ぎんなんソニア
11月13日――
この日は、フォレストピア組は学校が終わるとそのままごんにゃに訪れていた。
時々晩御飯が待てない時――食いしん坊のソニアはしょっちゅう――は、晩御飯とは別に夕飯だとこじつけて、時々ここでリョーメンを食って帰っていた。
「ところで領主さん、ギンナンをご存じですかな?」
いつものように、ラムリーザはカウンター席でごんにゃ店主と雑談しながら、つけるぶんという冷たいリョーメンを食っていた。
女性陣はボックス席に陣取り、ラムリーザとジャンは二人でカウンター席に座るというのが定番だ。
というのもボックス席は四人掛けで、フォレストピア組は五人。一人あぶれてしまうぐらいなら三人と二人に分かれようというものだ。
そこで唐突に店主の話に上がったものがギンナンだ。ギンナンとは何か? ラムリーザは初めて聞く単語だった。
どうやら店主の故郷ユライカナンでは、この時期になると取れるらしく、秋の珍味などと呼ばれているらしい。
「そのギンナンって、何ですか?」
「そうだねぇ、簡単に言うとイチョウの実だな。いや、種子かな?」
「イチョウの実……」
イチョウの木なら知っている。まるでアヒルの足のような、独特な葉っぱを付ける広葉樹だ。帝都では街路樹として植えられている通りもあった。
しかしイチョウの実となると――?
「あの臭い奴だな」
ジャンの言葉を聞いて、ラムリーザも思い出した。確か黄色っぽい実を付けたはずだ。
しかしあの実を食べるとは考えたことも無い。
プールの塩素消毒剤を食べたことのある食いしん坊のソニアでも、あの実だけは食べようとしなかった。何しろ臭いが独特で、汗臭いというか、腐った物というか、うん――排泄物というか、とにかく嫌な臭いを発していた。
ソニアなどは、小さいころその実を踏んだ靴で蹴ったり、その実を投げつけたりと嫌がらせを随分とやったものだ。
「あの実ですか、思い出しました。あの実をギンナンというのですね。あれがどうかしたのですか?」
「食ってみると、独特な味で美味い物だぞ」
「あ、あれを食べるのですか……」
ラムリーザは、ソニアでも食べようとしないイチョウの実を食べるという店主に、ほんの少しだけ戦慄を覚えた。
確かに帝国とユライカナンでは、食文化は違うところがある。こうしてリョーメンとか、最近ではてんぷらソニア――じゃなくて、てんぷらなどもユライカナン産の美味い物を食えば辛口の酒――を飲むのはまだ早い。
「少しだけ本国から取り寄せたギンナンがあるんだ。いい機会だから、領主さんにも体験してもらおうか」
「いや、それはちょっと――」
さすがにそれは遠慮しておこうと考えたラムリーザを他所に、店主はカウンター席にイチョウの実を十個ほどばらまいた。
「ちょっと待って――って、あれ?」
一瞬身を引いたラムリーザだったが、カウンター席に転がった物を見て思いとどまる。
そこには記憶にあるイチョウの実、腐ったサクランボと形容できるような黄色くて臭い物ではなく、肌色の殻に包まれた小さな楕円形のものが転がっていた。指でつついて転がしてみると、固い殻に包まれているものだということが分かった。
「これがギンナンというものだよ」
店主に聞いたギンナンというものは、ラムリーザが覚えていたイチョウの実とは全然違うものであった。
「これをどうするのですか?」
「殻のまま炒ったり、殻をむいて中身を茹でて食べると美味いもんだ」
「これをですか……」
ラムリーザは一粒手に取ってみる。殻は固そうで、このままでは食べられそうにない。そこで殻を指で挟んで力を込めてみた。すぐにピシッと音がして、殻にひびが入る。そのまま潰してしまわないように、力加減を調整しながら殻を取り除いてやった。
「おおおお? その殻を指で割るとは……、領主さん凄い力だね?!」
「こいつ握力が103cmもあるんですよ」
ジャンが、わざと単位を間違えて教えてやった。ソニアが反応したかどうかは、カウンター席からは背を向けているので分からない。
殻を割ったギンナンの中は、茶色い薄皮に包まれた物だった。
「薄皮を向くためにしばらく水に浸しておくのだが、丁度ここに炒めたものがある。ほれ、食べてみい」
店主が差し出したのは、楊枝に三粒ギンナンを刺したものだ。黄緑色の種が独特な雰囲気を放っている。
ラムリーザとジャンは顔を見合わせた後、思い切ってギンナンを口に運んでみた。
「こ、これは――?!」
ジャンがつぶやく。
「美味いじゃないか」
ラムリーザも続く。
