強制的な縁談
9月21日――
休日の午前中のこと――
午前中、ソニアはまたもや新しいゲームをやっていた。少し前までやっていた、棒の周りをクルクル回りながら金塊を探すゲームは、それほどのめり込まなかったようだ。
そして今プレイしているゲームは、屋敷のような建物が舞台になっているようだ。そして何やらネズミのようなキャラを操り、追いかけてくるネコから逃げながら、トランポリンを跳ねて階を移動して電化製品を集めて回っていた。
ラムリーザにとって幸いなことに、対戦モードは無いらしく、ソニアは黙々と一人でプレイしていた。
そしてラムリーザは、窓際に置かれたリクライニングチェアーに寝転がってのんびりとしていた。時折響くのが、ゲームからの音。何やら光る扉を開いた時、衝撃波のようなものが発射されて猫を退治していた。その時に発するピラピラピラといった感じの甲高い音が、ラムリーザの耳に響いていた。そしてこの日も、何も起きずに平凡な一日で終わるはずであった。
事実、何も起きなかった。昼食が終わるまでは。
昼食時――
食堂にある大きなテーブル席を囲むのは、いつものメンバー。ラムリーザとソニアとソフィリータ、母親のソフィアの四人だ。そして母親の脇にはメイドが控える、これまたいつもの光景だ。
ソニアは小さい頃から、このフォレスター家の食事に混ぜてもらえていた。そして今日は静かに、いや普段はいつも静かに回りに合わせて上品に振舞っているものだ。ただし、いつものメンバーに誰かが一人でも加われば、とたんにはしゃぎだして母親であるメイドのナンシーにどつかれるまでがセットとなっていた。
昼食が終わると、その場にラムリーザだけが残された。なにやら母親ソフィアから話があるというのだ。ソニアとソフィリータが退室してから、ソフィアはゆっくりとラムリーザに語った。
「あなたはこれから縁談の話を受けてもらいます」
「縁談?」
ラムリーザは、母が言っている事がすぐには理解できなかった。しかしよく考えて理解するうちに、とんでもない話を持ってこられたものだと憤った。
「ちょっと何故?!」
ラムリーザとしては、去年の春にソニアと付き合いますと宣言したことで、そういった話は終わったものだと思っていた。それがなぜ今頃になって縁談の話が舞い込んでくるのだ? 今頃だけではない、今。つまり今日というというのも不可解だった。
「先方の強い要望からです」
だが母は、短く答えただけだった。
「ちょっと待ってよ、話が違うじゃないか。僕はソニアと――」
ラムリーザは言いかけて、ふいに口をつぐんだ。ひょっとして――、ひょっとして清くない交際がばれてしまい、引き離しにかかったのではないかと勘ぐった。もしそうだとしたら、ラムリーザに強く断わる権利はなくなってしまう。清い交際をすると約束したのだから、それを破っている今、ラムリーザは何も言い返せなくなってしまう。
「相手はこの近隣の地域で最も有力な家の娘です」
「そんな相手でも――って、それってもしかして?」
ラムリーザは言いかけてから、母の言う相手に思い当たりがあることに気がついた。この近隣の地域で最も有力な家と言えば、一つしか思い当たらない。むろん、「最も」という部分から、一番上だということだ。
「ポッターズ・ブラフ地方の領主、ヒーリンキャッツ伯爵家の娘です」
「まっ、なっ――」
それでもラムリーザは、言葉を失い口をパクパクとさせる。しかしここで、ヒーリンキャッツ伯爵家の娘、ケルムの言葉が思い返されていた。
『あなた、私と付き合ってみませんか?』
先日、確かにそんなことを言っていた。彼女の言う付き合うとは、このことを指していたのだろうか?
『近いうちに、計画を立てます』
もう一つの言葉も思い出した。計画とは、縁談の話のことだったのだろうか?
