望まぬ逢瀬は潰そうか
9月22日――
今日はケルムと逢瀬の日。要するに、デートの日。待ち合わせ場所はポッターズ・ブラフ駅、待ち合わせ時間は朝の10時だ。
ラムリーザは、10時前に出る電車に乗って、デートの場所へと向かった。ポッターズ・ブラフ駅に着くのは、10時の8分前で丁度いい。本当のことを言えば、遅刻してやろうかとも考えたが、ラムリーザがケルムに伝えたいのは逢瀬が嫌だということだけではないので、時間通りに到着しておくことにしたのだ。
ポッターズ・ブラフの駅に着き、駅前で待機しておく。
どうしてこういうことになるのだろうか?
ラムリーザはそう考える。昨日断りきれなかったのたで、今日は付き合うしかない。仕方が無いことなのだ。
しかし母親ソフィアはなぜ今頃ケルムを持ってきたのだろうか?
ソニアと付き合うことを認めたのは表向きだけで、結局のところは政略結婚を強要されるのだろうか?
いろいろな思案がラムリーザの頭に浮かんでは消えてゆく。ソニアと清い交際を続けていれば、などと悔やんでも後の祭りであった。
ラムリーザは空を見上げた。今の気分とリンクしているのか、薄曇り空であった。太陽の周りに光の円ができている。
時刻は10時5分、待ち合わせ時間から5分を過ぎたが、ケルムは現れない。
「ラム、ジュース買ってきたよ」
その代わり、現れたのはソニアであった。
「ん、ありがと」
ラムリーザは、ソニアの買ってきた缶ジュースを受け取る。缶は中央辺りがギザギザになっていて、ヨンキストと書かれているオレンジジュースだった。
ここにソニアが居るのは偶然ではない。意図的にラムリーザが連れてきたものである。そしてソニアには、今日ケルムと会うことになっているとだけ伝えておいた。
さらに10分後、駅にケルムがやってきた。今日は歩いてきたようだ。
「あらおはよう、お待たせしたかしら?」
「いや別にこのぐらい気にしないよ」
「そう? 今日も元気そうで何よりです」
定例事項のように、事務的に挨拶が交わされる。相変わらずケルムの瞳は、じっと見据えるような感じで親しさを全く見せていなかった。
「ちょっと待ちなさい。なぜここにソニアさんが居るのですか?」
すぐにケルムは、ラムリーザの傍にソニアが立っていることに気がついた。ケルムから見たら、二人きりの逢瀬のはずなのに、別の女を連れ込まれたようなものだ。当然ながら、あからさまに不機嫌さを募らす。
「別に不思議なことではないよ。ソニアだけど、実は僕たちはもう付き合っているんだ。だからケルムさんと二人きりで出かけるとなるといろいろとマズいんだよ。だから邪魔はさせないから、せめて同行させてやってください」
ケルムは既に知っているはずなのだが、ラムリーザは、改めてソニアとの関係を隠さずに話し、頭を下げて頼み込んだ。
このやり取りは、夏休みイシュトと会うことになった時と同じパターンである。
ラムリーザは、二つの目的を持ってこの行為を行った。一つはイシュトの時と同じようにケルムが受け入れ、三人で過ごすこと。もう一つはケルムが怒り出して、その結果デートが崩壊することであった。
「ふざけたこと言わないでくれるかしら? 今日は私と逢瀬する約束だったでしょう?」
「申し訳ないけど、付き合っている恋人のソニアが居るのに、他人とデートする僕の方がふざけているんだよ。ケルムさんは、二股をかける男とか、浮気をする男とかどう思いますか?」
「そんなの許せるわけがないでしょう?」
