いつもの夜

 
 7月18日――
 

 マトゥール島最初の夜がやってきた。別に太鼓の音がどこからともなく響いてくることはない。ラムリーザたちが宿泊しているコテージは海岸沿いにあり、聞こえるのは波の音ぐらいだ。

 夕食後、ラムリーザは自室に戻り、窓際のリクライニングチェアに座ってくつろぎ、改めて同居人を見つめた。そこであることに気がつく。

「これってさ、修学旅行の時と同じ組み合わせだね」

「だから俺の言った部屋割りにすればよかったのに」

 ラムリーザの一言に、ジャンも同意した。しかしリゲルは気にしない。

「これが無難な分け方だ。お前らはラムズハーレムだのジャンズハーレムだの作りたがるから男女入り乱れる方が良かったのかもしれないけどな」

「リゲルもハーレムを現在進行形で作ってるけどね」

「たわけが、お前らと一緒にするな」

「俺はリリス一筋だー。ハーレム作ってねー」

 しかし、どうも男女関係ではいまいちあらぬ疑惑をかけられてしまうラムリーザであった。

 さて、長い島でのキャンプ生活、三人は計画を話し合おうということになった。明日は何をしようかな? その先はどうしようかな? などと。

 しばらくは海岸での遊びに興じていられるかもしれないが、そのうちマンネリ化して飽きてしまうだろう。その時にどうするか? ということについて話し合った。

「島に車あるのかな?」

「あるよ」

「それなら一度、島を一周してみよう」

 これはジャンの案だ。マトゥール島がどのぐらいの大きさかわからないので、一度ぐるりと海岸沿いに回ってみようということだ。

「繁華街とかあるのか?」

「たぶんあったかな? いや、島の町自体それほど規模が大きいものじゃないけど、どうだろうか?」

「町があるならそこに行くのもありだ」

 リゲルは島の町巡りを提案してくる。と言っても田舎町よりもさらに田舎にしたようなものだから、町に十分楽しめる場所があるのかどうかはわからない。これまでにラムリーザは島には何度か来た事はあるが、バカンス目的で町に行ったことは無かった。

 

 しばらくいろいろと話し合っていたが、そろそろ寝る時間となったので話を切り上げてベッドに入った。

「またソニアが来るだろうなぁ……」

 ラムリーザは小さくつぶやいた。

「そういえば修学旅行の夜、あいつ泊まりに来たな」

 ジャンはその時の事を覚えていた。

「それだけじゃないぞ、あいつは俺の別荘でのキャンプの時にも来た」

 さらにリゲルは、去年の事も覚えていた。ラムリーザしか知らない事実は、運転免許を取るための合宿の時にも、ソニアはラムリーザの所へ来たということだった。

「さすが毎日一緒に寝ているだけはある」

 ジャンはラムリーザをからかったので、ラムリーザは「もしもソニアが泊まりに来たら、僕はソニアと二人で別のコテージを使うよ」と言っておいた。

「好きにしろ」とリゲルが言い、ジャンは「それではおやすみ」と言った後黙り込んだ。

 波の音だけが聞こえる宵闇。時折風の吹く音が聞こえる以外、何も聞こえない静寂。

 ラムリーザはソニアが来るのかどうかが気になって、なかなか寝付けないでいた。もし来たときに寝ていたら、ソニアは探して回るだろう。それだけとリゲルやジャンに迷惑をかけてしまう。来るなら早く来い、そう考えていた。

 しばらく静寂が続いた後――

 

 コテージの外から、誰かが近づいてくる音が聞こえた。

 

 入り口のドアの外で足音が止まり、ガチャリと音を立てて開く。そして誰かが入ってきた。

「僕ならここ――」

 ラムリーザはそう言いかけて、ふいに口をつぐんだ。

 ドアの外から入ってくる月明かりに照らされたそのシルエット。その人影には、胸に『風船』がついていなかった。ソニアではない――?!

 ラムリーザに一瞬緊張が走った。こいつ誰だ?

