今日の世迷いごと その三
9月16日――
休み時間、教室の机を使ってソニアはリリスとユコの二人となにやらゲームに興じている。リリスとユコは前の席から振り返っていて、ソニアの前の机を前後から囲む形になっている。ラムリーザは、ソニアに背を預けて後ろの席に居るリゲルと雑談をしていた。
机の上には、やたらと沢山の銅貨が、重ならないように所狭しと散らばっている。少なくとも三十枚は転がっているだろう。
そしてソニア達は、指を使って銅貨を弾いている。まずは銅貨と銅貨の間を指で線を引くようになぞってから、弾いているのだ。そして交互に弾いて、銅貨にぶつかった別の銅貨を集めていた。要するに、三人は銅貨を使った「おはじきゲーム」で遊んでいたのである。
「おおっ、何か面白そうなことやってんじゃん」
そこにジャンがやってきて、プレイを覗き込む。丁度リリスが打とうとしている所だった。
「邪魔しないで」
リリスにキッパリと言われて、ジャンは「うっ」と身を引いた。三人とも妙に真剣勝負だ。銅貨とは言え、現金を使っているからだろうね。おもちゃのおはじきとはまた違う。
ソニアの番になった時、リリスは調子を狂わそうと思ってか、ソニアに問いかけた。
「オーバーダブルQって知っているかしら?」
特に驚かせる内容でもなく、いつものリリス特有の変わった質問であった。
「知らない」
そうつぶやきながら、ソニアはゆっくりと銅貨同士の間に指で線を引いた。
「ポッターズ・ブラフ地方出身の歌手コンビで、のっぽとちびよ。オール・キーラと、オール・サイゴの二人が組んでるの」
「興味ない」
「何々それ? 男? 女?」
ソニアは興味を示さなかったが、逆にジャンが食いついた。
リリスはソニアの邪魔をするつもりだったが、ソニアが全然相手にしないので、ジャンと駄弁り始めた。
「残念ね、両方とも男よ。しばらくは帝都で活動していたけど、近いうちにポッターズ・ブラフに戻ってきて公演するそうよ」
「それいいな。交渉して店で使えないか聞いてみよう。どんなグループだっけ? あまり聞かないけど」
「二人とも歌手というだけで、バンドのグループじゃないわ。それと、歌だけでなくて面白い話とかしてくれるのよ」
「私知ってますの、来る間にぽんぴーって歌が面白いのですわ」
ソニアは知らなかったが、ユコは知っていたようだ。ぽんぴーとは何のことだろうね。
「コミックバンドってやつかな? グループとか他に作る必要があるか、それともソニアとかがバックバンドやる?」
「やらない」
ソニアは短く答えて、銅貨を弾いた。命中した方の銅貨は、その勢いで弾かれてさらに別の銅貨に命中。
「あ、他のに当たったわ。失敗ね、くすっ」
「何よ! ジャンが余計な声かけしてくるから失敗したじゃないのよ!」
ソニアは騒ぎ、それを聞いたラムリーザが振り返る。
「どうした?」
そこでラムリーザは、初めてソニアたちが興じているゲームを意識した。先ほどまでは、後ろの席に居るリゲルと雑談していたが、背中を向けた側に居たソニアが突然叫びだしたので気になったわけだ。
「おはじき勝負で、失敗したから発狂したのよ」
リリスは若干ソニアを煽り気味に、状況の説明をした。
「おはじきって、これが?」
しかしラムリーザの目に入るのは、無造作に並べられた銅貨だ。
「こうするのよ」
リリスは指で弾いて銅貨同士をぶつけて見せた。
「そっか、ならばちょっとやってみるかな」
「待ってください」
ラムリーザが銅貨を弾こうとするのを、ユコがその腕を掴んで止めさせた。
「何ね?」
「銅貨を弾く前に、ぶつける先の銅貨との間に指で線を引くんですの」
言われたとおりに線を引くと、今度はリリスがその行動を制した。
「まだ何かあるのか?」
「あなた、掛け金を積んでないわ。持ってる銅貨十枚を並べなさい」
ラムリーザは硬貨入れの袋を取り出したが、十枚も出すのがめんどくさかった。そこで金貨を取り出して机の上に置いた。銀貨の方がよかったが、たまたま取り出した一枚目が金貨だったのでそれを使うことにしたのだ。
「これで参加してもいいかな?」
リリスとユコは、金貨をじっと見つめながら「十分よ」と声を合わせて答えた。夏休みに南の島キャンプで金塊や砂金を土産としてもらったり、ユライカナンツアーの報酬で何枚か金貨を貰ったりしているのだが、それでも二人にとっては金貨は珍しくて欲しい物なのだろう。二人の目は、怪しく輝いている。
