しけんべんきょい
9月29日――
真面目に勉強しないソニアやリリスは、最初の試験では赤点だらけの散々な結果となった過去がある。中学時代までは、試験の結果が悪くても精々注意されるだけで済まされていたので、ソニアもその時だけ不機嫌になるだけで済んでいた。しかし高校に入ってからは、一定の成績を残さないと単位が取れずに、最悪留年となってしまう。それでは困るというわけで、二度目の試験前からは、集まって勉強会をするのが定例となっていた。
勉強会を始めてからは、その二人は平均点までは行かずとも、赤点だけは回避できるようになっていた。一応勉強会も意味があったということで、良い事だ。
そして今回、高校に入ってから六度目の試験を迎えていた。今日は朝からラムリーザの部屋に集まって、これまでどおりの勉強会が開催されていた。メンバーは、フォレストピア組。ラムリーザとジャン、ソニアとリリスとユコの五人だ。リゲルはロザリーンと二人で、ポッターズ・ブラフ地方の図書館で勉強し、ミーシャはソフィリータの部屋に来ていて泊まる気なのかもしれない。それ以外はユグドラシルはわからないのと、レフトールは知らないということだ。
ラムリーザの部屋で、テーブルを囲んで――いない。
ソニアは早速リリスと二人で、例の風船割りゲームで対戦をしていた。対戦モードがあるわけではない、本来協力プレイをするところを、お互いに邪魔をして殺しあう無用で迂遠な戦いであった。そして思ったとおり、ソニアはラムリーザに風船について指摘されてプレイ禁止にしたことを忘れて、普通にプレイしている。テーブル席に着いたのは、残りの三人だけだ。
勝負はソニアの勝ち。リリスは風船を全て割られて、ゲームオーバーとなってしまった。
「よっわ!」
得意げにソニアはリリスを挑発する。しかしその程度で怯むリリスではなかった。
「さすが風船おっぱいお化けね。風船の扱いに慣れている、くすっ」
「あっ!」
その一言で、ソニアは先日ラムリーザにやられたことを思い出していた。すかさず電源も切らずに、ゲーム機からカセットを引っこ抜いた。その結果、テレビ画面にはノイズ的記号だけが残されてしまった。
それだけでゲーム大会はすぐに終わり、無事に勉強会を開始できた。これが風船割りゲーム以外だったら、ラムリーザは二人を呼び戻す為に更に多くのゴム鞠を潰す必要があっただろう。
「試験勉強も馴染みの物となりましたわね」
ユコは、感慨深そうにつぶやいた。ジャンには二度目、それ以外のメンバーには五度目となる勉強会だ。
「ソニアとリリスも、今度は平均点を目指そうね」
「平均点取ってもチョコレートもらえないから意味が無い!」
ラムリーザの一言に、ソニアが噛み付いた。逆に考えるとチョコレートをもらえるなら、満点でも取ってくれるということかな?
「それじゃあ満点取ったら、リゲルにチョコレートをなんとか仕入れてもらうようお願いしてみるよ」
チョコレートはお菓子の一つであるが、嗜好品の中の嗜好品、帝国ではめったに手に入らないものだった。もっと南の熱い国で栽培されている原料を取り寄せて作らなければならないが、帝国ではそこまでチョコレートに入れ込んではいなかったのでとにかく数が少ない。去年の冬に、リゲルからもらえたのは奇跡に近いことだった。
「さあ勉強するよ! 3+3=5!」
「全然違う」
「足りなかった点は、ラムが分けてくれたらいいんだ! あたしが40点だったら、ラムから60点没収!」
「そんなルールあるかい」
どっちみちソニアに満点は無理のようだ。
「さてと、どの教科から始めようか?」
「算数以外から」
「それじゃあ数学からやるか」
ラムリーザは司会進行を務め、娘たちの希望を無視する形で進めていった。数学と言えば検討してやったが、算数と言ったからわざとそうしたのだ。
「えっと、今回の試験は確率統計だな」
ジャンは教科書を広げながら、試験範囲について述べた。
「確率統計って何かしら?」
どうやらリリスは、いつもどおり授業は聞いていなかったようだ。今回の勉強会も、長い戦いになりそうだ。
「それじゃあわかりやすく例題を出してやるぞ」
勉強会は、ジャンの例題設問から始まった。しかし――
「いくぞ、例題。ここに箱が一つあります。この中には、緑色のブルマが5枚、赤色のブルマが4枚、合わせて9枚のブルマが入っています。この箱から同時に2枚のブルマを取り出す時、2枚とも緑色のブルマである確率を求めよ。ほら、やってみろ」
ジャンから提示された例題に、リリスは真面目に取り組んでいた。しかしラムリーザは、例題の内容に驚いてあっけに取られ、ソニアとユコは怒り出してしまった。
