシッと一言で押さえてしまった。だがそれで引き下がるジャンではない。
「なんだよー、俺にも聞かせてくれたっていいじゃないか、ラムリーザ作曲の曲をさー」
「六秒間の無音を音楽とは言わん」
さらに付け加えられたリゲルの言葉が、ジャンの頭にハテナマークをいくつか浮かび上がらせた。
「ついでに言っとくが、弾き始めるまでに一年以上かかるのも曲とは言わん」
リゲルはさらに、レフトールの曲にまで釘を刺しておいた。
「まあいいか、後でスタジオで聞かせろよ。ところでだ、いよいよ動き出すぞ」
ジャンは、さっさと次の話題、というよりは彼が本来持ってきた話題へと転換させた。
「まずはこの二人を紹介しよう」
そしてジャンは、連れてきた初対面の二人を前に出した。二人とも割りと体格は良いほうであった。がっちりしていて背も高い。
「ベイオ・オレクサンダーです、初めましてよろしく」
「ヤンブット・マグナバウエルです」
「誰やお前ら!」
初対面でさっそく威嚇してくるレフトール。これは彼のいつもの習性であった。
「こらこら、入部希望者にいきり立たない。えっと、現在部長は――」
と言いかけて、ラムリーザは思わず口篭る。そういえば部長は結局ソニアになったのかリリスになったのか曖昧だ。部室ではほとんど部活動をしていないし、誰が部長でも別に不都合は無かった。それにジャンの店のスタジオでは、リーダーは部長ではなくて、ラムリーズのリーダーであるラムリーザだ。
「違う違う、プロレス部だよ。このガッコにプロレス部――いや、まだ二人だから同好会レベルか。プロレス同好会が立ち上がるんだよ」
「そう、自分がついさっき、同好会の立ち上げを承認したのだよ」
ジャンとユグドラシルが、それぞれ同好会を設立したことを宣言した。初めて見る顔の二人が、やたらと体格が良かったのはそのためであったようだ。
「それが何故ここに?」
ラムリーザは事情は分かったが、それがここに来る理由には繋がらなかった。
「部に昇格するには、もっと人数が必要なんだよ。今は二人だから同好会、あと最低四人は欲しいね。そうすれば部活として認められるよ。いや、二人で同好会というのも少ないな。タッグマッチができないから、最低あと二人は欲しいね」
そういえば去年、ラムリーザたちが入部したから軽音楽部は同好会に格下げにならないで済んだと、当時の部長である先輩から聞いた覚えがあった。
「それで僕たちにどうしろと?」
ラムリーザはなんとなくジャンの意図を読みかけていたが、あえて問うてみた。
「なぁ、プロレス部やろうぜ。島でやったみたいになぁ、マックスウェル」
やはりジャンは、部員集めのためにここへやってきたようだ。
「プロレスかぁ、まぁここで楽器弾くよりは面白そうかなぁ」
マックスウェルは、どちらかと言えば音楽よりもプロレスの方が好きなようであった。
「あ、てめぇ裏切ったな?」
「別に俺軽音楽部入ってねーし」
レフトールは凄んで見せるが、マックスウェルは飄々と答えた。入ったような入ってないような、そもそも部長不在の部活。どっちでもいいようなものだ。
「ところでえっと、ベイオさんとヤンブットさんだっけ」
「ベイオでいいよ、同じ二年だし。あとこいつは一年。まだ二人だけど、いずれはもっと大きな部活にしてみせるさ。将来は団体を立ち上げたりしてな」
プロレス同好会のベイオは、二人がラムリーザと同級生、または下級生だということを述べた。さらに、将来の野望まで語ってみせる。
「俺もプロレス同好会に参加しようかな、なんてね」
ジャンも、なんだか乗り気でいるようだ。
「いやこっちは? 店は?」
「店はそのまま、部活の掛け持ちはリゲルもそうだろう?」
ラムリーザの突っ込みに、ジャンはあっさりと答えを述べた。確かにリゲルは天文研究部と掛け持ちだ。それに店はそのままで、合間合間にスタジオで一緒になっている。逆に部室でジャンがゆっくりしているということはあまりなかった。
「あと一人居れば、タッグマッチできるんだよ。ラムリーザ入ってくれよ」
「何で僕が?」
「じゃあこうしよう。ベイオとお前とで腕相撲する。お前が勝ったらプロレス向きということで、部活を移籍してもらう」
「そんなんそっちが手を抜いたら思いのままじゃないか」
「ベイオが負けたら、そのまま同好会の発足は一旦お預け。これならベイオも本気出すぞ」
「ならばいいよ」
ラムリーザは、ジャンの魔の手から逃れるために、本気で挑むことにした。しかしベイオもプロレスをやってみようかな、と考えるような人。それなりに力は持っているだろう。
というわけで、部室にあるテーブル席で、ラムリーザとベイオの腕相撲が始まった。
「ラムさんが勝つよ。腕の力が互角ならな」
レフトールが予言めいたことを言う。そういえば以前、レフトールはラムリーザと腕相撲をやったことがあったっけ? その時は、どんな結果だっただろうか?