「ラムリーザ様、ユコが参りましたわ」

「なんでやねん!」

 ラムリーザは、隣でリゲルが小さく笑ったのを聞き逃さなかった。そして、この展開は予想していなかった。

 以前から、リリスやユコは、ラムリーザとソニアにちょっかいを出していた。それがまさかこんな形で現れるとは。

「ラムリィも節操が無いねぇ」

「いや待って、ユコいったいどういうことだ?!」

 ジャンがからかうので、ラムリーザはユコに対して毅然とした態度を示す。

「あっ、ラムリーザ様はそこですのね」

 ユコの声がしたかと思うと、ラムリーザは暗闇の中ベッドに近づく気配を感じた。

「ちょっと待って、ユコやめなさい」

「なーに? ラムリーザ様は私を拒むんですの?」

 少しの間、ラムリーザとユコの間で押し合いが繰り広げられた。ラムズハーレムなどとんでもないので、ここでユコを受け入れるわけにはいかない。

 これがギャルゲーやエロゲーの類なら、ルート分岐ということで、セーブしてそれぞれのヒロインルートを選択すればよいだろう。

 しかし現実には、セーブポイントもリセットボタンも存在しない。

 だから選択肢は慎重に選ぶ必要がある。

「どうだラムリィ、ギャルゲーの主人公になった気分は」

「うるささ」

 ラムリーザは短く答えて、もう一度ユコを強く押し返した。

 とその瞬間、再び部屋のドアが開いた。

 今度は背後から差し込む月明かりの影が示す、二つの大きな風船のシルエット。

「あ、ソニア。僕はここ」

 渡りに船、今度はラムリーザの想定どおりにソニアがやってきた。すぐにラムリーザが呼び寄せると、これまたすぐに風船の影は、ラムリーザのベッドに近づいた。

「ちょっとなんでユッコがここに居るのよ!」

「あら残念、もう来ちゃいましたわね」

 ユコはソニアの攻撃をかわすと、さっさと部屋から出ていった。

「なんなのよもう」

「僕も知らないよ」

 改めてソニアは、ラムリーザのベッドに潜り込んだ。

 しかしそこで、再び部屋のドアが開いた。

 月明かりに照らされた影は、ソニアより控えめな、それでも一般的に考えたら主張の激しい――

「魔女は帰れ!」

「ちっ、少し遅かったわ」

 ソニアに凄まれてリリスはそのまま出ていこうとするが、

「待てよ、俺も行くぜ」

 ラムリーザの同衾が面白くなかったジャンは、そのまま部屋から出て行ってしまったのである。

 結局の所、最初にジャンが提案したような組み合わせが発生してしまったわけだ。ラムリーザはジャンに悪い事をしたなと思いつつ、いかなる場合でもやってくるソニアを可愛らしく感じてしまうのだった。

 
 
 静寂のなか、ソニアの寝息だけが聞こえる。愛するもののベッドに潜り込んですぐに寝付いてしまったようだ。これではまるで子供だ、まだ子供だけど。

 ラムリーザは、波の音が先ほどよりも大きくなったように感じた。

「おいラムリーザ、起きているか?」

 静寂はリゲルの一言で唐突に終わりを告げた。

「何ぞ?」

 途端にラムリーザは深海から引き上げられたかのような錯覚に捕らわれた。

「そのエル饅頭は起きているか?」

「んや、寝てるよ。――ってエル饅頭って何だよ?」

「Lサイズの饅頭。いや、そんなことはどうでもいい」

 少しの間だけ間が開いて、リゲルはラムリーザに尋ねた。

「お前は毎晩こういうのを味わっているのか?」

 それは恋人とベッドを共にするということである。

「うん、如何なる時もソニアと仲良く一緒に暮らす。これに勝る幸福はどこにも無いよ」

「幸福か、なるほどそういう考えもあるわけだな。確かに幸福と言える」

「それに僕は、ソニアを幸せにしてやりたいと思っているからね。それが人生の目標の一つでもある。僕がどんなに大成しようと、ソニアが不幸なら僕の人生は失敗だ」

「俺も今度はロザリーンを幸せにしてやりたい」

 リゲルの声は、これまで馴染んだ冷たさは無かった。ミーシャが来てから――、いや戻ってきてからリゲルは変わった。いや、これが本来のリゲルだったのだろう。その愛情の向かう先が大きく変わってしまったのだが。

「そうすればいいさ、ロザリーンはお似合いだよ」

 だからラムリーザも、安心して応援できる。今はもう、余計なことをしたとは思いたくない。しかし――

「ミーシャの幸せも考えてしまう」

 リゲルの両親は、リゲルがどこぞの平民の娘と付き合うことを良しとしていなかった。そのために、リゲルとミーシャを引き離すためにミーシャの家庭を帝都へ栄転の名目で飛ばしていたのだ。

