プロレス同好会黎明期の一幕
12月16日――
この日の放課後、ラムリーザは気がついたら教室に一人取り残されていた。厳密に言えば数人残っているが、ただのクラスメートで交友の無い者がポツポツ残っているだけだ。
ジャンとリリスは降竜祭実行委員の集まりにさっさと出かけてしまっているし、リゲルも降竜祭の準備が始まってからはリリスやジャンが来ないので軽音楽部の集まりが無く、ロザリーンと天文部の方に顔を出している。
レフトールは子分たちと共に教室に現れない時があって、それが今日などで元々いない。
ユコとソニアに至っては、ユコが「ココちゃんが三十三体になりましたの」などと余計なことを言うので、まだ二十一体しか集めていないソニアが帰りのショートホームルームが終わると同時にごんにゃ目指して教室を飛び出していってしまい、ユコもそれを追いかけた。
ココちゃんが二十一体で不十分というソニアもおかしいし、三十三体も集めるユコも大概だ。そもそも競争するように駆け出したのはよいが、どうせ駅で汽車を待っていたら同じことになる。
先に一便早く乗れた場合のみ、差が生まれるというのだろうが、どうせ一杯しか食べないのなら店に行くまでの時間など関係ない。いろいろと突っ込みどころがあるが、彼女らをいちいち突っ込んでいたらきりがない。
そんなわけで、ぼんやりと構えていたラムリーザは、あっという間に一人取り残されてしまったわけだ。
「忙しないなぁみんな、そんなに急いで生きる必要も無かろうに……」
微妙に哲学チックなことをつぶやきながら席を立ち教室を出、珍しく一人で廊下を歩いていく。こんな時に、ケルムさんと出くわしたらめんどくさいなぁ、などと考えながら。
その時、ラムリーザの前に興味を引く部屋が現れた。
そこは小さな部屋で、例えば「1-2」とか書かれているプレートには「プロレス同好会」と書かれている。
「こんな小さな部屋で、何をやるんだろう?」
ラムリーザはそう思って、扉に手をかけた。この部屋の広さだと、プロレスリングの設置はできないだろう。
「んん?」
ラムリーザが扉を開けると、部屋の中央に置いてある折り畳み式テーブルと、その周囲に並んだパイプ椅子。そして、その椅子に座って何かを書いている生徒が一人居て、こちらに顔を向けた。
「なんだ、ラムリーザか」
「ベイオ、だったね」
そこに居たのは、プロレス同好会で部長――いや会長か? を引き受けているベイオ・オレクサンダーであった。
部屋は教室よりも二回りほど狭い感じで、横幅は折り畳みテーブルとその左右に置かれたパイプ椅子、その後ろを通れるぐらいの広さだ。正面の壁に大きな窓が一つ、左右の壁には学校らしく黒板があるのと、反対側にはスチールラックが置いているだけのシンプルなものだ。その他あるものは、掃除用具入れぐらいといったところか。
「入部してくれる気になったってことでいいのかな?」
「んや、ちょっと気になったから覗いてみただけだよ」
「気にはなってくれたんだね、まあ掛けろよ」
ベイオは、椅子を指差して座るよう促してくる。ラムリーザは、どうせ暇だしというわけで、ちょっとだけ活動を覗いていくかと思って、言われるままに席についた。
「プロレス同好会にしては、なんだか文化的な空間だね」
「まぁ同好会レベルで、大きな部屋を貰えるわけないし、ここはここで使えるから今はこれでいいさ」
ラムリーザのイメージするプロレス同好会の部室として、知っているイメージで一番近い物は、ゴジリの経営するスポーツジムだった。あそこもバクシングだけでは人は集まらないと、最近では格闘技全般で人を集めている。
プロレスもバクシングも、リングを使った競技だという点も同じだし、そのリングの形状も似たようなものだから問題ない。ラムリーザの認識する大きな違いと言えば、バクシングはロープワークを使わないのでロープが緩め、プロレスはロープの反動を使った技もあるので、しっかりと張っているの違いぐらいか。
「トレーニング器具も無いし、こんなところで何をやっているんだ? 読書?」
「そんなのは文芸部にでも任せてなって。そうだなぁ、物語を作っている――かな?」
「やっぱり文芸部じゃんか」
「まぁそうなるかな、アングルって知っているかい?」
「角度とか?」
「違う違う、プロレスはただレスラー同士が戦うだけでは成り立たないのさ。戦う意味というか、その戦いに至るまでの経緯とか、そういった物語をアングルって言うんだ」
「ほへー」
