幻滅したでしょ?
10月17日――
ラムリーザが校舎の屋上で、レフトールに強烈な一撃を食らって意識を失った直後の話。
実はソニアたちがリゲルを連れて戻ってくるよりも先に、屋上に現れた女生徒が居た。
その女生徒は、倒れているラムリーザを見ると、鋭い目つきでレフトールたち三人を睨みつけて言った。
「あなたたち、ここまでやれとは言ってないわ。加減もできないの?」
レフトールは、困った顔をして答えた。
「あ、癒し猫……、すみません。でもさぁ、俺って強すぎるでしょ? だから加減が難しいんですよ」
「そのようなことが理由になると考えているのですか?」
レフトールは、その女生徒に対しては、妙に低姿勢で事実を説明していた。
「それよりもチャス、お前どうした? 右手が痛いのか?」
レフトールが心配して声をかけたのは、先程ラムリーザに掴みかかっていった方の生徒だ。右手をさすりながら、多少顔色が悪い。チャスと呼ばれた者は、倒れているラムリーザをつま先で軽くつつきながら言った。
「いや、こいつに思いっきり捕まれた手がしびれて動かねぇ……」
レフトールは「何だそれは……」とつぶやいたところで、校舎の方から人の気配を感じだ。
「誰か上がってくるぞ」
レフトールの一言で、女生徒は建物の影に隠れた。
その後、ソニアが騒いだり、リゲルに睨まれてレフトールが逃げ出したり、である。
話し声が聞こえなくなって、その女生徒がそっと建物の影から覗くと、もうそこには誰も居なかった。
女生徒はため息を吐いてつぶやいた。
「ラムリーザもレフトールの敵ではないとしたら……。情報とはぜんぜん違うのね、これは作戦変えなくちゃ……か」
保健室のベッドにラムリーザを寝かせた後、授業が始まるということで先生に追い出されたソニアたちは、教室へと戻っていっていた。
しかし、いつものほんわかした雰囲気ではなく、緊張と落胆がその場を支配していた。
みんなの中でラムリーザは平和の象徴だったが。だがそれが、暴力の前に崩壊してしまったのだ。
「でもなんだか腑に落ちませんわ。りんごやゴムマリ握り潰せて、パンチングマシーンですごい記録出すのに、なんでやられちゃうんですの?」
最初に口を開いたユコは、不満をぶつけた。平和の象徴である前に、力の象徴であったはずなのだ。
「それは、そのっ……」
ユコに責められるような視線を向けられて、ソニアは悔しそうに俯いた。
「レフトールは本気で強いからな。奴の蹴りは本格的だ。ラムリーザがどれだけ鍛えているかは俺は知らないが、頭とか急所は鍛えようがないからな」
「それだけじゃないもん」
「それに三人相手は多勢に無勢か」
リゲルの指摘に、ソニアは小さく頷く。ラムリーザ一人ではさすがに危ないと感じたから、ソニアはリゲルに助けを求めて慌てて屋上へ戻っていったのだ。
ソニアはうつむいたまま、黙って歩き続けていた。
「幻滅したでしょ?」
唐突にソニアがつぶやいた。
えっ? といった表情で、リリスとユコは、ソニアを振り返った。一方リゲルは無関心を装っている。
「ラムは戦ったら簡単に負けるんだ。『ラムリーザ様』って何? 馬鹿みたい、ざまーみろ!」
ソニアは半泣きの不貞腐れた感じで、二人の美少女、とくに慕っているユコに対して皮肉っぽいことを言う。
ユコは言葉を失ったが、リリスは微笑を浮かべてソニアに反論した。
「あなた、ラムリーザの株を下げて、私たちを追い払って独占するつもりでしょう?」
「そっ、それは……、ふんっ、何よ!」
図星をつかれたのか、ソニアはそっぽを向く。
「あなたの方こそ、がっかりしたんじゃなくて?」
「違うわ! あたしはラムが危ないってこと知ってたもん! でもね、でもね、ラムは一対一なら誰にも負けないこと知っているんだから!」
ソニアは、まるで自分に言い聞かせるかのように力説するのだった。年季の入った思いは、ぶれることは無い。
それを聞いてリリスは、励ますようにユコの肩を叩いて言った。
「それなら、私たちも同じよねぇ、ユコ」
「うん、そうですわ。別に私はラムリーザ様が喧嘩強いかもしれないって所に惚れたわけじゃありませんの。あの人は、いつも私たちのことを大切にしてくれます。あの時だって、自分を犠牲にしてまで私たちを逃がしてくれたじゃありませんか。やっぱりラムリーザ様は、すばらしい方です!」
ユコの剣幕に、ソニアは思わず「ちっ」と舌打ちする。しかしすぐに笑顔を浮かべて言った。
「なんだ、結局何も変わらないじゃないの」
「そうね、くすっ」
三人は、何事も無かったかのように、いつもの無邪気な笑顔を取り戻していた。
「……で、またあいつらが来たらどうするんだ?」