ギンナンの味は、少し苦みがあるものの、それが丁度いい。
「もっとくれろん!」
ジャンは、妙な方言でお代わりを要求する。
「食べ過ぎると死にますぞ」
店主は薄笑いを浮かべて答える。
「げっ、毒かよ?!」
「うむ、百個程食えば死ぬぞ」
「そんなに要らないよ」
ラムリーザもジャンも、流石にこれを百個も食べたいとは思わない。しかしソニアなら百個でも二百個でも食べるかもしれないから油断できない。――と思うが、そもそもそんなに数は用意できていない。
「でも十個ぐらいなら、美味いし丁度いいかもね」
ラムリーザは割とギンナンが気に入ったようだ。
「それならまだ日が暮れるまでしばらく時間あるし、丁度この時期だとイチョウの実も落ち始めるころだ。どれ、取りにでも行くかね?」
店主は、ラムリーザたち以外に客が居ないのを確認して、ギンナン集めを提案した。
「行こう行こう、後で調理方法教えてくれたら、家でも食べられるね」
「なぁに、簡単な方法だと、フライパンで殻のまま炒るだけでいいのさ。パンと殻が始めたら出来上がりだ」
そういうわけで、急遽イチョウの実を拾いに行くという話になった。店主は店の前に「準備中」と書かれた看板を置いて、ラムリーザたちを率いて山へ行くこととなった。
まだフォレストピアでは、イチョウの木を街路樹にしていない。そこでラムリーザの屋敷から近い西側の山脈、ロブデオーン山脈へ向かった。
フォレストピア駅から汽車に乗って、西へと向かう。
「イチョウの木って生えていたかな?」
「つねき駅の近くにあったような?」
ラムリーザやソニアは、普段は常に木々を観察しながら歩いているわけではない。イチョウが生えていようが、ブーゲンビリアが生えていようが、二人にとっては「木」でしかなかった。
つねき駅、フォレスター邸の庭園アンブロシアから近くにある駅。ラムリーザたちが登校に使うだけのために作られた駅。最近では、炭鉱トゥモロー・ネバー・ノウズの最寄りの駅ともなっている。
一同はつねき駅で降りる。ここからさらに西へ向かっても、国境の川ミルキーウェイ川付近まで駅は無い。遊園地ポンダイパークのフォレストピア支店が完成したら、その近くにも駅ができる予定になっている。
さて、駅から出た先は、南に駅、そして東西北に道が続いている。東は市街地へ、西は炭鉱へ、北はなだらかな坂でフォレストピア邸に向かっている。
「ここらにイチョウの木が生えていたと思うのだが」
ごんにゃ店主は、周囲をキョロキョロしながら北へと向かっていく。
「これじゃないかしら?」
リリスが見つけた木。確かにアヒルの足のような、独特な黄色の葉っぱが付いていたり落ちていたりだ。しかし、落ちているのは葉っぱだけで、あの臭いイチョウの実は落ちていない。
「確かにイチョウだが、これは男木だな。ここではギンナンは取れないよ」
ごんにゃ店主は説明する。店主の話では、イチョウは雌雄異株で、実の成る女木と成らない男木と二種類あるらしい。
イチョウの木を探しながら道なりに歩いていると、そろそろアンブロシアの庭園が見えてくる位置に近づいた。どうやら道に沿って探したのでは生えていないようなので、ちょっと道からそれて林の中へと入って行く。それほど密集して木が生えているわけではないので、迷うことは無いだろう。
「ねぇ、話からしたら、これじゃないですの?」
しばらくして、ユコが発見したようだ。
先ほどリリスが見つけたのと同じように、アヒルの足のような黄色の葉っぱが辺りに落ちている。その間には、くすんだ黄色をした実が落ちている。茎の先に二粒、ラムリーザの記憶通り、サクランボのような形をしている。
「なんか臭いわね?」
リリスが周囲をクンクン嗅ぎながら、顔をしかめる。
「臭いの元はこれだよ」
ソニアはイチョウの実を一房拾い上げてリリスに見せた。
「そう、それがイチョウの実、ギンナンだ」
店主もやってきて、拾いながら説明した。
「汚いわね、近づけないでよ」
リリスは、ソニアから数歩離れた。しかし次の瞬間、ソニアはイチョウの実をリリスめがけて投げつけた。実はリリスの頭にぶつかって跳ねた。
「なっ?!」
「あはははっ、ギンナンがリリスの頭にポコッツ。あっはははっ」
「やったわね! 何がポコッツよ! ポンコッツだったらあなたみたいな乳妖怪にうってつけの世界じゃない!」
ポンコッツなどというものは知らないが、ポンコツならソニアとリリスの頭の中のことを指している。確かにうってつけの世界かもしれない。
「リリスはギンナンが当たって臭い臭い病にかかった、リリスくっさー!」