 しかしミーシャは、高校から学生寮があるということをサーチし、それを利用して単身戻ってきてしまったのだ。

 ラムリーザにとっては、言うことを聞かないソニアを懲らしめるための左遷先と脅している桃栗の里。しかしミーシャにとってはリゲルに再会するための拠点になっている。

 おそらくリゲルは、ミーシャが戻ってきていること、再会した事を親には隠しているのだろう。

「親は俺にロザリーンと付き合うことを良しとしている。だが俺はミーシャのことも忘れられない」

「ロザリーンは親が決めた相手? 違うだろ、リゲル自身が決めたことじゃないか?」

「そうだな」

「それに、リゲルがはっきりしないと、結果的に両者を不幸にするだけだぞ」

 やはり忘れられないのか。

 ラムリーザは、うまくいかないものだな、と思った。

 去年のリゲルは、まさかミーシャが戻ってくるとは想像もしていなかった。だからラムリーザの勧めたロザリーンを受け入れたのだ。そのうちリゲルもロザリーンと付き合うことを良しと思い始めていた。

 しかしそこにミーシャが戻ってきて、過去と現在の狭間に悩まされることとなってしまったのは周知の事実。

「あの日リゲルは痛い思いをしたのは何だったんだい?」

 だからラムリーザは、もう一度リゲルを諭してやった。

「隣の国ユライカナンの文化にはな――」

 リゲルは淡々と語り始めた。

「正室と側室という制度があるらしいのだ」

「何だそれは?」

「正室は正式な妻、そして側室は公的に認められた側妻や妾にあたる女のことだ」

「へー、そんな仕組みがあるんだね」

「なぁ、フォレストピアって、ユライカナンの文化交流や文化を取り入れてみたりする町だよな?」

「うん、そういうことになっているよ」

「じゃあお前、正室と側室を作ってその制度も取り入れてみろ」

 突然リゲルは、口調が早口っぽくなった。明らかに感情が上ずっている。

「な? 取り入れるってどうやって?」

「ソニアを正室にしてかまわんから、側室も作れ」

「いや、リゲルに命令されなくてもソニアを正室――、いや妻にすることは決めているよ。けど側室って――?」

 そこでしばらくの間、会話が途切れた。聞こえるのは、ソニアの寝息だけだ。

 ラムリーザは、リゲルの言ったことをもう一度考えた。正室と側室、つまり妾を作れと言うことか。

 リゲルは学校生活ではロザリーンと居ることが多い。だからミーシャのことはけじめがついている様に見えた。

 しかし夏休みに入り、キャンプに来たことで、再びミーシャとの距離が縮まったというのだろうか。

 リゲルの言う側室など、ラムリーザには考えられなかった。

 それに、独占欲の強いソニアが、他の妾と仲良くできる光景を想像できない。つまり、側室や正室の間で嫉妬や対立が生まれ、家庭内の平和が崩れる可能性が高いと言える。

 帝国では、妾は貴族の間では珍しくない。政略結婚で妻を取り、お気に入りの相手を妾にするといった具合にだ。

 しかしラムリーザは、二人以上を平等に愛するのも難しかった。

 だから、リゲルの話に同意するわけにはいかない。

「すまぬ、聞かなかったことにしてくれ」

 ラムリーザがその事を告げようとした時に、先にリゲルの方から謝罪が入った。

 ラムリーザはリゲルの言葉に満足したところを感じながら、ソニアを抱き寄せると再び眠りの海へと沈んでいった。

 

 一方問題はジャンである。

 ジャンはラムリーザとリゲルの部屋から抜け出すと、そのままリリスが居る部屋へと向かっていったのだ。そしてソニアの居たベッドが空いているので、そこを使おうとするのであった。リリスと一緒にベッドにもぐりこまないのは、同部屋のユコに配慮してか?

「なんでソニアとジャンさんがチェンジですの?」

「あの風船はラムリーザの所に行っていたでしょう?」

 いろいろ分かっているリリスであった。

「明日部屋割りを再度やるからね。今の部屋割りを決めた奴ですら同衾する状況、これはいかんな」

 ジャンの言うとおり、どのように部屋割りを決めたとしても、ソニアはラムリーザの所に行ってしまうだろう。いっそ部屋割りなどせずに、勝手に分かれてしまえ、でよいのではないだろうか?

 とにかく初日の夜からこれである。こうして、マトゥール島での一日目の夜が過ぎていった。
 
 
 
 




 
 
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Posted by 一介の物書き