これでよいのだ
9月25日――
この日の夜も、いつもと同じような光景。ちょっと違うのは、ソニアは今日はテレビゲームではなくて、マイコンをいじっていた。
マイコンは、半年ほど前にソニアがゲーム実況をやってみたいと言うので与えたものだが、二週間もしないうちに止めてしまってずっと埃をかぶっていたようなものだ。時々ラムリーザがいじっていたが、あまりやることがなくて触っていないようなものだった。
ラムリーザは、ソニアが珍しくマイコンで何かやっているのを気になってはいたが、ユコが新しい楽譜を書いて持ってきたので、そのドラムパートを練習していた。
楽譜通りに叩こうとすれば、普通の8ビートに少しアレンジが入っていた。まず右手はハイハットではなくライドシンバルのカップの部分をひたすら叩くようになっている。それだけではなく、ただ八分音符を叩いていればよいわけではない。一拍目は四分音符、それから五拍目までは八分音符を叩く。しかし六拍目に十六分音符を二発叩き、後は八拍目まで八部音符を叩くようになっていた。
音を言葉で表せば、チン、チチ、チチ、チチ、チンチキ、チチ、チチ、チチといった感じだろうか。
ラムリーザは、しばらくの間ライドシンバルのカップだけを叩き続けていた。こんな細かいパターンを聞き取れるとは、さすがユコと言ったところか。いつもと違う変則パターンを腕に覚えさせていた。
この曲に関しては、左手も少しだけ変則的だ。二拍目に八分音符でタムを二発、四拍目にリムショットを一発の組み合わせとなっていた。言葉で表せば、タタッコン、タタッコンといった感じだろう。
右足のバスドラムだけは四拍の内一拍目だけでよい。左手と組み合わせると、ドッタタッコン、ドッタタッコンといった具合である。ただし、左足も二拍目と四拍目にフットハイハットを入れるようになっているので、全体的にせわしない。
ラムリーザが苦戦しながらドラムパターンを身体に覚えさせている間に、ソニアは今度は何やらステレオの前で何かをやり始めていた。次の瞬間――
ピーッ! ビーッ! ヒョロヒョロヒョロガガガーッ! ビーィピーイッ!
突然ラムリーザの部屋に、鋭くて不可解なノイズ音が響き渡った。
ラムリーザは驚いてスティックを落としてしまい、ソニアもステレオの前から飛び上がって尻餅をついている。その間にも、耳障りなノイズ音はステレオのスピーカーから鳴り響いていた。
ソニアはあたふたしながら、ステレオの前でまるで手持ち無沙汰の怪獣が奇妙な踊りを踊っているかのようにバタバタしていた。
「何をやっているんだよ?!」
ラムリーザは、ドラムセットの前から立ち上がって、ぴーひょろぴーひょろとノイズ音を発し続けているステレオの前に行った。ソニアがカセットデッキの停止ボタンを押すと、ノイズ音はピタリと止んだ。
「ふっ、ふえぇっ、びっくりしたぁ……」
どうやら変な物を、カセットデッキで再生したようだ。
「何を再生した、出して見せなさい」
ラムリーザは右手を差し出して、ソニアにカセットテープを取り出すよう命じる。ソニアはバツが悪そうな表情を浮かべたまま、テープを取り出して手渡した。
「これは?」
「マイコンで使っていたテープをこっちでかけてみたら凄い音がしただけ、あたし悪くない!」
ソニアが手渡したテープは、マイコンのデータ記憶媒体だった。マイコンで何かデータを保存させておきたいとき、セーブコマンドで記憶できるのだ。逆にロードコマンドで、保存したデータを読み出していた。ソニアはそのテープを、マイコンではなくステレオのカセットデッキにかけて聞いてみようとしたようだ。
「何をやってんだか、変なことをやるんじゃない」
ラムリーザは奇妙なノイズ音の原因がわかって少し安心して、ドラムセットの前へと戻っていった。ただし、ノイズ音の仕組みはわかっていなかった。
「あたし悪くないもん!」
ソニアはまだ文句を言っていた。変な音を出すステレオが悪い、などと言っているが、ラムリーザは聞き入れようとせずにドラムの練習を再開する。ユコの書き上げた変則パターンを覚えるのにわりと必死になっているのだ。
少しの間ソニアは不満そうな顔をラムリーザに向けたまま立ち尽くしていたが、その内マイコンの電源を落としてラムリーザの傍にやってきた。そして壁に立てかけていたベースギターを手に取った。
こうしていつものように、二人合わせての練習が始まるのだ。
「なんだかいつもと違う変わった叩き方しているね」
ソニアもラムリーザの叩く変則パターンにすぐに気が付いた。