「腹立つわね」
今度はリリスもイチョウの実を拾って、ソニアに投げつけた。しかしソニアはひょいっと身を引いて――巨大な胸の頭付近に命中。
「やったわ、ソニアも臭い病。そもそもあなたは普段からこんな臭いしているじゃない」
「まっ、なっ! してない!」
怒ったソニアは、再び実を拾って投げつける。リリスは身をかがめて避けて、そのまま足元に落ちていた実を拾って投げつける。
壮絶な戦争が始まった。イチョウの実が、右へ左へと飛び交う地獄絵図。ユコなどは巻き込まれないように、イチョウの木の後ろ側に隠れてしまった。
「ふえぇ――っ!」
そのうち、林の中にソニアの悲鳴が響き渡る。何度か応酬が続いた後、リリスが放ったギンナン弾は、ソニアの口の中に飛び込んだ。塩素消毒剤は食べたけど、イチョウの実を避けていたソニア。しかしここでついに食べてしまった――すぐに吐き出したけど。
「馬鹿なことはやめるんだ!」
そこでラムリーザが二人を怒鳴りつける。この台詞は、二人に対して何度言ったことか。
二人の喧騒を他所に、店主とジャンは落ちていたイチョウの実を持ってきた袋に詰めていた。ユコは臭いから触りたくないとのこと、ソニアリリス戦争に巻き込まれないように、実を集めている人たちを観察していた。
ラムリーザはと言うと、ソニアが盾にしようと近寄ってくるのでちっとも集中できなかった。そこで「馬鹿なこと――」発言である。
「そんな臭い物食べるんですの?」
ユコは、袋一杯のイチョウの実を少し離れたところから実ながら不安そうに尋ねる。
「外側の果肉を取ってしまえば大丈夫だぞ」
「果肉を取って、何を食べるんですの?」
「その中にある種子だな」
「ふ~ん」
ソニアとリリスも戦争を止めて、林の中を適当に散策し始めた。イチョウの実を集める作業には加わってくれないそうだ。
「この林は、ソニア公園林かしら?」
「なにそれ?」
「あなたはおかしくもないのに笑ってばかりいて、知恵が足りないから」
「知恵が足りないのはリリスの方じゃない! この年齢虚数女!」
「局地デブのL女、くすっ」
「こらっ!」
またラムリーザは怒る羽目になる。この二人は二人で放置していたら、すぐに化学反応を起こして爆発する困った娘たちだ。
日も暮れたころ、袋一杯のイチョウの実を持ってごんにゃの店へと戻ってきた。店はまだ閉めたまま、裏庭へと回ってそこでイチョウの実からギンナンを取り出す作業を始めた。
「なにここ臭い、リリスの家みたい」
周囲に漂うイチョウの実の臭いに、ソニアは顔をしかめる。
「ソニアの傍にいるみたいだわ」
リリスもソニアに反撃することは忘れない。
ラムリーザもジャンも、店主の作業を見ているだけで、手伝うのはちょっと遠慮していた。
しばらくして持って帰った実は、殻に包まれた種子と、臭い果肉とに分けられた。
「その実はどうするのですか?」
「ここに穴を掘って埋めてしまおう」
そしてイチョウの実から取り出した種子、ギンナンを持って店の正面に戻った時、既に数人客が待っていた。
「ああ、すぐに始めるからどうぞどうぞー」
店主は準備中の看板を外して中へと急いで入って行った。準備は終わっていて、ただ留守にするから看板を出していただけ、すぐにでも店を再開できるだろう。
リョーメン作りの片手間に、持って帰ったギンナンをフライパンで炒めている。ポンポン弾けてできあがり、少し焦げて半分われたギンナンが皿に乗ってラムリーザたちのテーブルへとやってきた。
「これを食べるの?」
もう臭いはしていないが、ソニアは不安げだ。食いしん坊のソニアでも、あのイチョウの実の中に入っていた物を食べる勇気は無さそうだ。
「さっきちょっと食べたけど、美味かったぞ」
ジャンは殻から中身を取り出して、ソニアの目の前に突き出した。
「なっ、何よ」
「食ってみろよ」
「い、嫌だっ」
「食えっ!」
「ふえぇっ!」
ソニアはラムリーザの後ろに隠れる。なんだかどこかで見たような光景だなと、ラムリーザは一人既視感を感じていた。
ソニアが逃げたので、代わりにリリスがジャンからギンナンを受け取る。そしてためらうことなく口へと運んだ。しばらくの間クチャクチャやっていたリリスは、一言「苦いわね」とだけ答えた。
「この苦いのが美味しいのだよ」
ラムリーザも一粒頂いて、そう言った。
「そうね、これ私気に入ったかも」
リリスは二粒目に手を伸ばしていた。
「ふんっ、リリスは苦い人だから、苦い物が好きなんだ」
苦い人って何だろうか?