「なにその例題、ジャンの変態! ドロヌリバチ!」
「ジャンさんには、そんな趣味があったんですのね! 不気味ですの!」
「なんだい? ブルマが嫌ならブラジャーでもいいぞ」
今回の勉強会も、出だしから波乱万丈な様子であった。
ただ言えることは、エロトピアなジャンも、ソニアやユコには不評でも、リリス相手ならほとんど影響が無いということだった。この二人は、妙なところで合っているのかもしれない。
朝から勉強会は始まったが、一通り終わったときにはすっかり日が暮れていた。
「さすがに休憩しようや」
真っ先に根を上げたのはジャンであった。ただし、ソニアやリリスは途中で何度も抜け出してはゲームを始めようとしていたので、言葉に出して言ったのがジャンであって、既に根を上げていたものは何人か居たのである。
「お風呂を貸してくださいですの」
唐突にユコがねだった。朝から暑い中集まって勉強会をしていたものだから、結構汗をかいていた。
「貸したら返してくれるの?」
ソニアが噛み付いてくるが、ユコは「ラムリーザ様に借ります」と言ってソニアの攻撃をうまく受け流した。
「そうだな、今夜はお泊りで勉強会だ」
ユコの提案に、ジャンも乗った。お泊りとか言っているが、これまでの勉強会も基本的にお泊りで、翌日全員一緒に試験を受けに学校に行っていた。
「そう言えばジャン店は?」
「夏休みのキャンプの時に代理人に頼んだ親戚の叔父上が、ここの方が住み心地が良いって引っ越してきたから、ある程度店を任せてもらうことができるようになったんだ。試験勉強をやるならなおさら行ってこいって具合にね」
「では、どうぞ」
ラムリーザは別に泊めることに抵抗は無いので、泊まりたければご自由にといったスタンスだ。客用の部屋もいくつかある。
ただこの場では、風呂に入る順番がどうのという話になった。
「ソニアが一番に入りたいだろうからそうすればいい。そしてユコ、リリスと続いて、その次が俺だ。ラストをラムリーザで締めてもらう」
「それ意味あるのか?」
「美少女三人が入った後の残り湯が――っとぉ! なんでもないよ、なんでもないよ、ほらエル早く入ってこい、後がつかえているぞ」
「エロトピアの思い通りにさせるか、あたしラムと一緒に入る!」
「こっ、こらっ」
ラムリーザとソニアの二人は、去年の冬に起きた大寒波の日以来、よく一緒に風呂に入るようになっていた。しかしラムリーザにとって、それをみんなの前で言われたのでは、たまったものではない。
「ほーお、一緒に入るねぇ?」
「今日は風呂無し!」
ラムリーザはジャンにからかわれて、強攻策を宣言した。しかしリリスとユコに、「入らないと気持ち悪い」と言われて、そのまま風呂を使わせてやることになったのである。
そんな感じで勉強会は日付が変わる頃まで続いたが、徹夜は嫌だというラムリーザの要望を受け入れて、今回の勉強会はここで終わることになった。足りないと思う分は、明日の朝早く起きてからやるという話で決まった。ただし誰も朝から勉強をやろうとは考えていないだろう。
夜中――
何時頃だろうか?
ジャンは、慣れぬ部屋で暑苦しくて目が覚めた。空調が勝手にタイマー式になっていて、寝てからしばらく経った後に切れてしまって部屋が暑くなったようだ。
空調を入れなおすとして、このままでは寝汗で気持ちが悪いので、もう一度風呂を借りることにした。
客用の部屋をそっとぬける。廊下は所々ランプが照らしているだけで薄暗い。ジャンはその薄暗い廊下をそろりそろりと進んで風呂場へと向かっていった。風呂の場所は先程行ったのでわかっていた。脱衣所は薄暗く、浴室は真っ暗であった。
ジャンは着ていたものを全て脱いで、浴室へと入ろうとした。真っ暗だったので、扉を開けたまま手探りで明かりのスイッチを探して浴室の明かりを灯した。
「えっ?」「えっ?」
同時に驚きの声があがる。湯船の中には、黒髪の魔女――じゃなくてリリスが浸かっていた。
「なんで風呂場にリリスが?」
「ちょっと寝汗が酷くて、もう一度入ろうと思って」
「あっ、俺も俺も――」
そう言いかけて、ここでジャンはリリスが当然の如く裸なのに気がついて、思わず凝視してしまった。
「とりあえず、明かりを消してくれるかしら?」
リリスに言われてジャンは我に返り、慌てて明かりのスイッチを切った。しかし窓から差し込む月の光が、リリスの横顔を照らしていた。
「真っ暗の中で湯船に浸かるなんて変わっているね」
「闇の中で浸かっていると、これが一番落ち着くのよ。あなたもどうかしら?」
