あの時、もし君が振り返らなかったら
6月15日――
「こんな夜遅くに呼ぶなんてめずらしいね、一緒に寝たいの?」
「こほん……」
夜も更けた頃、ソニアはラムリーザの私室に呼び出された。そして、部屋に入って早々、ソニアは茶化して言った。これもよくあることだ。
何時ものノリに、ラムリーザは軽く咳き込む。だが、この軽い感じが好きだった。
「ソニア、今日は大事な話があるんだ」
ソニアはラムリーザの目が真剣なのに気がついた。普段見慣れた、頼りなさげなのんびりした目ではない。だが、口調はいつも通り優しいものだった。
「ソニアって、結婚とか考えたことある?」
「えっ? な、何?」
ラムリーザは、じっとソニアの表情を伺う。そこに浮かんでいるのは、驚きというか狼狽というか。
「こっちにきて、ここにかけて」
ラムリーザは、ソニアに自分が座っているベッドの隣に座るよう促した。するとソニアは、その言葉に素直に従う。そしてラムリーザは、彼女から目を離して語り始めた。
「僕はもうすぐ帝都を離れる。そうなったらソニアとは離れ離れ、たぶんもう会うことはほとんど無くなるだろうね。だけどね、僕はソニアの事が好きなんだ。だからこれからもずっと一緒に居たい。でも、ソニアに好きな人が居るなら、その人と付き合えばいいし、僕もそれがいいと思う」
そこまで語って、ラムリーザは再びソニアの顔を見て、言葉を続けた。
「僕は今日までの楽しかった日々を終わらせたくないんだ。ソニアと一緒に次の世界を作って行きたい」
「次の世界?」
言ってからラムリーザは、次の世界って何だ? と、自分は何を言っているのかよくわからなくなってしまった。もちろんソニアにもよく伝わらなかったようだ。
「えーとねー、なんだろうねー」
「……」
「僕はソニアを選ぼうと考えてるんだ、ついてきてくれるかな?」
「ラム……」
その時、ソニアの表情が硬くなり、ラムリーザの目をしっかりと見たまま言った。
「ダメ、やっぱりラムを恋愛対象として見られない。あたしたちは、変わらない今のままの方がいいと思うの」
そうか、そうだよな、とラムリーザは思った。
二人の関係は、友人というスタンスが一番自然なのだ。なにしろ十五年の付き合いである。今更この関係を変えるというのも、難しいものがあるということなのだろう。それは、ラムリーザも薄々感じていたことだった。
「ラムの事はずっと忘れないよ。いつまでも最高の友達で居ようね」
そう言い残すと、ソニアはラムリーザの部屋から出て行った。
ソニアがそう思っているのなら、それで十分だとラムリーザは割り切った。これで、これから一人で新天地に向かうことが決まったようなものだ。
部屋の柱時計が夜の11時を告げる中で、ラムリーザはこれからの事に思いを馳せながらつぶやいた。
「ソニア、さようなら。楽しかったよ」
ラムリーザは、ハッと気がついた。
すぐに下宿先の屋敷にある事実のベッドに居ることに気がついたが、まるで帝都の屋敷にいるような気分にさせられた。
そしてラムリーザは、今のは何だ? と考えた。その結論にはすぐにたどり着いた。
「夢か……」
それは、この春ソニアに告白した時の場面そのままだった。ただし現実と違うのは、ソニアが受け入れてくれなかったこと。
だが、ひょっとしたら有り得たかもしれないもう一つの現実。
あの時ソニアが自分の事を受け入れてくれなければ、新天地にソニアを連れて行く強い理由はなくなっていた。元々使用人の娘であるソニアは、それに適した生き方というものもあったし、本来ならそういうえ道を歩む予定は出来上がっていた。
その後は、いずれラムリーザはどこぞの名家の娘と結びつき、ソニアも身分相応の相手と結びつく。これが世間一般から見た自然の流れだったのだ。
それを無理やり自我を押し通して捻じ曲げたのが、今の二人である。
もしも……と思うと、ラムリーザは何とも言えない気分になって、自分の脇に目をやる。そこで、腕の中に居る娘に気がついた。
もう当たり前の事なのだが、ソニアだ。
ソニアはいつものように、幸せそうに寝息を立てて――いない。
怯えたような目に、涙を浮かべてラムリーザの方を見ていた。
「なんだソニアも起きていたのか? いやぁ、なんというかリアルな夢を見ちゃってね」
ラムリーザは、軽い口調で語りかけながら、この世界線では恋人となったソニアの身体を抱き寄せる。その時、ソニアが小刻みに震えているのが身体を伝ってきて分かったのだ。
「ん? どうしたんだ?」
ソニアは何か言いたげに口をパクパクするが、なかなか声に出せないようだ。その表情に浮かぶものは、恐怖?