ラムリーザは、ジャンやリゲルも言っていた通り、プロレスとは技の受け合いで真剣勝負というよりは、ショーのようなものだとはなんとなく分かっていた。
つまり、ベイオはここで未来のプロレス団体が発足した時向けに、いろいろと戦いの物語を思い浮かべてはノートにまとめているのだった。
「他のメンバーは来ないのかい?」
「ヤンブットはどこかで自己トレーニング中。まぁ今は自己トレぐらいしかできないけどな。ジャンは降竜祭実行委員だし、マックスウェルは時々しか来ないなぁ……。まぁレフトール一味だから、あまり当てにはできないのはわかってるけどね」
「いや、今日は来てやったぞ」
突然ドアが開いて、部室に入ってきたのはレフトールの子分第一号マックスウェルであった。
「ほう、今日は真面目に出てきたな」
ベイオは感心して見せるが、ラムリーザはとりあえず突っ込んでおいた。
「レフトールもだけど、今日の帰りのショートホームルーム――というか午後の授業から居なかったよね?」
「昼休みにみんなとカードゲームやってたらなかなか勝負がつかなくてさ、気がついたら放課後だったんで部室に来てみただけ。レフも部室に行くか、とか言っていたけど、ラムリーザはここに居て大丈夫なのか?」
「あーまー、折角レフトールもやる気出してくれたのはありがたいけど、たぶん降竜祭が終わるまで部活はあまり無いと思う。いや待てよ、ユグドラシルさんから降竜祭で演奏する曲の練習頼まれていたような……?」
ラムリーザは、そこで大事なことを思い出していた。降竜祭のテーマソングをユグドラシルが持ってきて、当日それを生演奏して歌うと言ったイベントを聞かされていた。
ジャンとリリスが参加できないからと言って、フリーダムに過ごしている場合ではなかったのだ。
「ん? なんか珍しい物持ってる?」
マックスウェルは、ラムリーザが腰にぶら下げているブランダーバスを見つけてひょいと取り上げた。ラムリーザは一瞬、あ、それは、と思ったが、昨日の成果を試すべく黙っていた。
「君には扱えないよ」
だから、それだけ言っておいた。
マックスウェルは、ブランダーバスをいろいろな角度から見て、使い方を自分で考えてそのように使ってみる。筒の先を窓の方に向けて、グリップを握って引き金に指をかける。しかし――
「んん? ここは動かないな」
その台詞を聞いて、ラムリーザはしめたものだと思った。
想定通り、指の力が並のマックスウェルには引き金を動かせなかった。引き続き使い方を探ろうといろいろと見て回っているが、暴発させることは無いだろう。
もっとも、流石に学校で実弾を発射することは無いだろうと、元々弾は込めていない。ただ、かっこつけるためだけに持ち歩いているようなものだ。
ただし、それは一般に知れ渡っているものではないので、周囲の人はラムリーザが何か持っている、ぐらいの認識しか持っていないのはこの際気にしてはいけない。
「そんなことより、真面目に部活出ているんだね」
ラムリーザは、マックスウェルについてはそれなりの知己がある。レフトールに連れられるという形ではあったが、夏休みにキャンプに同行した仲でもあった。
それに、彼にはさほど凶暴さがない。レフトールと腐れ縁でもなければ、意外と真面目な学生であったかもしれないのだ。
「悟ったのさ」
「悟り?」
「馬鹿な事ばかりやってないで、ちゃんとした部活に参加することにさ」
普通に真面目な生徒であった。朱に交われば赤くなるという格言があったような気がするが、彼も朱自体が別の物であれば、別の生き方もできるといったところだろう。
もっともラムリーザは、レフトールにも良いとこはあると考えていたが。
「それじゃあもうちょっと参加する日を増やしてくれたら助かるね」
それでも、飛び飛び参加では、ベイオのお気に召すわけではなかったようだ。
「レフがわかってくれねーんだよ。番長に部活は似合わないとか勝手に思い込んでいてさ。それに、こんな狭い部室だと、プロレスの練習できないっしょ?」
「それを言われると辛い所だが、いずれは部として認めてもらって、トレーニングルームを得てみせるよ。そこでだ――」
ベイオは、再びラムリーザの方へ向き直って言った。
「マックスウェルも真面目にやろうとしているんだ。ラムリーザもこっち来いよ」
「いや、僕はバンドを真面目にやって――いるのかなぁ?」
すぐに雑談部に化けたり、今は集まりが悪かったり、そんなわけで思わず口ごもる。だから「ソニアが怒るからやめとくよ」と答えておいた。
「ふ~む、ソニアね。あの賑やかなのか」
「それで、物語ってどんなのかな?」