リリスはいつもの誘惑モードたっぷりの口調で、まるでジャンを挑発しているかのように語った。
「そりゃあもう、もちろんのろん」
ジャンは、喜び勇んで湯船に飛び込んできた。月明かりしか照らしていない湯船の中で、二人は少し離れて差し向かいとなった。
「びっくりさせてごめんなさい。別にあなたを脅かそうと思って潜んでいたわけじゃないのよ」
「いやぁ、こっちこそごめんよ。まさかリリスが入っているとは思わなくてね。でもいいもの見れたよ」
相変わらずの、エロトピア発言のジャンであった。しかしリリスは気にしていない。そもそも気にするぐらいなら、ジャンが入ってくるのを拒んでいたはずだ。
「さすがラムリーザの屋敷の浴槽ね、まるでプールみたい」
リリスの知っている浴槽とは違い、部屋の半分以上が湯船になっていて、ちょっとした小プールぐらいの広さがあった。十人ぐらいなら余裕で入れそうだ。
「広い風呂は好きかい? そうだなぁ、温泉――はうまく熱水泉が無いと造れないけど、天然温泉じゃなくて人口温泉なら造れるぞ」
ジャンはそう言いながら、これはチャンスじゃないかと考えてリリスに少し近づいてみた。暗闇に目が慣れてくると、月明かりだけでも湯船に浸かるリリスの姿がよくわかる。
「温泉ねぇ」
リリスはジャンが近づいたのに気がついているのか、気にしていないのか、ジャンをじっと見つめたまま微笑を浮かべていた。
「リリスからいい匂いがする」
「さすが貴族の屋敷ね、置いてある石鹸も高級品」
「俺のエプスタイン家も、今回男爵号を授かったから貴族の一員のようなものだぞ。そうだ、俺の店にあるホテルも、同じ石鹸を置いてやってもいいぞ」
「こんな高級品を、あのソニアが使っていると思ったら癪だわ」
「リリスも使えばいいさ。エルなんかに全然負けていないよ」
ジャンとリリスの会話は、噛み合っているのかどうなのか微妙なところだ。ジャンの言葉を、リリスはのらりくらりとかわしているように見える。
「ジャン――」
リリスは、いつもの微笑を浮かべながら、ジャンの方へと顔を近づけた。
「なんだろう?」
「あなた、私の事が好きなの?」
「ぶはっ!」
ジャンは、リリスに目の前で突然そう問われて思わず吹き出した。
リリスがここまで踏み込んできたのは、ジャンにとっては初めてだったために、驚いたのだ。
ジャンは、リリスをフォレストピアに住ませるために自分の経営する店のホテルの一室を与えているが、だからと言ってリリスの部屋に無駄に押しかけたことは無い。表向きには慈善事業、ただし下心あり程度に留めていた。ラムリーザとソニアと違い、ジャンはエロトピアと言われながらも、リリスと清い交際をしているつもりだった。交際しているのかどうかは未だに不明ではあったのだが。
好きとか嫌いとか明確に語り合ったわけではないが、去年に帝都の店でラムリーズ初公演した前後から電子メールのやり取りは続いていて、今年からは物理的な距離も近づいていた。
「そうだよ」
それにジャンは、最初は驚いたもののシャイな性格ではない。これまた好都合とすぐに考えて、渡りに船とばかりに肯定してみせる。
「そっか……」
だがリリスは、ジャンの答えを聞くと突然微笑が消え、急に真顔になって立ち上がった。
「リリス?」
突然目の前に立たれて、ジャンは再び驚いてリリスの顔を見上げる。ソニアほど規格外ではないが、それなりに大きな胸から少し覗いた顔は、月明かりの逆光になっていてよくわからない。これが相手がソニアだったら、この位置関係からだと風船に隠されて顔は見えなかっただろう。
「おやすみ、ジャン」
そう言い残すと、リリスは湯船から出て浴室から立ち去っていく。
一人残されたジャンは、流石に少し不安を覚えていた。
「やっぱり俺だとダメなのかなぁ?」
窓の外に浮かぶ月に問いかけてみたが、月は白く輝くだけで何も答えてくれない。
その時、急に浴室の明かりが灯って、ジャンは三度驚いた。浴室の入り口を振り返ると、着替え終わったリリスが扉の隙間からこちらを覗いてきていた。
「明かりは点けていってあげるわ。それじゃまた明日ね」
リリスはくすりといつもの微笑を浮かべてそう言うと、すぐに顔を引っ込めて扉がバタンと閉まった。
再び一人取り残されるジャン。どうもリリスはつかみどころがよくわからないな――
そう考えながら、ジャンは湯船の中に顔を沈めて大きく息を吐き出した。
翌朝ジャンとリリスが顔を合わせたときも、リリスはいつもと同じような雰囲気で接しているのだった。やはりよくわからない二人の関係である。
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