リリス、居なくなる?
11月18日――
文化祭翌日の朝、いつもの日常が戻ってきた。
今日もラムリーザは、ソニア、ソフィリータと共に、三人で登校中。屋敷を出て、庭園からしばらく南に向かったところにある最寄りの駅に向かっていた。駅名はつねき、意味はわからん。
「ねぇ、ソフィーちゃんのクラスって、文化祭何やってたの?」
会話の内容は、自然と昨日の文化祭の話となる。一日中演奏に明け暮れていたソニアは、他のクラスや部活の出し物を観に行く余裕は無かったのだ。
「文化祭ですか? 劇をやっていましたよ」
「ゲキ? 膝頭を両手でパンパン叩きながらバタバタ足踏みしながらクルクルまわるあのお祭り?」
「あっ、演劇です。ゲキじゃありません」
ゲキとだけ言ってしまうと、そういった祭りが挙げられてしまうから、きちんと言い分けなければならない。
ソフィリータのクラスでは、全員参加の演劇を披露したようだ。
登校中に話を聞くと、何やら主人公は学者たちで、大砲の弾に乗って月まで飛んで行くストーリーだった。そこで初めて見る月世界の景色に驚いたり、月の住民に捕まって逃げ出して大騒ぎしたりといった、夢あふれる物語なのか、パニック物語なのか、いろいろな要素を混ぜた面白そうな演劇をやっていたそうだ。
「ソニア姉様も、見に来てくれたらよかったのに。私は月の住民役でしたが」
「あたしカラオケ喫茶で忙しかったもん。でもいっぱいケーキとか焼いているのに分けてくれない、あー思い出したら腹が立ってきた」
「いや、それはソニアが悪いからね」
ラムリーザは、すかさずソニアの間違いを正しておく。腹が立つからと言って、売り物を食べていい道理がない。
「私は今年が初めてだから知らなかったのですが、軽音楽部って体育館でライブとかやったりする物じゃないのですか?」
「クラスに全員部員が揃っているから、クラスの出し物に巻き込まれてカラオケ喫茶になっちゃうの」
「ふ~ん」
ソフィリータも一応軽音楽部にも所属しているのだが、ミーシャと共にクラスの出し物を優先したようだ。だからカラオケ喫茶には、休憩時間だったのだろう少しの間しか訪れていなかった。
そうしてしばらく歩くと、しっかりと「つねき」と書かれた駅に到着した。プラットホームに入ると、先っぽにある信号機に、なぜかキツネの尻尾のようなものが付いていた。
「うわぁ、この信号可愛いーっ」
ソニアは信号機に駆け寄ると、そのフサフサした尻尾のようなものでモフモフし始めていた。
そこに丁度汽車がやってくる。ラムリーザは尻尾と戯れていたいソニアを無理やり信号機から引き剥がして汽車に乗り込んだ。
つねき駅からフォレストピア駅に移動。ホームで待っていたのはジャンとユコの二人と、あとは知らない人たち。
リリスは居ないようだ。先に行ったのか、今日はお休みか?
「ジャン、リリスは?」
ラムリーザは尋ねてみたが、ジャンは「先に行ったんじゃね?」と不貞腐れ気味だ。
ラムリーザの記憶では、文化祭の後夜祭でジャンからリリスに告白すると聞いていたので、今のジャンの態度を見る限り、そういうことか……、と納得してそれ以上追及することは止めにした。
ユコを加えたソニアたちは、まだ文化祭のことで雑談を繰り広げていた。演劇に対する考察で、ソフィリータの「あの月って、近くから見たら顔があるのかしら?」という意見に対していろいろ話し合っていた。
なにやら演劇の演出で、人の顔を月に見立てて、打ち上げた大砲の弾が目にぶつかるといったシーンがあったそうな。
「それ有りうるよ」
肯定的な意見を出したのはソニアだった。
「だって、ハーゴンのお顔はお月様でしょ?」
「それは絶対に違うと思いますの」
しかしソニアの意見は、あっさりとユコに否定されてしまった。
そうしているうちに、ポッターズ・ブラフ駅に到着。駅から出たところでリゲル、ロザリーン、ミーシャと合流。
ミーシャはラムリーザに近寄ってくるなり、
「村長さん、鶏食っちゃった?」
などと、ジェスチャーを交えて変わった挨拶をした。
「は?」
しかし、よくわからなくてついていけないラムリーザであった。
「なによー、太鼓打ちのお兄ちゃんはノリが悪いなー。ソフィーたん、骨董修理の天才は?」
「死んだ者でも生き返らせるよ」