「ユコもよくこんなパターンを聞き取ってコピーできるなんて凄いね。おかげで練習が大変だよ」
「呪いの人形なんか凄くない。凄いとしたら、呪いの力が凄いの。例えばそれがあるだけで死霊館とか呼ばれるようになったりするだけ」
相変わらず友達の悪口ばかり言うソニアであった。
その内ソニアは、練習を止めてテレビ前のソファーへと行ってしまった。ベースギターのパターンは、この曲では「たーんたたーん、たーんたたーん」の繰り返しがほとんどで、歌いながらなどの通しプレイでなければすぐに飽きてしまったようだ。ラムリーザの負担のやたらと多い曲であった。
ソニアはソファーに腰掛けると、手を伸ばしてテレビゲームのスイッチを入れた。ソフトは、先日買ってきた風船を背負った男のゲームであるようだ。バタバタと腕を羽ばたいては上昇し、上から敵らしき相手に体当たりをして風船を割っている。風船を割られた敵は、落下傘を開いてゆっくりと落ちていくが、もう一度体当たりをすると消えていくようだ。
そのようにプレイしながら、ソニアは次々にステージをクリアしていっていた。
ラムリーザはドラムの練習をしながら、その様子を遠目に見ていた。今度は土管から風船が出てくるのを、次々と壊しているようだった。とにかくやたらと風船の出てくるゲームである。たぶんリリス辺りが遊びに来たときに、何か一言言われるまでがこのゲームの寿命だな、などと考えていた。
ソニアはやられてしまってゲームオーバーになるが、繰り返しチャレンジしてプレイを続けていた。しかしその内、二人同時プレイの存在に気がついたようだ。ドラムセットの方を振り返って、ラムリーザに協力プレイを要求した。
ラムリーザは、対戦を挑まれたわけでもないし、ちょっと練習を休憩するかな、などと考えてソニアの要求に応えてやることにした。最後に一発クラッシュシンバルをドシャーンと叩いてから立ち上がった。
ソニアはゲームの対戦ではズルい手ばかり編み出してきてくる困ったちゃんだが、ラムリーザが先程見ていた感じでは、ズルい技とかそういう状況が発生するようなゲームでも無さそうなので気にかけていなかった。要は、敵の風船を上から体当たりして割って退治すればよいだけなのだ。何も問題は起こるはずはない。
しばらくの間、黙々と協力プレイで敵の風船を割ってステージクリアを目指していた。
「ねぇラム?」
二度ほどゲームオーバーになってタイトル画面に戻った時、ソニアはラムリーザに尋ねた。
「なんだ?」
ラムリーザは一瞬自分の下手なプレイに怒ってしまったのかと思って身構えた。しかしソニアは、そんな様子では無いようだ。
「こないだのデートだけど、あれでいいの?」
ソニアが尋ねたのは、三日前の休日、ケルムとの逢瀬をぶち壊してソニアとデートしたことについてだった。
「そうだなぁ――」
言いかけてラムリーザは口篭る。しゃべりながらのプレイはなれていないので、逆に敵に上から体当たりを食らってこちらの風船を叩き割られてしまった。
「風紀委員、めっちゃ怒っていたよ」
「いいんだよ、怒りたいのはこっちの方だから。母さんも母さんだよ、僕はソニアだけと決めていたのに、勝手に縁談の話を持ってきたんだからな」
そう話すと、ラムリーザはまたやられてゲームオーバーになってしまった。ソニアはどちらかがゲームオーバーになると、すぐにリセットポタンを押してくる。
「あたしでいいの?」
「何を今更そんな質問してくるんだよ」
ラムリーザは、ソニアが弱気なのにちょっとムッとして答えた。
「だって、向こうは領主の娘だよ?」
ソニアは、少し弱めの口調で答える。やはり相手の地位が気になるというものか。
ラムリーザは、なかなかゲームが始まらないなと思ってソニアを見ると、彼女はこちらをじっと見つめていた。今更何を不安がっているのだ? そういったものは、高校入学直後のリリスユコ不安で終わったのではないか? 困った娘だ、ラムリーザはそう思いながら、ソニアの肩に手を伸ばした。
「領主は領主同士付き合わなければならない法は無いぞ。それを適用したら、皇帝陛下は皇帝陛下としか付き合えなくなる。それに忘れたかな? 僕はソニアを幸せにしてあげるのが夢なんだと。不安になるってことは忘れたんだろうな」
「そっ、それは――」
「僕がケルムさんと付き合うことにしたら、ソニアは幸せになるのかな?」
「なるわけないじゃない!」
「じゃあわかるよね? 僕はソニア一筋」
ラムリーザは、ソニアの肩に回した手を引いて、顔を近づける。
「うん、あたしもラム一筋」
「これでよいのだ」
そして二人は、唇を重ねた。
