疑惑のココちゃん ~八箇条の誓約~
12月18日――
この日、ラムリーザは学校から帰ってくると、玄関ホールでメイドのナンシーと遭遇した。どうやらナンシーは、ラムリーザが帰ってくるのをずっと待っていたようだ。
「おかえりなさいませ、ラムリーザ様」
いつものメイドとしての挨拶だ。
「ただいま、ソニアは今日は別行動だよ」
一応彼女はソニアの母親でもあるので、ソニアの動向も伝えておく。
「いえ、今日はあなたに少し伺いたいことが」
ナンシーは、すこし訝しむような目つきでラムリーザを見ている。ソニアではなくてラムリーザにこのような視線を向けてくることは珍しい。
ラムリーザは、直感で何かややこしいことになったと察した。ただ、自分に直接行ってくると言うことは、ソニア絡みではないかもしれない。それなら毅然とした態度で接するだけだ。
「何か問題でも起きましたか?」
毅然と問いかけるラムリーザ。しかし、ナンシーの持っていた疑問は、ラムリーザの毅然とした態度を一発で崩してしまったのである。
「あなたの部屋を掃除しましたが、ちょっと気になる点が……」
思いっきりソニア絡みの予感がして、ラムリーザは思わずドキッとする。バレているような気もしないでもないが、ラムリーザとソニアはずっと同棲中である。
広い屋敷とはいえ、お互いの家族同居の状況で同棲。広くて大きな屋敷なので、普通の一戸建ての部屋と廊下という規模ではなく、アパートやマンション数階分がそのまま家になったような規模ではあるのだが、見つからないとは限らない。
「な、何かおかしなことが?」
今度はなんとか平静を保って問いかける。
「同じぬいぐるみがなぜ大量に転がっているのかさっぱりわかりません。最近また増えていっているみたいですし」
ココちゃんのことだった。それはぬいぐるみじゃなくてクッションだよ――とソニアみたいなことを口走りそうになる。ラムリーザは半分ホッとして、半分憤りを感じていた。
「あれはソニアが――」
そう言いかけて、ごほんと誤魔化した。ソニアが入り浸っていることを自分から告げてどうするのだ? ということだ。
「ソニアが何かをしているのですか?」
しかし名前を出してしまったことで、ナンシーの目つきが厳しくなる。彼女はこの不可解な事態が、ソニアの手によって引き起こされたとすぐに結びつけたようだ。その推測は、事実そのものである。
「何もしてないよ。あれはソニアからプレゼントでもらったものさ」
それに対してラムリーザは嘘で答える。
「二十体以上もですか?」
しかしその数が、その嘘の正当性を吹き飛ばす。小さなクッションではない、一抱えするぐらいのクッションなのだ。二十体以上あること自体が異常だ。以上で異常となる。
「そうなのかなぁ……?」
だからラムリーザは、曖昧に答えるしかなかった。どのような理由を述べようと、同じクッションが大量に無造作に転がっている状況を、普通に取り繕うことは難しい。
そもそも整頓させることすらソニアは怒ってくるのだ。すべて「ぬいぐるみは整然と飾るの普通だけど、クッションを飾るのは変」の一言によって。
それならば、「同じクッションを二十体以上も集めるのは変ではないのか?」などと問い返すべきだ。
いや、実際に問い返している。その答えは常に「ユコはもっと持っている」の一言で一蹴であった。
何度かソニアの居ない時に、クッションのココちゃんをソニアの部屋に運び込んで並べたことがあった。しかしソニアが戻ってくると、ひとしきり文句を言った後、またラムリーザの部屋に運び込むだけであった。
「ひょっとして、ソニアはあなたの部屋に入り浸っていませんか?」
「それは気のせいですよ」
内心強い動揺を抱えながらも、ラムリーザは平然を装っていた。
「ソニアの部屋も掃除していますが、全然生活感を感じません」
「あいつはああ見えて質素であまりものを持たなくないんだよ。それに、高校生になって自分で掃除するってのに目覚めたんだよ」
ラムリーザは先ほどから嘘ばかり語っている。形勢は明らかに不利だが、誤魔化せられるうちは誤魔化そう。
「あなたの部屋のベッドの上に、ソニアの下着がありました」
「げほっ、ごほっ――!」
「部屋で一体何をしているのですか?」
ナンシーにじっと見つめられて、ラムリーザは開き直った。
「ああ、それ言ってやってくださいよ。ソニアの奴、僕を困らせようと下着を部屋に投げ込んでくるんですよ。それで僕が困惑すると、大笑いしているんだ」