「どうしましたか? 応接室に移動しますよ」
母の言葉に、はっと我に返った。
「断われないのかな?」
「それは会ってから、あなたが決めなさい。もうすぐそこのお嬢様が来る時間です」
ラムリーザは、母の後について応接室へと続く廊下を歩きながら、小さくつぶやいた。
「会うだけだからね」
しばらくの間応接室で待っていると、そこに執事が入ってきた。彼はソニアの父親だ。
「お見えになりました」
その表情に、ほんの少しだけ陰りが感じ取られた。これまで誰にも語ったことは無いが、父親として、領主の息子に自分の娘を嫁がせられるということは、この上ない喜びだった。それが今日、突然その領主の息子が縁談を受けるということになったのだ。心中穏やかでないのも仕方が無かったのだ。
「ヴィク、通しなさい」
どうやら母親ソフィアは、ラムリーザの縁談に同席するようだ。
そこにケルム・ヒーリンキャッツが入ってきた。共に入ってきたのは、ヒーリンキャッツ伯爵とその夫人。一礼してから、三人はケルムを中心にして、ラムリーザの正面にあるソファーに腰掛けた。
ケルムは、じっとラムリーザを見据えてくる。ラムリーザはその瞳に、優しさという物をわずかにすら感じなかった。その眼光は、野心だけを表していた。
ここにきてラムリーザは、改めてソニアの存在に感謝した。もしもソニアが居なければ、今頃付き合っていたのはこの怖い人だと考え、思わず身震いがした。そしてイシュト、ユライカナンのフォレストピア側の地方領主の娘の顔も浮かんだりしていた。あの娘も目の前のケルムと同じく領主の娘だったが、おっとりとしていて優しかったなと。そしてケルムと無理矢理付き合わされることとなると、この先地獄だななどと考えていた。
「ラムリーザ、もう見知っているから今更――いえ、形式に沿いましょう。ケルム・ヒーリンキャッツです」
ケルムの一言にラムリーザは、はっと我に帰った。先ほどからぼんやりしすぎであるが、それも仕方の無いことだった。
「……ラムリーザ・シャリラン・フォレスターです」
ラムリーザは、まさに望まぬ縁談に平穏を壊されつつあった。そしてその縁談は地味ながらも形式に沿った形で進められていた。
「私の趣味ですか? 人間観察です。あなたの事もいろいろと調べました」
ラムリーザは、思わず気持ち悪っと言い出すのを堪えた。なんだこのストーカーじみた人は、と恐怖すら感じていた。そもそも趣味にするようなものなのだろうか?
そしてケルムは、今度はラムリーザ自身の趣味について尋ねた。
「趣味……、ドラ――ソニアと一緒に遊ぶことです」
ドラムの練習と言いかけたが、あえて別のことを持ち出してみた。ことさらソニアの存在を強調させて、ケルムを激昂させて縁談をぶち壊してやろうと企んだのである。
「それは良い趣味とは言えません」
しかしケルムは、少し表情をこわばらせただけで、キッパリと言い切った。
「なっ、えっ?」
予想外の答えに、ラムリーザはまたしても言葉を失った。昼食が終わってから驚きの連続で、全然息をつくこともできない。
「あまり高尚な趣味ではありませんね」
高尚、言行などの程度が高く上品なこと。つまりケルムが言いたいことは、ソニアと遊ぶことは下品だということになる。
ソニアは妙な奇行を突発的に行ってしまうような娘なので、一理あるとも言える部分があるのが残念だが、これにはさすがのラムリーザも腹が立った。
「なぜソニアと遊ぶことは下品なのかな?」
「誰も下品とは言っていません」
ケルムの言うことは、意味を考えずに言葉だけを取り上げたら確かにその通りである。しかし高尚ではないということは、下品であると言っているのと同じことだ。
「高尚でないとは下品のことでは?」
「提案します、私と付き合いなさい」
ラムリーザは思った、この人は会話しているのだろうかと。自分の意見を押し通しているのだけではないだろうかと。
「そんなことを急に言われても――」
「私と付き合えば、ここの地だけでなくポッターズ・ブラフの地もあなたの物になります。私はあなたにそれだけの物を提供できますが、他の女は何を提供できるでしょうか。どちらがお得かは、火を見るよりも明らか」
ラムリーザの言葉を遮るようにして、ケルムは持論を述べた。
要するに、ソニアは物質的な物を与える能力に乏しいので、より良い物を提供するケルムと付き合えということだ。お付き合いをそんな損得勘定のみで決めてしまってよいものだろうか? それに、付き合うことで領土がもらえるのなら、ケルムじゃなくてイシュトと付き合ってユライカナンの一部を貰う。そう考えたが、ラムリーザにはやはりソニアしか考えられなかった。