ミーシャとソフィリータは、二人揃って息の合ったジェスチャーを見せながら挨拶し、最後はお互いを両手の人差し指で指さして決めていた。
「何あれ?」
ラムリーザは、リゲルに尋ねてみた。
「知らん。なんか一年生の間で流行っている挨拶らしい」
「ふ~ん」
「太鼓打ちのお兄ちゃんっ、リベンジさせてあげるよ」
そこにミーシャが再びやってくる。
「お、おう」
ラムリーザは身構える。
しかしミーシャの挨拶は――
「石蹴って、紙切って、ぴっ?」
「は?」
「だめだなー、太鼓打ちのお兄ちゃんはっ!」
呆然とした顔で佇むラムリーザを他所に、ミーシャはさっさと先に進んでいってしまった。
「な、何あれ?」
「さっき言った」
再びリゲルに尋ねるが、あっさりと返されてしまうラムリーザであった。
しかしここにもリリスは居ない。いつもの顔ぶれから一人欠けるだけで、ちょっとした違和感を感じるものだ。ジャンも元気なさそうだし、これだから恋愛ってやつは――
「ところでリゲル、天文部の展示物、後で見せてほしいな」
――などと考えながらも、ラムリーザはリゲルと雑談していた。何だかんだで、リゲルの話を聞いているうちに、ラムリーザも宇宙に関して興味を持ち始めていた。
「そうだな、月について調べたことをまとめているから、後でノートを見せてやろう」
なぜ月なのかというと、リゲルはミーシャのクラスで月世界に旅立つ物語を演劇すると聞いたので、それなら本当の月を見せてやろうとした、ただそれだけのことだった。
学校の門が見えてくると、突然ソニアがしゃがみ込む。なんだ?
――と思っていたら、足首までずり下げられてモコモコになっていたサイハイソックスを持ち上げただけだった。しょうもない、風紀委員対策だった。
しかし、教室に入っても、そこにリリスの姿は無かった。
「あれ、先に出たのじゃなかったのか?」
リリスの姿が見えないのがわかり、ジャンは不思議そうにつぶやいた。
「え、やっぱり?」
今朝ジャンはいつも通りに、自分の店のホテルを使わせているリリスと登校しようと声を掛けたが、既に部屋の中はもぬけの殻だったと言うのだ。
昨日のこともあり、気まずくて先に出たのかなとジャンは思っていたが、教室に姿は無い。つまり、リリスは家にも学校にも居ないということになっている。
「変だな、ユコは何か聞いてない?」
「聞いてないですの」
「ん~」
「わかった」
――と声を上げたのはソニアだった。
「却下」
すかさずジャンは、ソニアの意見を否定する。
「まだ何も言ってない!」
「エルの言うことは、毎回まともじゃないのは分かっているからなぁ」
「ふんっ、リリスは不良になったんだ。レフトールに感化されて、番長と一緒に学校サボるようになったんだ。今頃番長と一緒だよ」
「そ、それはないはずだ……」
「それはありませんですの!」
力弱く否定するジャンと、なぜか強く否定するユコであった。
そこにレルフィーナがやってきて、最優秀出し物賞を貰えたことを報告した。彼女はありがとう、また来年もやろうねと言った。来年も同じクラスになれたら良いけどね。
しかしリリスは、結局一限目の授業が始まっても、教室に姿を見せなかった。
休み時間、リリスが居ないとソニアも大人しくて平和だ。
ユコとソニアでは、あまり口論は発生しない。ユコの方がある程度精神年齢が高いから、ソニアと同レベルのリリスと違って暴れるソニアから一歩引いた形になってしまうのだ。
今日はリリスが居ないので、ジャンはリリスが何時も居る場所へと入ってきた。これでラムリーザとソニア、ユコとジャンの二組に分かれて向き合う形となる。
「リリス来ないね……」
自然と会話の内容は、姿を現さなかったリリスの話となる。
「う~む……」
悩むジャン。ジャンからすれば、昨日文化祭で別れてしまってから、気まずくて顔を合わせていない。そして今朝、いつものようにリリスの泊っている部屋に向かったが、既に居なかったと。
「ジャン、文化祭の後夜祭でリリスと一緒じゃなかったのか?」
「う~む……」
「何があったんだ?」
「う~む……」
ジャンは、唸ることしかしない。
「わかった! ジャンはエロトピアだから、リリスにおしっこしているところ見せてって言ったんだ。それでリリスは怒ってどこか行っちゃったの!」
「んなわけねーだろエル! お前が見せてみろや!」
