紳士淑女に似非お嬢様
4月2日――
アンテロック山脈は、帝国の西の最果てである隣国ユライカナンから一番近い街の西側に連なっている山脈である。そのアンテロック山脈中腹に、オーバールック・ホテルは建っている。山中で涼しい場所というのもあり、西側の地方では主に避暑地として使用されていたり、それ以外の時期にはパーティ会場として使われている。
今日はそこで入学前のパーティが行われることになっていた。
ラムリーザとソニアは、ラムリーザの母親であるソフィアと共に帝都から蒸気機関車で西の最果てまで向かい、そこからタクシーに乗ってホテルへ向かっていた。
タクシーで移動中、初めてのパーティ参加で不安がっているソニアがラムリーザに尋ねる。
「ねえ、ラム」
「なんだ?」
「今日みたいな場所では、どう振舞ったらいいの?」
「そうだなぁ」
ラムリーザはこれまでに参加したことのあるパーティのことを思い出しながら考えた。このような場に出る女性は、基本的に名家の令嬢であることが普通だった。ただ、今回から違う点は、親のパーティに子供としてついて行くではなく、自分自身の交流もメインとして参加するということにあった。
……となれば。
「猫を被ることはできるか? 例えば深窓の令嬢のように」
「え、いやー、あはは、ちょっと無理かも。真相解明のために家宅捜査の令状は取れるけど」
「なんやそれ、――ってか取れないよね。まあ普通に考えて無理だよな、それだったらあまり喋らずに大人しくしていた方が無難かな?」
「ん、わかった」
ソニアは令嬢ではないので、このような場での礼儀作法の知識は全く無いのだ。数日前にラムリーザと付き合うことが決まり、急遽参加することになったのだから、準備はほとんどできなかったようなものだ。もっとも、これまでにメイドである母から、何度も作法についていろいろ言われたりしたのだが、ちっとも聞いていなかったという現実があるのだが。
そんな二人のやりとりを見て、ソフィアはクスリと笑ったように見えた。
三十分ほど車で移動し、目的地の会場に到着した。
「さてと、行こうか」
「うん」
ラムリーザはソニアの手を取ると、車を降りて会場へ向かっていった。
いつもと違うドレス姿を見て、ラムリーザはソニアに「脚が見えないと、何か新鮮だな」と言った。
それを聞いたソニアは、「あっ足元見えてるよ!」と慌てたように返してくる。脚とは言ったが、足元とは言ってないのだけどね。
しかしソニアは、ホテルの入り口に向かう、なだらかな階段の段差に脚を引っ掛けて転びそうになる。
「ほら、ちゃんと足元見て」
「むー、正直このドレス、歩くのに邪魔ー」
「いつも脚出しているもんな。足元が隠れて見難い?」
「ミニドレスでもいいのになぁ」
「慣れてきたらそうするか?」
「うん、それいいっ。むしろそのほうがいいっ!」
などと微妙にかみ合わない会話をしながら、ホテルの支配人に案内されてパーティが開催されている大部屋に到着した。
そこには既に何人も集まっていて、大小様々なグループに分かれて談話している。この地方在住である名家の学生とその親が集まっているのだ。
部屋の中央には大きなテーブルがあり、その上にはいろいろな料理が用意されている。
「さすがに知った顔は無いな」
帝都ならばラムリーザにとって知り合いは多く居たが、初めて来たこの地方では知った顔が無いのも仕方ないことだろう。
「ラム、あのごちそうおいしそう」
一方ソニアの興味はテーブルの料理に向かったようだ。
「まあいいや、すこし食事にしようか」
「うん」
というわけで、二人はテーブルに向かい、それぞれ気に入った料理に手を伸ばした。
ラムリーザは、食事をしながら会場の状況を観察していた。
出来上がっているグループに入り込むか、それとも新しいグループを作るか。後者を選択する場合ならば、一人で居る人や少人数のグループを探さなければならない。
しばらく観察していると、一人の男性が目に留まった。窓際で一人、ギターを弾きながら物思いにふけているようだ。一人で居ることと、ギターを弾いている所にラムリーザは興味を持った。
「二人とも食欲旺盛ね」
突然ソフィアに話しかけられた。会場に入ってからは別行動していたが、親同士の顔合わせもあったので、ラムリーザの母のソフィアも来ている。
「こほん、腹が減っては戦はできぬ……というか、どこに入っていこうか考えていてね」
「ラム、このローストチキンおいしいよ」
鶏を焼いたものを頬張り、幸せそうな笑顔でラムリーザの方を見るソニアだった。
「ラムリーザ、紹介するわ。ライデル・シュバルツシルト卿よ」
「ライデルと申す。この南部地域の鉄道、物流を管理している」
「新都市との交通網等について、今後話す機会が多くなると思うので挨拶しておきなさい」
「はい、ラムリーザ・フォレスターです。そしてこっちの娘がソニア・ルミナスです」
「ラムリーザ君か、丁度いい。私の息子に会ってくれたまえ。聞くところによれば同い年だから、この春から君と同じ学校に通うんだ」
「えっと、その方はどちらに?」
「彼だよ」
ライデル氏が指差した先に居たのは、ラムリーザが先ほど見かけた、窓際でギターを弾いていた男性だった。
「わかりました、会ってきます」
「ラム、あたしはどうしたらいい?」
ソニアは、ラムリーザに付いていきたそうな、御馳走を食べ続けていたいような、中途半端な表情をしている。
「うーん……今は好きなだけ食べていたらいいや」
「うん、そうする」
ソニアをテーブルに残すと、ラムリーザはその人の所に歩いていった。
その男性は長身で、銀色の整った髪と、氷のように冷たく光る水色の瞳をしていて、クールな雰囲気を持った感じだった。そして、左目に片眼鏡、モノクルをつけているのが特徴的だった。
ラムリーザが近くに来ても、関心が無いようにギターを弾き続けている。関心がないというより、人を避けていると言った方が正しいだろうか?