「では僕を罵ってください。今日僕は、浮気して二股をかけようとしているのです」
ラムリーザの自虐的な台詞に、ケルムは一瞬言葉を失った。
「ラムの二股男。風紀委員の泥棒猫」
少しの間だけ沈黙の時間が流れ、それを破るように罵ったのはソニアであった。
「ソニアさん、あなたは帰りなさい」
その声を聞いて我に返ったのか、ケルムはソニアをじっと見つめながら駅の構内を指差して言った。
「ソニアが帰るなら僕も帰るよ。恋人のソニアをほっといてどこにも出かけられないからね」
ラムリーザは、ことさら「恋人」を強調して言った。これはケルムに言い聞かせると同時に、怒らせることを目的としていた。
「馬鹿なことを言わないで」
「そんなことよりも、今日はどこに行くの?」
駅前に集まってから全然動かないので、ソニアは痺れを切らしてラムリーザの袖を引っ張った。
「あなたが居るのに行けるわけがないでしょう?」
「それじゃあ解散しようか?」
ラムリーザはこれを利用してケルムとの逢瀬とやらを終わらせようとした。ケルムが半ば強引に始めたこと、ラムリーザが強引に終わらせても文句は言わせないといったところか。
「そうだ、ゲーム屋に行こうよ。新しいゲームが欲しいなぁ」
「一人で勝手に行きなさい」
「よし、三人でゲーム屋に行こう」
ラムリーザは、ソニアの手を取って駅の外へと飛び出した。しかしケルムは、二人を睨みつけたまま動こうとしない。
「あれ? 風紀委員は来ないの?」
「くっ……」
ラムリーザとソニアの二人が勝手に出発したので、ケルムは付いていくしかなかった。
ポッターズ・ブラフにある小さなゲーム屋にて、ソニアは早速ゲーム選びのために奥へと行ってしまった。
「あの娘はほっといて、二人で次の場所に行きましょう」
ケルムは、ラムリーザに提案してくる。
「そんなことできるわけないだろう?」
「しなさい」
ラムリーザは拒否するが、ケルムは今日も強引に主導権を握ろうとした。そこでラムリーザは、ソニアが傍から居なくなったというのもあって、少し語気を強くしてケルムに言った。
「無理だってば。ケルムさん、君は趣味が人間観察だと言っていたよね? それなら僕のこともしっかり観察しているはずだと思うんだが?」
「それがどうかしましたか?」
「僕がソニアと付き合っているのを知っているはずなのに、どうして強引に縁談を持ってきたんだよ? 僕が嫌がると考えなかったのかい?」
「どうして嫌がるのですか? あなたにとってより良い環境を提供しようとしているのですよ?」
「ケルムさんにとってより良い環境の間違いじゃないのかな? それなら聞きますが、ケルムさんはどういったゲームが好きですか?」
「ゲームなんて馬鹿げた時間だから許せません」
「つまんない人だなぁ……。まあいいや、ドラムってどう思いますか?」
「騒々しいだけです」
この時点でラムリーザは悟った。ケルムが欲しているのはラムリーザ個人ではなくて、ラムリーザの地位であることを。そしてこの人を選んでも、自分に不幸しか訪れないことを。あまりにも価値観が違いすぎている。
そこでやはり、本気で今日の逢瀬を崩壊させてやろうと考えた。
最初はケルムに失礼かなと思ったが、ここまで酷いとなると、自衛のためである。ソニアと幸せな生活の間に沸いて入ってきた邪魔者でしかない。それに、ラムリーザの信念の一つが「ソニアを幸せにしてやること」である。ケルムと付き合ってソニアが幸せになるだろうか?