ソニアの勝手な、そして無茶苦茶な物語に対して、ジャンは唸り以外の言葉をようやく発した。それでもリリス抜きだと、いまいち盛り上がらない。
やはりラムリーズは、ソニアとリリスが二枚看板なのだ。
放課後――
今日は部活無しで帰ることにした。
やはり二枚看板が揃わないとやる気が出ないし、楽器は文化祭で使ったので、スタジオではなく部室に置いたままだ。
部室を使えばいいじゃんという話になるが、一度ちゃんとしたスタジオを使うと、部室はあまりにも設備が……、それにジャンも元気無さそうだ。
結局ラムリーザとソニアは、そのまま屋敷へ帰ることにした。
「おかえりなさいませ、ソニアお嬢様。今日も一日ご苦労様でした」
今日もつねき駅で、意味のないメッセージが流れた。
最初はラムリーザに対するメッセージだったが、リゲルにこんなものは要らないと言って取り除いてもらうことにした。でも折角設置したのだから、とソニアが自分で使うことにしたのだ。
こうしてラムリーザとソニアの二人が乗っている時限定で、この意味のないメッセージが駅で流れることとなった。しかしこのメッセージに、ソニアはまんざらでもなさそうな顔だ。
「わかった、ジャンはリリスに振られたんだ」
駅から出たところで、まるで思いついたかのようにソニアが言った。
「でも今日出てきたのはジャンだぞ? 振られた方が出てきて、振った方が失踪?」
「ならばジャンがリリスを振ったんだ。リリスざまーみろ」
「後夜祭で、ダンスに誘って振るのか?」
「最後の戯れよ」
「ん~」
あまり考えられない事だ。それに失踪とは物騒だ。
二人はそのまま屋敷には帰らずに、途中の庭園アンブロシアで日没までのんびりしていた。
「ねぇ、ラム」
二人並んで草原に寝転がって沈む夕日を眺めていると、ソニアが尋ねた。
「なんだい?」
「ラムは居なくならないでね」
先ほど失踪という言葉を発したので、ソニアなりにもいろいろ考えていたようだ。
「何を言い出すんだよ。リリスも失踪したわけじゃないさ、きっとカゼでも引いて寝込んでいたんだよ。だから朝、ジャンが呼びに来ても起きなかったんだ」
「それだったらいいけど……」
「明日、見舞いにでも行こうや」
「やだ、移る」
しかし、友達甲斐の無いソニアであった。
ラムリーザは、日が沈むまでじっと横たわっていた。そしてソニアもそれを知っているので、黙って傍に座ったまま起き上がるのを待ち続けていた。
「なんだかあの時みたいだね」
ラムリーザは、傍に居るソニアにちらりと目をやって言った。
「あの時?」
「ほら、帝都を去る数日前。あっちの庭園でいろいろ考えていた時も、ソニアはずっと傍にいたよね」
「あの日かぁ」
それはまだラムリーザとソニアが恋人同士になる前、そしてラムリーザがソニアを選んだ夜の昼間の出来事であった。
「ラムと一緒に次の世界を作っているよね?」
「よく覚えているものだな」
それはラムリーザの告白の言葉であった。
ジャンがリリスに告白したであろう日の翌日、ラムリーザとソニアは自分たちがそうであった日のことを思い出していた。
「ラム、ありがとう」
「ん?」
「あたしを、選んでくれて」
「ん」
あの日、二人は新しい時を刻み始めることができたのだが、ジャンとリリスは――?
二人が屋敷に戻った時、すでに日は沈んで空は藍色になっていた。
屋敷に入る前に、ソニアはヘンコブタを飼っている檻へと向かい、傍にある大きなボトルに入っているブタガエンを、自分の持っていた小瓶に補給。
どうでも良いことだが、ソニアはいつもブタガエンを少量持ち歩いている。何に使うかと言えば、もちろん人にかけるためだ。今日はリリスが居なかったので、一度だけユコに振りかけていたようだった。
異変が起きたのは、二人が晩御飯を食べ終わって、いつものようにラムリーザの部屋でのんびりし始めた時の事だ。
ラムリーザはドラムの練習を始め、ソニアはハンバーガーを作るゲームを始めたその時、ラムリーザの携帯端末が、通話の着信があることを示すメロディを奏でた。
ディスプレイを見ると、ジャンの文字が書いてある。
「はいなんでございましょ――誰やーっ!」
いつものように、ラムリーザは妙な切り出し方をする。しかしジャンからの言葉は、それに対する突っ込みではなかった。