一方のソニアは、それほどお金に執着はない。何でもラムリーザに買ってもらっているから、結果的には今出された金貨も、ソニアは使おうと思えば使えるのだから。
銅貨の中に一枚だけ金貨が混じったのを見て、ジャンは「おいおい」とつぶやく。
価値から言えば、金貨一枚は銅貨一万枚分だ。銅貨にも一エルド銅貨や、十エルド銅貨と種類があるが、ここに並べられているものは一エルド銅貨ばかり。ラムリーザの出したものは、一万エルド金貨だ。
ラムリーザは金貨を弾いた。銅貨よりも重たい分金貨は銅貨を勢いよく弾き、飛び出した銅貨は別の銅貨にぶつかってしまった。
「やったわ、失敗よ」
ラムリーザの失敗を喜ぶリリス。そのまま今度はリリスが金貨と銅貨の間に指で線を引いた。
「ちょっと待って、何をサクッと順番飛ばすんですの。次は私の番ですわ」
ユコはリリスの腕を掴んで引き戻させる。
「ちっ、気がついたのね」
リリスは舌打ちして、引き下がった――かに見えた。
ユコは当然の如く、金貨と銅貨の間に指で線を引いた。そして弾く瞬間、ユコは「ひゃうんっ」と妙な悲鳴をあげる。デタラメな勢いで弾かれた銅貨は、一応金貨に当たったが変な角度で当たったために斜めに弾かれて別の銅貨にぶつかってしまった。失敗だ。
「何するんですの! いきなり足を揉まないでください!」
ユコは憤慨する。リリスはユコの隣に居るので距離が近い。ユコが打つ瞬間に、ユコの太股の付け根辺りに手を伸ばして、ぐっと握ったのであった。ユコは突然揉まれてくすぐったくて手元が狂ったようだ。
「ソニアの変態攻撃みたいに靴下ずらしをやられなかっただけでもありがたいと思いなさい、くすっ」
リリスの弁解も全然弁解になっていない。元々悪意を持ってやったことだから、仕方がない。
こうしてリリスの順番となった。成功しても失敗しても、次の人に代わるルールだから。
リリスも同じように、金貨と銅貨の間に線を引く。当然の如く、ラムリーザの金貨は集中攻撃の的となっていた。そしてリリスは銅貨を弾――。
「ひっくしょん!」
ゲーム会場に突然響くユコの大声。リリスが打つ瞬間、ユコはわざと大きなくしゃみを放ったのであった。突然の爆音にリリスはビックリして手元が狂い、放った銅貨は狙いがずれて金貨の隣にある銅貨に当たった。当たった銅貨は、他の何にも当たらなかった。一応成功、リリスは銅貨一枚獲得。
「驚かさないでよ」
「しょうがないでしょ」
リリスはユコを睨みつけるが、ユコは知らぬ振りだ。
悔しそうな顔をしてに当てた銅貨を拾い上げるリリス。それは成功した顔ではなかった。
要するにラムリーザが場に出した金貨が、銅貨おはじきを妙な方向へと動かしてしまっていたのである。先程までは、銅貨が取れただの失敗しただので一喜一憂していたのに、今では金貨が取れなければ全部失敗となってしまった。
そんなわけで、次はソニアの番だ。しかし、邪魔ばかり考えているリリスやユコの魔の手は、ソニアにも伸びていく。ソニアも同じように、金貨と銅貨の間に線を引いて、金貨に狙いを定めて銅貨を弾こうと――
「ふっ、ふえぇ――っ!」
ソニアが銅貨を弾こうとした瞬間、リリスは素早く手を伸ばしてソニアのはちきれんばかりに膨れ上がった胸の先端をつねったのだ。
弾いた銅貨は全然違う方向へ飛んでいき、複数の銅貨を巻き込んで弾き飛ばして終わった。普通に失敗だ。
しかしソニアは、リリスの行動に怒髪天。机の脇に置いてあった小瓶に手を伸ばして拾い上げると、その蓋を開けようとした。しかしリリスは素早くその手を払った。小瓶はソニアの手から飛び出して、ラムリーザの前まで転がって止まった。ソニアは再び小瓶に手を伸ばすが、その前にユコが拾い上げてしまった。
小瓶を拾うことを諦めたソニアは、銅貨を何枚かつかんでリリスの顔面めがけて投げつけた。一枚の銅貨はどこかへ飛んでいったが、何枚かはリリスの額や鼻に命中。
「痛いわね」
「根暗吸血鬼はやることがいつも陰湿!」
「そうかしら? 普通の大きさだったら手は届かなかったわ。手の届くところまで膨らませているのが悪いのよ」
「うわっ、届かなーいっ! リリスはちっぱい過ぎるから全然届かない。そんなちっぱいでよく女が名乗れるのねっ!」
またソニアとリリスのくだらない舌戦が始まった。