「ラム、これがいい」
そこにソニアが戻ってきたので、ラムリーザはケルムとの会話を中断した。いや、これで終わりにしようとも考えていた。
ソニアが持ってきたのは、ゲームのパッケージのみ。要するにまだ買ってなくて、ラムリーザに買ってもらおうという魂胆だ。そのパッケージには、海のような場所から飛び出してくる大きな魚、それと風船を二つ背負った男と、風船を一つ背負ったくちばしのある人が描かれていた。
風船おっぱいお化けと呼ばれているのに、なぜわざわざ風船が描かれているゲームを選んでくるのかその選択基準がわからなかったが、またそういった間の抜けたところがラムリーザをほんわかとした気分にさせるのであった。ケルムとやりあったあとだから、それはなおさらのことだ。
ゲームを買った後、少し早いが昼食を取ることにした。そして昼食後、昨日言っていたようにケルムの庭園を案内してもらうことになっていた。
昼食は、ポッターズ・ブラフにあるレストランで行うこととなった。
「だからなぜまだソニアさんが付いてくるのですか? ゲームを買ったのだから気が済んだでしょう? 今日は私とラムリーザさんの逢瀬だから、あなたは早く帰りなさい」
「さっきも言ったとおり、ソニアは僕の恋人だからここに居る義務がある。僕を浮気男に仕立て上げたくなければ協力してくれ。それともケルムさんは、簡単に浮気をするような男が好みですか?」
「何を馬鹿なことを……」
レストランでラムリーザが席に着くと、すぐに隣にソニアが引っ付いた。こうなるとケルムは、正面に座るしかなかった。
「ねぇねぇ風紀委員のケルムさん、あたし女爵って位を授かったんだよ」
ソニアはどうでも良いことをケルムに宣言するが、それがますますケルムを不機嫌にさせてしまったようだ。
「ふざけたことを言わないで」
権力志向のケルムにとって、ありもしない爵位の話を持ってこられるのは、自分を馬鹿にされているようなものだった。
そして意図してかしてないか、ソニアのケルム挑発は続けて仕掛けられる。
「はいラム、ニンジンあ~ん」
ソニアはそんなことを言いながら、自分の目の前に置かれた皿に入っていたニンジンのグラッセをフォークで刺すと、ラムリーザの前に差し出した。
「こらこら、ケルムさんが見ているのにそんなことするなよ」
「なによー、あたしのニンジンが食べられないって言うの?」
「わかったんよ」
ラムリーザはソニアの気迫に押されて、差し出されたフォークにかぶりついた。チラッとケルムの方を見ると、ものすごく鋭い視線で睨みつけている。それでも二人の恋人っぷりを見せ付ける意味では、これはこれでありかな、などと考えていた。
「じゃあ今度はラムのお返しの番だよ。あたしそのサイコロステーキが欲しいな」
「ちょっと待て。なんでニンジンのお返しがステーキなんだよ。それならまずは、そちらからハンバーグを一切れ差し出すのが筋じゃないかい?」
「あたしがあげたニンジンは、ステーキに匹敵するぐらい貴重な目が良くなる金のニンジンなの」
「そんなのあるか、全然目が良くなったようには感じないぞ? ――ってかどこが金色?」
「ラムはステーキを差し出したくな~る、指し出したくな~る」
ソニアは、フォークをラムリーザの目の前に突き出してグルグル回す。ラムリーザは、「あ、目が回った」と言って、ソニアの皿にフォークを伸ばした。そして素早くフォークでハンバーグを小さく切って、突き刺して欠片を取り上げてやった。
「あっ、取った! ラムのいじわる!」
ソニアもラムリーザの目の前にかざしたフォークを使って、ラムリーザの前にある皿からステーキを一切れ刺して取り上げた。
「はい、あ~ん」
ラムリーザは取ったハンバーグをソニアの目の前にかざす。ソニアはすぐにパクついて、今度は取ったステーキをラムリーザの目の前にかざした。
「はい、あ~ん」
ラムリーザもパクつく。
「何をはしたないことをやっているのですか!」
当然の如く、ケルムは怒ってしまった。
「ケルムさんもあ~んしてほしいの? じゃあこのお芋をあ~ん」
ソニアは今度はじゃがいもの塊にフォークを刺して、ケルムの前に差し出した。当然のごとく、逆効果である。