そしてしばらく経って、ようやくかすれたような声を出す。
「あ、あたし……、ラムを振った……」
「はぁ?」
突然わけのわからないことを言われて、ラムリーザは思わず素っ頓狂な声を出してしまった。
「ラムを恋愛対象と見られない、ずっと友達のままて居ようって……」
ここでラムリーザは、ん? と、怪訝な顔をする。先程見た夢の中で、ソニアはそのように言っていた気がする。さっきの夢は二人がシンクロしていたのか? 同じ夢を見ていたのか? と考える。
「どうして……、どうしてあたし、あんなことしたの?」
ソニアは、ラムリーザの寝衣の胸元をぎゅっと掴み、ぶるぶる震えている。よほど怖い思いをしたのか、その目から涙が一筋零れ落ちた。
このままだとダメだな、とラムリーザは思い、ソニアの頭をなでながら優しく語りかけてあげる。
「ソニア、安心して。この世界線では、ソニアは僕のこと受け入れてくれたよ。だから、そんなに怯えないの」
「ほんとうに? ほんとうに?」
「ほら、ソニアは僕の腕の中じゃないか」
ラムリーザは、ソニアを安心させるために、腕に力を入れてぎゅっと抱きしめる。
「あ、ほんとだ……」
そしてゆっくり、ゆっくりとソニアの身体の震えが少しずつ治まっていく。
ラムリーザは、しばらく何も考えずに、ただソニアの頭を撫で続けていた。そうすることで、いつの間にかソニアは、穏やかな寝息を立て始めていた。
それを聞いて、ラムリーザも安心して、再び眠りにつくのであった。
翌朝、ラムリーザが目覚めたとき、再び腕の中のソニアと目が合った。
「あ、ラム……」
「どうした?」
ソニアは目を伏せて言葉を続ける。
「ひょっとして今のこれが夢で、目覚めたら、あの告白を断った日の朝、自室で一人目が覚めるってことはないかな……?」
やれやれ、昨夜の夢をまだ引っ張っているのか、とラムリーザは考え、ソニアにそれ以上の出来事を重ねつけ、その記憶を消し去ることができるようにすることにした。
「もしソニアが言うことが本当なのだったら、目が覚める前に、二人が愛し合っているこの世界線でキスしてくれよ」
そしてラムリーザは、ソニアに顔を近づけ、情熱的な朝の挨拶を交わすのであった。
「おはようございましょうか? ラムリーザ様」
「いや、結構」
「何ですの?! ひどいですわ!」
「冗談冗談、おはようございましょうか?」
「はい、おはようございましょうか?」
「なにその疑問系挨拶……」
朝の教室、今日もラムリーザとユコは、よくわからない挨拶をしている。過去形だったり否定形だったり、二人の挨拶はいろんな形式がある。そして今日は疑問系である。
「今日はいつもより遅いんですのね」
「うむ、ちょっとね……、庭に爆弾が埋まっていたから、分解作業していたんだ」
ラムリーザは言葉を濁して適当な物語を作り上げる。まさか朝からソニアといちゃついていたと言い出すわけにはいかない。
「爆弾? なんですのそれは?」
「怪しいわね。それにソニアの髪の毛濡れてるし、朝シャワー? いつもと違って珍しいわね」
「爆弾が暴発してね、全身すすまみれになってしまったから仕方なく、ね」
じーっとリリスはラムリーザの目を見つめている。しかしラムリーザは、いつもと違ってリリスに見つめられても何とも思わなかった。妙に冷静に作り話をする自分が居たのだ。まるで、もしもの世界線を見てきたために、いろいろと想像力が豊かになっているかのように。
「ソニア、あなたラムリーザと今朝何があったのかしら?」
リリスは、ラムリーザを疑うのをやめて、その矛先をソニアに向けてみた。
「えっ? なっ、何も無いよ? 今朝、今朝ねー、『ブッショウヤマ』で拾ってきた『動く蜜柑』が部屋の中を暴れまわって、捕まえるのが大変だったーよ、あはっ、あはははっ」
ソニアも、ラムリーザと違って冷静ではないが、よくわからない作り話をしている。ブッショウヤマってどこだろう? それに『動く蜜柑』って何なんだろうね。
「爆弾が出たのって本当?」
「うっ、うんっ。それでね、ラムの股間の爆弾がドッカーン! それに誘爆して動く蜜柑もドッカーン! ね、すごいでしょ?」
何を言っているのやら全くわからない。ラムリーザは呆れた。
しかし、昨夜の夢の中の自分のように、一人でこの地に来ていたら、いったいどうなっていたのやら、と考える。リリスかユコと付き合っていたのか、それとも誰とも付き合うことなく、どこぞの令嬢と縁談によって結びついていたのか。
どっちにしろ、この世界線では考えても意味がない。
ラムリーザは余計なことを考えるのはやめて、隣の席で大きな胸を机の上に乗せて、頬杖をついてぼんやりしている、青緑色の髪をした娘を見つめるのであった。
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