ラムリーザは、ベイオの口調にどこか含むような所を感じたので、話をそらすためか今現在彼がやっていることについて尋ねてみた。
「う~む、部長の俺がエースでいいのかわからないが、ヤンブットが対抗馬、マックスウェルはハンマー攻撃やりたいとか言うから悪役で。ジャンは掛け持ちとな何とかで、マックスウェル以上に出てないからこの際予備役扱いで……。そのぐらいしか今のメンバーでは行えないんだよな」
「ジャンねぇ、彼は普通にもう働いているようなものだからね」
「最低六人は欲しいかな。それならシングルマッチも、タッグマッチも、六人タッグもできるんだ」
実際ラムリーザの所属する軽音楽部にも、ジャンは所属している。しかし、一緒に練習に参加するのは稀で、学校が終わった後の多くの時間は自分の店の経営に力を入れている。
もっとも彼の店のおかげで、ラムリーザたちは活躍の場や小遣いをもらえているので、彼を悪くは言えない。むしろ感謝している。
「例えば――。俺とラムリーザの決戦が組まれていたとする」
「いや、だから僕はプロレスは――」
「俺がリングで待っているのに、ラムリーザはなかなか入場してこない。よく見ると、ハンマーを持った何者かがラムリーザを襲撃している。そいつはひとしきり暴れると、さっさと引っ込んでしまうが、ラムリーザはとても試合できる状態じゃない。俺も適当に大暴れして、結局無効試合に。――とまぁ、そんな物語も演出できるわけだ」
「ハンマーで襲い掛かるって、俺のことか? なんで俺がラムリーザを? やだよ、あとでレフに何って言われるかわかったもんじゃねーし」
ハンマーで殴ると言えば、マックスウェル。夏休みキャンプのプロレス大会では、精巧にできたおもちゃのハンマーでジャンを大流血させ、ノックアウトさせたっけ?
「むろん演出だよ」
ベイオの言うように、キャンププロレスの時もハンマーはおもちゃだし、ジャンも事前に血糊を用意していたのだった。
「マックスウェルのテロリスト事件は置いといて、トレーニング場所ならいい所を紹介してあげるよ」
「いやまてよ、勝手にテロリストに仕立て上げられても困るんだけど」
マックスウェルは何だか文句を言っているが、ラムリーザは帰宅ついでにベイオにフォレストピアにあるゴジリのジムを紹介しようと考えた。あそこは今ならまだ人で一杯といったわけでないので、歓迎してくれるだろう。
そんなわけで、今日はもうラムリーザ一人になってしまっていたので、ベイオとマックスウェルを連れてプロレス同好会の部室――いや、会室? を出て、運動場で自主トレをしているヤンブットも拾って、四人でフォレストピアに向かうのであった。
ゴジリの格闘技ジムは、仕事の終わる日没後からちょくちょく趣味で運動する人が集まるのだが、夕暮れ前のこの時間はわりとガランとしている。
「へー、いいところあるじゃんか。すげーな、やっぱり君を引き抜きたいもんだよ」
「だからソニアが怒るからできないって」
ヤンブットは早速トレーニング器具に向かっているし、マックスウェルは数回ここを見たことがあるので多少は勝手を知っている。
「つまり、ソニアをマネージャーか何かとして引き抜けば、あるいは――」
ベイオはラムリーザ引き抜き作戦をいろいろと練っているようだが、ソニアはいつもどおり「ラムが行かなければ行かない」だろう。そしてラムリーザは「ソニアが怒るから移籍しない」という感じだ。
「ラムリーザ君、君はプロレス部の星だ。共に汗を流し、一緒に王国を作ろう」
「あいやいや、たまに顔を出して、一緒に汗を流すぐらいならできるよ」
「熱い期待を込めて待っている」
「――と言われてもなぁ……」
ベイオは、やはりラムリーザを諦めていない。そしてラムリーザの能力自体も、ゴムまり潰したり銅貨を曲げたりと、その力はプロレスのパフォーマンス向きなのかもしれない。
だからラムリーザは、ほぼ有りえないが未来の可能性として示唆できる台詞だけを残すことにした。
「もしも、軽音楽部が廃部になったら、レスラーの道も検討することにするよ」
まぁ普通に考えて、有りえないことだ。
部員も順調に増えていて、仮に来年新入部員が増えなくとも、部を維持する最低人数は割らないので、ラムリーザが在学中に廃部になることは無いだろう。
それに今現在も、ラムリーザは時々トレーニングと称してゴジリのジムに通っている。妹のソフィリータなどは、その三倍は通っているだろう。
軽音楽部自体も、今では部室での活動よりも、ジャンの店にあるスタジオでの活動が主である。
要は、細かい枠に捕らわれる必要は無い。