ケルムは、激しい勢いで席を立つと、ラムリーザを指差して糾弾した。
「ラムリーザ、こんなふざけたことをしてただでは済まさない!」
「いや、別にふざけているわけじゃないよ。ソニアと二人でデートしているだけだよ」
「それがふざけているって言うのよ!」
普段からラムリーザとソニアは、こんなにいちゃいちゃしているわけではない。特に家での食事の時間は、かなり礼儀正しいものだ。実は意図的に見せ付けているのであった。
昨日の応接室のやり取りでは、ケルムと話し合いをしようとしても口を遮られるなどして強引に話を持っていかれるということがわかった。だからラムリーザは、今日は口ではなく行動で否定して見せることにしたのだ。行動ならば、ケルムが遮ろうとしたところでラムリーザの膂力には敵わない。ケルムはラムリーザがソニアに抱きつこうとするのを、力ずくでは阻害できないだろう。
そして昨日の話し合いの後、ラムリーザはケルムと縁談があったことをソニアに隠さずに打ち明けた。最初はソニアは一人で激高していたが、ラムリーザに怒っているだけでは解決しないと諭され、今日のケルムとの逢瀬でラムリーザとソニアが離れないという意思を見せ付けてやろうと計画を立てたのだった。
そういうわけで、ソニアはことさら普段やらないようなことでラムリーザに迫ってきて、ラムリーザもそれをそのまま受け入れている。
ケルムを怒らせて逢瀬をぶち壊せたらラムリーザたちの勝ち。ユライカナンのイシュトのように、ラムリーザとソニアが付き合っていることを受け入れて三人で過ごしてくれれば、それでも勝ち。どちらに転がっても良い様にしてから今日に挑んだのであった。
「あなたの方がふざけているね。僕にとってあなたは、何の価値も無い」
ラムリーザの一言がとどめとなり、どうやらケルムは怒りで我を忘れて、今日の目的を自ら放棄してしまったようだ。いちゃいちゃしているラムリーザとソニアを残して、ケルムは一人レストランから立ち去ってしまった。
「行っちゃったね」
「そうだな」
ラムリーザとソニアは、顔を見合わせてくすっと笑った。ケルムの座っていた席の前には、ほとんど手付かずのシチューが残されていた。
「もったいないからあたしこれも食べる」
ソニアは手を伸ばして、シチューの入った皿を自分の傍へと引き寄せて食べ始めた。
「二人分も食べるとまたおっぱいが膨らむぞ。ハンバーグは半分食べてあげよう」
ラムリーザがソニアの皿に乗っかっているハンバーグにフォークを伸ばすので、ソニアはそれを阻止しようとナイフを振りかざし、しょうもないチャンバラが少しの間だけ繰り広げられた。
後から入ってきた客は、ラムリーザとソニアの二人が差し向かいではなく並んで座っているのに不思議そうな視線を向けていた。今だけ見れば、二人だけで来たのにボックス席の片側に並んでいるようにしか見えないのである。
食事が終わった後も、いつもよりも長くいちゃいちゃして、一時間ほど経ってからレストランを後にした。
「早く帰ってこのゲームやりたい」
レストランから出ると、ソニアはいつものソニアに戻っていた。そんなに風船ゲームがやりたいのか、このゲームを持っていることをリリスに知られてしまったら、またソニアはからかわれるのだろうな、などと考えながら、ラムリーザはソニアの肩を抱き寄せたまま駅へと向かっていった。
結局ケルムとの逢瀬はうやむやになってしまい、終わってみればソニアと食事デートをやりに来たようなものだ。しかし、これはこれでよいことだとラムリーザは考えた。
たとえ望まぬ縁談が平穏を壊そうとしてきても、ラムリーザはソニア一筋だ。幸せそうなソニアを見て、ラムリーザは満足するのであった。
ケルムは、少し離れた場所から駅の構内へと消えてゆく二人を睨みつけていた。そして、誰にも聞こえないぐらいの声でつぶやいた。
「覚えてなさい……。あなたたちの大切な物を一つずつ潰していってあげる。私を馬鹿にしたことを後悔させてあげるわ。そしてラムリーザ、最終的にあなたは私を選ばせてやる――」
前の話へ/目次に戻る/次の話へ