「ラムリーザも食べているわ。苦いもの同士、仲良くしましょう」
リリスはラムリーザへギンナンを一粒差し出す。
「俺も苦い人だよ、ギンナン美味いよなぁ」
ジャンは慌てたようにそう言うと、三粒ほど一気に食べてしまった。それを見てリリスは、くすりと笑う。
こうして、ソニアを除く四人は、ギンナンを堪能するのであった。当然のごとくそれで面白いと思わないのがソニアである。
「何よ苦人間どもがっ! こんなものあたしが全部!」
「あ――」
ラムリーザが止める間もなく、ソニアは皿に残っていた十粒ぐらいのギンナンを鷲掴みにすると、全部一気にほおばった。
「なっ、なによこれ! やっぱりじゃない! てんで美味しくない!」
勝手に食べて、勝手に文句を言っている。
「この娘、全部食べちゃったわ……」
リリスはなんだか悔しそうだ。何気にギンナンを気に入っていたっぽい。
「食べ過ぎると死にますぞ」
その時、丁度通りがかった店主が、ぼそりとつぶやいて再び厨房へと戻って行った。
「あ、そういえばそんなこと言ってたぞ」
ジャンは、ソニアを見つめながら言った。その後、全員の視線がソニアに集中する。
「なっ、何よっ――」
ソニアは必死で反抗するが、形勢は明らかに不利だ。
「そう、あなた死ぬのね」
リリスは、ソニアに憐みの視線を向けた。
「やっ、やだっ――」
ソニアはラムリーザにすがる。でも食べてしまったものは仕方がない。
「ギンナン大量に食って死ぬのね、馬鹿みたい」
「ふえぇっ!」
「まんなんだーほーれんぎょーせーしょくてんにょーこりゃーっ!」
リリスは両手を合わせて、謎の呪文を唱えている。これで死に行く者を弔っているつもりなのだろうか?
「てっ、店主っ!」
ラムリーザは、ソニアが大変なことになるのでは? と厨房の店主の方を振り返った。店主は、テボに入れたリョーメンを湯につけながら、「ん? 百粒ぐらい食べたら死ぬぞ」とだけ答えた。
皿に乗ってたのは十数個、ソニアが食べたのは十個程度、それだけならまだ大丈夫のはずだ。
「なっ、何よ脅かして! 苦人間!」
「あなたが一番たくさん食べたから、一番の苦人間よ。ぎんなんソニア、くすっ」
ここにてんぷらソニアに続いて、新たな名称が誕生してしまった。まったくこの食いしん坊には、毎度困らされて脅かされる。
「何よこの噂のプッツンギャル!」
ソニアは懐から小さな小瓶を取り出して、リリスの目の前で振りかざした。何かの液体がリリスに飛び散る。びっくりしたリリスが、かかった部分を払うと「えんっ」と音がした。またブタガエンか……
こうしてラムリーザたちは、ギンナンをいくつか分け合って土産に持ち帰ったのであった。ごんにゃの店主に聞くまでは、まさか食べられるものだとは思わなかったイチョウの実――の中に入っているイチョウの種子。今日もまた、新しいものを体験できました、まる。
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