「それじゃあ組み合って――、勝負開始!」
ジャンの合図で、ラムリーザとベイオはお互い握り合ったまま腕に力を込める。しかしすぐに、ベイオは苦悶の表情を見せた。「うっ」と呻いた瞬間、あっさりとベイオはラムリーザに押し込まれてしまった。
「なんだよあっさりと、ベイオしっかりしろよ負けてしまったじゃないか」
「いや、そういう問題じゃないって」
ベイオは、握っていた手をさすっている。相当痛かったようだ、手が。
「ほらみろ」とレフトールは得意気だ。ニヤニヤとした顔で、「本気でラムさんに握られて、無事で済むわけないって」と続けた。
「ラムリーザ――くん? 凄い握力だな、その力はプロレス向きだよ」
ベイオは、負けてしまったがラムリーザの勧誘を続けた。つまり、ベイオはラムリーザと思い切り握り合った際に、その握力で手を潰されかけて思わず手を引いてしまい負けてしまったのだ。
「ああ、ラムリィの握力は103cmだったっけ」
「それはあのおっぱいちゃんのバストだな」
ジャンの間違いを、レフトールは修正してやる。いや、ジャンもわざと間違えたのだろう。しかし、当のおっぱいちゃんは、残念ながらこの場には居なかった。
「よし、ラムリィはプロレスの方が向いているというわけで、移籍決定な」
「いや待って、参ったなぁ」
ジャンの想定したとおり、ラムリーザは勝ってしまった。これでは確かに、ドラムを叩いているよりは、プロレスで相手の顔面を握りつぶしていた方が似合っていると言えば、似合っている。
「よし、これで同好会成立。旗揚げマッチは、俺とラムリィのコンビ対、ベイオとヤンブットのコンビのタッグマッチだな」
「いや待て、入ると決めたわけじゃないぞ」
「ラムリィも往生際が悪いなぁ」
「俺、入ってやってもいいぞ」
うろたえるラムリーザに、思いがけないところから助け舟が入った。ジャンの要求に乗ったのは、マックスウェルであった。
「あっ、やっぱりてめー裏切るんじゃねーか! こっちの部活はどーすんだよ」
レフトールは再び子分一号に凄んでくるが、既に馴染みとなっているマックスウェルには通用しなかった。いつもの半分ぼんやりとしたような顔で、
「俺全然楽器扱えねーもん。でもプロレスなら、夏休みに南の島で遊んだ時に面白かったからなー」
などと言っている。彼にとっては、至極真っ当なことであった。親分に誘われたからと言って、無理にバンドを続けていてもいずれ通用しなくなってグダグダになるのは火を見るよりも明らかだ。
こうして、ラムリーザにあまり関係の無いところで、プロレス同好会が誕生したのであった。生徒会長ユグドラシルの指定する最低人数に達し、まずは同好会として第一歩を踏み出したのだ。
「ありがとう会長さん、これで俺たちの戦いが始まるんだ」
などとベイオは嬉しそうだ。
「空き部屋を探しておくよ。そこを部室にしたらいいさ」
ユグドラシルも、元々乗り気だったというのもあり、快く受け入れてくれている。
「よっしゃ、同好会が完成したところで俺は店に行くよ。それじゃあまたなっ」
ジャンは、決まるや否やすぐに帰ってしまった。店の準備を始める時間が迫っていた。
「俺も部室ができたら、思い出したら時々顔を出すよ」