開き直って、物語を創作することにした。元はと言えば、ソニアがココちゃんを大量に集めてラムリーザの部屋に詰め込むのが悪い。
ここはソニアにイタズラ坊主――いや、イタズラ娘になってもらおう。苦しい設定だが、ソニアに全責任を被ってもらおう。それしかない。他に方法が思いつかない。
しかし、そろそろ隠れて同棲するのも限界かもしれない。
去年は親戚の屋敷と言うことであまり干渉は無かったが、今年からは家族同居。八か月もの間バレなかったのが不思議なぐらい。いや、すでにバレていて泳がされていて、証拠を固められていただけなのかもしれない。
「まぁあの娘はゲーム好きですから、あなたの部屋に遊びに来るのでしょう」
「そうそれ、それで着替えてそのまま脱ぎ捨てて行くんだよ」
「そうですか」
「そうなのです」
どうやらこの場は、上手く乗り切られそうだ。しかし部屋に大量のココちゃんが転がっている限り、いずれはまた怪しまれても仕方がない。そろそろココちゃん問題を、真剣に考える時が来たのかもしれない。
しかしそれをソニアに述べたとしても、「クッションを問題扱いして真剣になるのはおかしい!」と返されるのが容易に浮かぶのであった。
「あ、ただいまぁ」
そこに場が悪いのか、運が悪いのか、ソニアが帰ってきた。
学校はソニアの方が先に出たのに、帰ってきたのはラムリーザが先。つまりソニアは、どこかで寄り道をしてきたということだ。およそ――いや間違いなく、ココちゃんマグマリョーメンを食べてきた。
事実、ソニアはココちゃんを抱えて帰ってきたのだ。つまり、これで二十二体目である。
「またそのぬいぐるみ……」
ナンシーは、ソニアに厳しい視線を向ける。
「ぬいぐるみじゃなくてクッション」
ラムリーザにとっては聞き飽きた文言。ココちゃんはぬいぐるみではないのだ、クッションなのだ。そこを間違えたら、ソニアは怒る。
しかし今日は、その言葉にいつもの力が無い。激辛リョーメンを食べてきたので、心身共に疲れ果てていた。
ソニアはナンシーの脇をふらふらと通り過ぎて、部屋へと向かって行った。その後ろをナンシーはついていく。ラムリーザは、まずいなと思いながら、二人の後をついていく。
果たしてソニアは、ラムリーザの部屋の扉に手をかける。
「あっ!」
ラムリーザは声を上げた。その声に驚いてか、ソニアは振り返る。そこでナンシーと目が会い、母親が自分の行動を監視しているとソニアは気がついた。
ソニアはすぐ隣にある自分の部屋へと飛び込んだ。そして、扉に耳を当てて、外の様子をうかがい続けるのであった。
「ふぅ……」
ラムリーザはひとまず安心して、自分の部屋に戻った。今日はナンシーも、一緒に付いて入ってきた。いつもと違って、やたらと食いついてくる日だ。
「変わったおもちゃがありますね」
ナンシーが指さしたのは、テーブルの上。そこには、ソニアが時々遊んでいるおもちゃ、アスレチックゲームだったかな? それが置いてあった。
「ユライカナン産のおもちゃを譲ってもらってね」
これは嘘ではない。スシ屋のツォーバーが、差し入れと称して譲ってくれたものだ。これをソニアは気に入ったようだった。
「そういうおもちゃが好きなのですか?」
ナンシーに問われて、仕方なくラムリーザは席についてアスレチックゲームを開始した。ビー玉サイズの鉄球を、スタート地点に置いて、橋渡りをするのだ。
「単純なおもちゃでいて、結構奥が深い。高度の柔軟性と、慎重な指先を求められるんだ。ただのおもちゃじゃないぞ」
それっぽく説明しながらカチャカチャ言わせながら玉を動かすが、うまく操れずに橋を行ったり来ているだけだ。ソニアは一応軽々とクリアできるのだから、たいしたものである。
「ぬいぐるみは一ヶ所にまとめておきました。いつも整頓しておいてくださいね」
見るとココちゃんは、部屋の一角に六体ずつ三列に重ねられている。十八体の同じクッション集団は、じっくり見てみると何だか少し怖い。残りの三体は、ソファーに二体、ベッドの上に一体転がっていた。それを見たラムリーザは、またソニアが怒るだろうなぁ、などと考えていた。そう考える時点で、ココちゃん絡みの状況が少し異常だと言える。
ラムリーザは、ナンシーの怪しむような目つきを感じながら、ひたすらアスレチックゲームに興じていた。そしてソニアがいつも愚痴っている鉄棒の橋渡りが難しいのだな、などと実感している。