そんな様子だったが、ラムリーザは気にかけずに声をかけた。
「僕はラムリーザ・フォレスター、宜しく」
ラムリーザの挨拶に、彼は目配せで返しただけだった。
演奏の邪魔されたくないんだな、と察したラムリーザは窓辺にもたれてそのまましばらく、彼が奏でる音楽を聞いていた。そして、一曲弾き終えるまで、黙ってその演奏に耳を傾けていた。
「ギター、うまいね」
ラムリーザは、演奏が終わった時にすぐ声をかけた。
「まあな」
「迷惑じゃなかったら、一曲歌ったりできないかな?」
「そうだな……」
リゲルは少し考え、やがてギターをジャランと鳴らして弾き語りを始めた。
その曲はラムリーザも知っている歌だった。打楽器の代わりに膝をパチパチ叩きながらリズムを取りながら、メインパートから合わせて歌ってみる。高めの声のラムリーザが歌うパートと、彼の低めの超えのパートがハモる。初めての即興だったが、思った以上にカッチリと組み合った。
この時ラムリーザは、ソニアに付き添っているだけという形であったが、音楽やっていてよかったなと思うのであった。
しばらく歌い、そして小さな演奏会は終わった。ただし、観客は誰も居ないが……。
「ありがとう、楽しい時間を過ごせたよ」
歌い終わってラムリーザは言ったが、彼は短く「うむ」と答えただけだった。
ラムリーザは、彼はあまり人と話すことを好まない人だと判断し、今日はここらで切り上げることにした。今度会ったときに、また一緒に歌えたらそれでいいと考えた。
「じゃあ、僕はこれで」
「うむ……ああ、ちょっと待て」
「ん?」
「俺はリゲル。リゲル・シュバルツシルトだ」
「あー、リゲルか、よろしく」
「うむ、ラムリーザだったかな?」
「ああ、ラムと呼んでいいぞ」
「……ラムリーザ、またな」
これが、ラムリーザとリゲルの出会いであった。
一方その頃、食事中のソニアは、他の令嬢に話しかけられたりしていた。
「あなた初めて見る顔ですね。だあれ?」
「ソニア・ルミナスよ」
「ルミナス……ルミナス……聞いたこと無い家名ですね」
「……あはは、あたし帝都から来たの。だからこの辺りでは知られてないのかもね、あはは」
まあ、ルミナス家はフォレスター家の使用人一家なのだが、ここでは触れないでおいてあげよう。
何かやだな……と場違いな場所に出てしまったという気分になってしまうソニアであった。つんとすました令嬢に対して、ひきつった笑顔しか見せられない。本来のソニアなら、こんなことはないのだが、初めての場所、慣れない場所というのもあって、非常にぎこちない。
ソニアに話しかけてきた令嬢は、その間もじろじろとソニアの胸を見ている。その視線に気が付いたソニアは、「な、何?」とその令嬢を訝しむ目で睨み返す。
「いえ、そのお胸、なんだか有り得ないかなって思いまして。帝都ではそのような詰め物をして大きく見せるのが流行っているのですか?」
「つっ、詰め物じゃないわ! 自前よ!」
会場に、ソニアの甲高く響く声が響き渡る。一瞬だけざわつき、視線が部屋の中央にある料理コーナーに集中する。
令嬢は、集まる視線とソニアの声にびっくりして、そそくさとその場を立ち去っていった。
ラムリーザに「大人しくしていろ」と言われたことは、すっかり忘れているようである。
そしてしばらくの間、ソニアは一人で食事、主に肉料理をつついているのであった。
一方ラムリーザは、母親ソフィアに連れられて、他の新しい人に挨拶していた。
「こちらがポッターズ・ブラフ首長のハーシェル卿」
ソフィアの紹介に、ラムリーザは「しばらくこの町にお世話になります」と頭を下げるのだ。
「うちにも今年から高校一年の娘が居るんだ、紹介しとくよ」
「あ、ちょっと待ってください」
ラムリーザは、首長の娘の紹介をちょっと待ってもらい、食事中のソニアを手招きで呼び寄せる。
ソニアが到着するよりも早く、ラムリーザの前に、濃い金髪をポニーテールでくくった、真面目そうなお嬢様が姿を現した。
「ロザリーンです」
「ラムリーザです」
「ソニアでっす!」
ソニアは駆け込んできてお辞儀をして顔を上げ、口元にケチャップの付いた顔で、にっこりと微笑むのであった。