二人は肩を寄せ合ったまま、ゲームを再開していた。一緒にゲームをするのも二人の時間。それは変わらないものなのである。
しかしその蜜月の時間は、やがて終焉を迎えることとなった。しょうもないラムリーザのミスによって。
「ちょっと! なんでラムがあたしの風船割るのよ!」
ゲームをプレイ中のある行為によって、ソニアはラムリーザを糾弾した。
ラムリーザは別に意図してやったわけではない。ゲームに不慣れな腕で、おぼつかない操作をしていたところ、ソニアの操るキャラクターにちょっと上からぶつかってしまったのだ。その瞬間ソニアのキャラが背負っている風船が割れてしまい、画面の下に向けて落下してしまった。
ソニアはそれを、ラムリーザが攻撃を仕掛けたと受け取ったようである。
「ちっ、違うよ。ちょっと操作をミスってぶつかっただけだよ。ごめんっ!」
「ラムがそんなことをするのならっ!」
ラムリーザの謝罪を受け入れず、今度はソニアがラムリーザのキャラに体当たりを仕掛けた。正面からぶつかっただけだとお互いに弾き飛ばされるだけだが、その内ソニアのキャラが少し上からぶつかれば、ラムリーザの風船が割れることに気がついたのだ。
こうなってしまったら、ソニアはもう本領発揮。ゲームのイタズラ小僧――いや、いたずら小娘と化してしまった。
ソニアは敵を退治することはすっかり興味を失い、積極的にラムリーザの風船を割りにくる。そしてラムリーザをゲームオーバーに追いやっては、リセットして再びゲームを再開してくる。再開しても、再びラムリーザの風船を割ることに熱中。ラムリーザは逃げ回るだけとなってしまった。もはや協力プレイという言葉は、深遠の彼方へと飛んでいってしまったようである。
「おいおい、これはそんなゲームなのか?」
「これはそんなゲームだ!」
ソニアはものすごく嬉しそうな表情で、ラムリーザを追い回している。最初の頃のように協力プレイをしているより、「ゲームだ、ゲームだ、だ、だ、だ、だだだだ――」などとつぶやきながらこうして攻撃している方が楽しいようだ。
「風船割りね。それじゃあ僕は、もう一つ――いや、もう二つの風船の方を見ておこうかな」
ラムリーザはそう言うと、テレビ画面から視線を外して別の方向を見つめだした。コントローラーは横を押したまま上昇ボタンを連打しているので、適当に上の方を飛び回っていた。
「二つの風船って何よ」
ソニアは気になってか、ちらりとラムリーザの方に目をやった。そこでラムリーザがテレビ画面を見ていないことに気がつき、その視線はソニアの方へと注がれているのに気がついた。しかしソニアの顔を見ているわけではない。際どいミニスカートから伸びている健康的な素足に注がれているわけでもない。その視線は――
「あっ、このゲームだめっ!」
ソニアは察したのか、突然ゲーム機の電源を落とす。ラムリーザの視線は、ソニアの不自然に豊満な胸へと注がれていたのであった。
最近はリリスやジャンも、「風船おっぱいお化け」という言葉はあまり使わなくなっていた。どちらかと言えば、「エル」だの「ふえぇちゃん」だのという呼び方が多い。そういうこともあって、ソニアは風船に対して無警戒になっていたようだ。
ソニアは、カセット取り出しレバーに掌底を食らわす。その勢いで、カセットは20cmほど飛び跳ねた。
「まったく、何をやっているのだか」
「このゲームをプレイするの禁止だからね!」
結局この新しいゲームは、買ってきて三日で封印されることとなってしまった。もったいないと思うが、明日になればまた忘れて普通にプレイしていることだろう。
ソニアは荒い鼻息を吐きながら、別のゲームカセットを取り出してプレイを始めた。金塊集めゲームだ。しかしすぐにレンガに閉じ込められて身動きが取れなくなってしまった。
「はぶじゅう!」
ソニアは意味不明な言葉を叫んでコントローラーを投げ捨てると、隣でぼんやりと見ていたラムリーザに飛び掛ってきた。
「なんね?」
「ゲームなんてやだ! ラムと遊ぶ!」
「ほーお、何して遊ぶのかな?」
ラムリーザは、抱きついてくるソニアの両肩を掴んで尋ねた。ソニアは足をラムリーザの胴体に絡みつかせてこようとする。短いスカートがまくれ上がって、パンツが見えた。
「チュウチュウドラマ!」
「さっきやったやん!」
「もっと!」
仕方がないのでラムリーザは、ソニアを抱えたままソファーから立ち上がると、部屋の入り口の扉に鍵をかけに向かった――
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