ラムリーザは馬鹿だなと思いながら、自分の出した金貨を引っ込めて、二人に背を向けて再びリゲルの方へ顔を向けた。
ゲームが崩壊してしまったので、ユコは二人の騒ぎを尻目に手にした小瓶の蓋を開けると、一滴机に垂らした。
えんっ――
要するに、ソニアの精製したブタガエンである。今日もリリスにぶっかけてやろうとしたわけだ。最近はソニアはリリスと口論になると、よくこれを取り出している。
ユコは、銅貨にブタガエンを塗りつけて、指で弾いて別の銅貨にぶつけた。
えんっ――
銅貨同士がぶつかったときは、普通はチャリーンだ。しかし、ブタガエンでコーティングされた銅貨は、えんっ――と音がする。ブタガエンは、ただそれだけの効果を持つ液体だ。毒でも何でもない。
今度はその銅貨を拾い上げてから、机の上に落とす。えええええええんっ――
指に塗って机を弾く、えんっ――
靴の裏に塗って足を踏み鳴らす、えんっ――
タップダンスのように踏み鳴らす、えんっええんっえんっええんっ――
ユコはくすりと笑った。
その時、窓の外から一匹のカナブンが飛び込んできて、ユコの目の前にポトリと着地した。ユコは素早くカナブンにブタガエンを振りかけた。びっくりしたカナブンは、再び窓の外へ飛び去って逃げた。えーんという羽音が、遠ざかっていった。
「何さっきからエンエン言ってるんだよ」
ユコの近くから鳴り響く音に、前の席に居るレフトールが振り返る。
「これがブタガエンですの」
「なんだそりゃ」
ユコは、小瓶の蓋を開けて、レフトールの手の甲に一滴垂らした。えんっ――
レフトールは「んん?」と言いながら、濡れた手の甲をさする。えんっ――
「はっはっ、おもしれーな。それよこせ」
レフトールは、ユコからブタガエン入りの小瓶を奪い取ってしまった。そして、空いている前の席の椅子に、こっそりと垂らしておいた。
しばらくして、前の席にマックスウェルが戻ってきて、席につく。えんっ――
マックスウェルはびっくりして立ち上がり、レフトールは大笑い。再びマックスウェルは座りなおすが、ズボンの尻の所に少量のブタガエンが浸み込んでいたために、再びえんっと音がする。レフトールは再び大笑い。
次にレフトールは、周囲に居る人めがけてブタガエンを振り撒いた。周囲でえんえん音がする。
ブタガエンを振りかけられた人は、びっくりして濡れた所をこするが、その度にえんえん音がして、それを聞いたレフトールはまたしても大笑い。
迷惑をかけられた人は、レフトールが怖いから文句が言えない。ラムリーザたち以外にとって、レフトールはまだ恐怖の対象であった。
そんな感じに乱れていた休み時間は終わり。ソニアとリリスは一旦休戦して、授業に供えた。
授業中に、マックスウェルは朗読を当てられた。席を立って教科書を読み始めるが、レフトールはその座席に再びブタガエンを垂らす。果たしてそのブタガエンはいつもどおり効果を表し、マックスウェルが座ったときに、静かな教室に「えんっ」という音が響き渡った。
「あっはっはっは!」
授業中だというのにレフトールは大笑い。そして周囲がシーンとしているのを見て、「なんだよ笑えよ」と理不尽な要求を課している。
「こりゃ! さわぐんじゃない!」
当然の如く、教壇に立つ先生は怒り出す。それを見て、ラムリーザは黙って席を立った。
「なんだとコラ、てめぇにもこの液体――あいたっ!」
ラムリーザは、レフトールをどついてその手からブタガエンの入った小瓶を取り上げた。
「すみませんね! 授業を続けて下さい!」
そしてレフトールに代わって教師に頭を下げて、再び自分の席へと戻った。隣からソニアが手を伸ばしてブタガエンの返却を求めたが、ラムリーザは無視をして自分のポケットに小瓶をしまいこんだ。
ブタガエン――
うすうす感じていたが、騒動の種にしかならない不思議な液体。えんと音がするだけの効果しかない不思議な液体。
毒にも薬にもならないが、生体的に毒にならないだけで、迷惑をかける精神的な毒になりうるようだ。
ラムリーザは小瓶をソニアに返すことなく、帰宅後に見つからないように棚の高いところに隠しておいた。
この日の夜、寝る前にソニアは再びブタノールの中にへんこぶたを漬けておいた。そうすることで、液体にへんこぶたのエキスが浸み込んで、ブタガエンを精製できるのだ。ラムリーザに小瓶を奪われたので、また新しいブタガエンを作りだすようだった。