マックスウェルもそう言うが、レフトールが動かずに彼だけが動くというのは、ちょっと考え難かった。なんとなく幽霊部員が二人できただけかな? そう思うラムリーザであった。
「ラムリーザくんも、いつかプロレス同好会に加わってくれよな」
そう言うベイオは、ラムリーザの腕力――というより握力に惚れこんだようだ。
「軽音楽部が無くなるかどうかしたら考えるよ」
ラムリーザは、ほとんど移籍は無いと考えるようなことを言って、その場はお茶を濁しておくことにした。プロレスに興味が無いわけでもないが、リゲルのように掛け持ちをしてまでやろうとは考えていなかったのだ。
「それじゃ、後は顧問の先生だけだね。誰か当たってくれそうな人を探しておいてね」
「了解っ、なんとかしてみるよ」
そう言って、ベイオとヤンブットの二人は、部室から立ち去っていった。
「そう言えば、この軽音楽部の顧問ってどうなっているのだ?」
ラムリーザの問いに、ユグドラシルは「調べておくよー」とだけ言って、先ほどの二人についていくように去っていった。部長もまだ決まっていないが、顧問の先生とか見たことなかったのであった。
そして部室には、何事もなかったかのように元の四人だけが残された。
「プロレス同好会かぁ。キャンプの時みたいにできたら楽しいだろうね」
入会を断わっておきながら、ラムリーザは戦っている自分を想像してみるのだった。
「けっ、この裏切り者が」
レフトールはまだマックスウェルを責めているが、マックスウェル自身は軽音楽部に入部したつもりはなかったのだから仕方がない。
「そう言えばリゲルはプロレスしないのかな?」
「ふっ、汗水たらして戦うのは、野蛮人のやることだ。そこにいるレフトールのようにな」
「にゃにおぅ?」
リゲル自身は、それほどプロレスに入れ込みは無いようだ。
「まぁプロレスは、戦いではなくて見せるためにする演劇みたいなものだから、野蛮人とか関係ないのだろうな」
しかし、あっさりと持論を覆してしまった。ただし、それを見せるためにもいろいろと鍛えたり練習したりするのは、演劇部とそう変わらないことでもあるのだ。
「そうだから、実際にはガチ強さなんて、あるにこしたことはないけど、不要っちゃ不要なんだよな。俺でもラムさんに勝つってシナリオ書いてくれたら、すごいことになるんだぜ」
珍しくマックスウェルが、はっきりと語った。しかし当然の如く、レフトールは
「てめーがラムさんに勝って良いわけがねーだろが!」
などと言ってくる。
「でもさ、ジャン対マックスウェルの試合は凄かったと思うよ。ああいうのが、ハードコアマッチと言うんだっけね」
ラムリーザの言った試合は、確かマックスウェルが金槌でジャンをぶん殴って、一部騒然となった試合のことだろう。むろん金槌は作り物で、ジャンの大流血も作り物だった。
「逆にレフとラムさんの試合は、ガチに見えるところがあったよな」
マックスウェルは、プロレスの事となるといろいろと語るようだ。
「当たり前だ。てめーの邪道プロレスとは違うんだよ。王道なんだよ」
「いや、格闘技路線チックだったけどな」
意外とプロレスのこととなると、話題が尽きない。
ひょっとしたら遠い未来のことかもしれないが、彼らはまたリングで戦うことになるのかもしれない。今すぐにではないが、いずれ――