教室に戻ってから、リゲルはその雰囲気に水を差すようなことを言った。
感情では解決しても、物事がすべて解決したわけではない。この先、ラムリーザと仲良くしている度に絡まれたのでは、楽しい学校生活を行なうことはできない。
「リゲルさんになんとかしてもらいましょう。あの時だって、リゲルさんを見て逃げていきましたし」
「リゲルって喧嘩強いの?」
ユコとソニアは、リゲルの方を振り返ってそれぞれの思いを述べた。
「それもあるが、レフトールは本来ならラムリーザにも手を出すはずは――」
その時、昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴った。
「――授業だ」
そういうわけで、リゲルはそれ以上語ることはなかった。
席についた後、リリスはソニアの方を振り返って言った。
「私はね、リゲルに頼るんじゃなくて、ラムリーザ自身にけりをつけて欲しいと思ってるわ」
「あたしだってラムになんとかしてもらいたいよ。でも、相手が大勢だったらさすがのラムも……」
「レフトールって群れてるらしいし……ねぇ」
それだけ言うと、リリスはため息を吐いて前に向き直っていった。
「また来たら、『ラム兄』に連絡してやるんだから……」
ソニアはそうつぶやいて、頬杖をついてぼんやりと隣を眺めた。しかし当然ながら、そこには誰も居ない。
「ラム……」
寂しそうな瞳を向けるしかできなかった。
ラムリーザがハッと気がつくと、いつの間にかベッドで横になっていた。
屋上にソニアたちと遊びに行っていた記憶はあるのだが、その後がぼんやりとしていて何が起きたのかわからなかった。ということは……。
「はぁ、またやっちまったか……」
ラムリーザは身を起こすと、周囲をうかがった。すると、ベッドの脇には、見覚えのある娘が椅子に座ったまま待っていた。
「ラムリーザ、気がついたかしら?」
「あ、ケルムさん」
この地方の領主の娘であるケルムが、ラムリーザを見守っていたのだ。
なぜここに居るんだろう……。ラムリーザがそう思っていると、ケルムはラムリーザに尋ねた。
「あなたが暴力を受けて保健室へ担ぎ込まれたと聞きました。いったい何があったのですか?」
「いやぁ、覚えてない……、なるほどそうか。そういうことがあったんだね」
ラムリーザは、自分が保健室で寝ている理由がなんとなくわかった。ケルムの話では、誰かにやられたということらしい。
それと、ケルムがここに居る理由もなんとなくわかった。風紀委員として、暴力沙汰を放っておけないとでも言うのだろう。
「覚えていない?」
ケルムは、怪訝な目つきでラムリーザを見つめた。
「うん。僕はちょっとした癖というか詳しい所は何だかわからないのだけど、頭に強い衝撃を受けて意識を失ったら、その前後の記憶が抜け落ちてしまうらしいんだ」
「それじゃ、誰にやられたのかわからないのね…………」
ラムリーザの話を聞いて、ケルムは言葉を失ったようだ。
しばらくの間、沈黙が流れていった。
ラムリーザは、頭がはっきりしてきたのでそろそろ起きるかと考えた。体調が回復した以上、いつまでも寝ているわけにはいかない。
ベッドから降りて立ち上がると、ケルムも一緒に立ち上がった。
「えっと、その……」
ケルムは、何かを言いたそうにラムリーザの方を見上げた。
「ん? 僕に何か用事でもあるのかな?」
ラムリーザは、実際の所ケルムは苦手なのだ。ただ、私的に考えると苦手なだけであって、公の場でのケルムは、評価に値すると考えていた。
「ラムリーザ、何か困ったことがあったら、すぐに私に言うのですよ」
「うん、頼りにするよ」
ケルムは少しの間ラムリーザの顔を見ていたが、保健室の外に誰かが近づいてくる気配を感じると、身を翻してラムリーザの傍から離れて、保健室から立ち去っていった。
「ラム! 気がついたんだね!」
外からやってきたのはソニアだった。
少し遅れてリリスとユコもやってくる。
「うん、もう大丈夫。心配かけたね」
「もう……、一人で三人も相手にするなんて、死んじゃうかもしれないんだよ? 無茶はやめてよ」
「そんな大げさな……」
ラムリーザは笑って答えたが、ソニアは泣きそうな顔をしている。しょうがないな、と思いながらラムリーザはソニアの頭を撫でてやった。
「ふえぇ……」
「ふえぇじゃない。ほら、……えーと、もう放課後か、帰るぞ」
ラムリーザは、リリスとユコにも、もう大丈夫だということを示し、ソニアの肩を抱いて保健室から出て行くのだった。
平和だった学校生活に、突然降りかかってきた暗雲。
とりあえずラムリーザは無事だったようだ。