その内ナンシーは、部屋を出ていった。
「ふいぃーっ……」
そこでようやくラムリーザは安心する。安心しながら、鉄棒の橋渡りに真剣に取り組むのであった。
そこに計ったようにソニアが入ってくる。彼女はじっと自室で聞き耳を立てていて、ナンシーがラムリーザの部屋から出ていって廊下を歩いていく音が遠ざかったのを見計らって、そっと自室から外を覗いていたのだ。
そしてナンシーが居ないのを確認してから、ラムリーザの部屋に移動した。その手には、しっかりと二十二体目のココちゃんが抱えられている。
「そろそろばれそうだ」
ラムリーザはソニアが入ってきたのを察して、おもちゃから目を離さずに、そうつぶやいた。
「一緒の部屋に居ることを認めてもらったらいいのに」
「それはたぶん許されるけど、夜は自分の部屋に戻れって絶対なるぞ」
「絶対ヤダ!」
「だよなぁ……」
ソニアは履いている靴下を脱ぎ捨てながらラムリーザの部屋をぐるりと眺め、ココちゃんが一ヶ所に固められて飾られているのに気がついて不機嫌な顔になってつぶやいた。
「クッションなのに」
「は?」
「飾られクッション」
なんだかごんにゃ店内で、そんな呼称をユコがつぶやいていたような気がする。
さらにベッドの上に転がっているココちゃんを見つけると、持って帰ったココちゃんを投げ捨ててベッドの方へと駆け寄る。そしてベットの上のココちゃんを抱えると、ラムリーザ目がけて投げつけた。
「なんね?」
「クッション規則、ココちゃん拡張版!」
「は?」
ソニアは整列している十八体のココちゃんの山を崩すと、その内の一つを抱えてラムリーザの方へ押し付けるように差し出しながら、大きな声を出す。声が出ると言うことは、激辛リョーメンのダメージも癒えたということか。
「第一条、ココちゃんはぬいぐるみじゃなくてクッションなのだから、常にクッションらしく振る舞うことを要求する」
「なんやそれ」
「黙ってて! 第二条、本件については他言無用とし、ソニア、ユコの当事者間においてのみ、本件に関連する発言を認めるものとする」
「今僕に話しているよね?」
「うるさいっ! 第三条、ココちゃんがぬいぐるみだと判断した場合においても、はげ坊主である限り、ぬいぐるみだとは認めない」
「別にぬいぐるみでもクッションでもいいよ」
「第四条、ラムリーザのココちゃんに対してのぬいぐるみ呼びを禁じる。ココちゃんを呼ぶときは、はげ坊主、もしくはクッションと呼ぶこと」
「何で僕の行動を制約する規則が入っているんだ?」
「第五条、人気投票において、ココちゃんではなくマサル・ゴジョーに入れること。ただし不正投票は行わず、一日一票ずつしか入れないこと」
「誰だよそいつは」
「第六条、ココちゃんはクッションだから、可愛がること、及び、飾ることを禁じる。ココちゃんの扱いは、クッションらしく下に敷くものとする」
「いや、部屋に無造作に転がっていたら邪魔だからね」
「第七条、今回の誓約に至る経緯については、全ての責任はソニアとユコが共同で引き受けることとし、ラムリーザが責任を感じることは、全面的に禁止する」
「僕に何の責任があるんだよ。――ってか、条約はどれだけあるのだ?」
「次が最後! 第八条、今回の誓約は、いついかなるときにも有効であり、これを復唱し、ココちゃんがぬいぐるみではなくクッションであることを、思い出すこと!」
実にどうでもいい誓約だ。要するに、ココちゃんはぬいぐるみじゃなくてクッションだということを、わざわざ八箇条もの誓約を作って長々と述べているだけだ。
ソニアはユコと相談して、この誓約を制定したのだという。ほんと、どうでもいい誓約だった。
ちなみに晩御飯時、珍しく米の料理が用意された。ユライカナンから伝わった穀物だが、今年収穫できたものを譲ってもらえたので、炊いてみたのだそうだ。
ソニアはリョーメンを食べてきたというのに、普通に「美味しい美味しい、お米って美味しいな」と食べている。
「食べ過ぎるとまたおっぱいが膨らむぞ」
思わずラムリーザは言ってしまい、ソニアには睨まれ、母親ソフィアや、妹のソフィリータからは変な目で見られるのであった。
そして寝る時は、ナンシーの追及を忘れて、今夜もラムリーザはソニアと一緒に寝るのであった。
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