「前向きに――いや、検討する努力をしてみます」
だからラムリーザは、約束できないと言った意味の約束を取り付けた。
ラムリーザの実質的には否定に近い言葉を聞いて、ケルムの眼光が一瞬鋭くなる。しかしすぐに何事も無かったかのように治まり、さらなる提案を投げかけた。
「明日、逢瀬しましょう」
「オウセ? 何それ?」
「ポッターズ・ブラフにある私の庭園を案内します」
ラムリーザは逢瀬の意味が分からなかったが、その次の言葉を聞いてデートのことだと悟ったのだ。
「そんな急に言われて――」
「どうせ暇でしょう? いいですか、私と付き合いなさい。明日はポッターズ・ブラフの駅前で待っています。必ず来るように」
再びラムリーザの言葉を遮って、ケルムは強引に約束を取り付けた。
以上で今日の縁談は終わりである。明日の約束を取り付けることで、ケルムにとっては目的を達成できたのだ。
逆にラムリーザにとっては、無理矢理話を進められただけで、話し合いにすらなっていなかった。こんな縁談があるか! などと文句を言ってやりたいが、母親の目の前であることも考慮してこの場では黙っていた。仮に何かを言おうとしても、すぐにケルムに被せられるだろう。
ラムリーザが何も答えないでいると、ケルムは気が済んだのか一礼して応接室を退席していった。それでもケルムの連れの両親は、ラムリーザの母親ソフィアと話があるらしく、まだこの場に残っていた。
ラムリーザは母に退室を命じられ、憤りを感じながらも応接室を後にする。応接室から出ると、玄関ホールに向かって歩いていくケルムの後姿が離れた位置に見えた。しかし後は追わず、そのまま近くで壁にもたれて立ったまま待っていた。
数十分後、ケルムの両親らしき二人が応接室から出てきて、そのまま玄関に向かって廊下を歩いていった。
すぐにラムリーザは、応接室に飛び込んだ。
「母さん、話が違うじゃないか。ルールを無視した縁談の進め方、僕には納得できないよ」
「彼女は、ポッターズ・ブラフ地方の領主の娘です。好条件だと思いませんか?」
ラムリーザは怒鳴りつけるまでは行かないが、ちょっときつめに反抗して見せたが、母親ソフィアはいつものまるで恍惚としているような瞳で見つめ返して言った。しかしその内容は、ケルムが言っていたことと同じようなものだ。
権力者と言うものは、常に自己の権力を強化させることばかり考えているのか? ラムリーザだけが例外なのか?
「領主の娘を選ばなければならないのなら、ユライカナン、サレオロームのイシュトを選ぶよ」
「ではそれも選択肢に入れておきましょう」
別案を提示しても、選択肢に入れられてしまうだけだ。
「でも去年の春納得したはずだよ、僕はソニアと――」
そう言いかけて、ラムリーザはやはり口をつぐんでしまう。清くない交際を母親に隠れてこっそりとやっているということが、ラムリーザを後ろめたい気持ちにさせてしまい、ソニアのことを強く言い出せずにいた。これまでばれなければよいという考えだけで過ごしてきたが、ここにきてその弊害が出てしまった。
ここでソニアの話題を出して、もしも「清い交際をするという約束を破ったから」などと言われてしまうと考えると、どうしても言い出す事ができない。
「とにかく明日は、ケルム嬢と付き合いなさい。それから考えればよいことです。もしも合わなければ、その時断わればよいのです。試しもせずに否定することは許しません」
「わかったよ。でも結果を期待しないことだね」
ラムリーザは、そう言い捨てて再び応接室を出た。母の言うことは、明日会うことについて強制しているが、今後とも付き合いを続けることに関しては強制していない。それならば、まだ他にやりようはある。ラムリーザはそう考えた。
自室へ戻る時に窓の外を見ると、一台の高級車が屋敷から離れていくところだった。
部屋に戻ると、ソニアは相変わらず午前中と同じゲームをプレイしているようだった。なにやらトランポリンで跳ねて回り、風船を集めているらしかった。
テレビ画面に映る風船と、ソニアの巨大な胸を見比べて、ラムリーザは小さく笑った。この風船おっぱいお化けと呼ばれている可愛い娘を捨ててまで、ケルムと付き合うなんて考えられない。
そこでラムリーザはあることを思いついた。ケルムにソニアと付き合っているということを、改めて思い知らせてやろう。それでケルムが機嫌を損ねるようなら、それはそれでよい。下手に付き纏われるよりは、嫌われてしまうほうが手っ取り早いものだ。
ラムリーザは、テレビ前のソファーに座っているソニアの隣に座った。そして肩に手を回して抱き寄せて言った。