祭の前夜
12月23日――
朝の登校時、ポッターズ・ブラフ駅から学校までの十数分の道のり。
「いよいよ明日だなぁ」
ジャンの言うように、降竜祭は明日と迫っていた。
最初の打ち合わせから二週間程度しか準備期間は無かったが、手際よく物事を決めていって、どうやら明日には間に合いそうであった。
「明日か、準備はできているのだろうな?」
ジャンが浮かれ気味なのを見て、リゲルは問う。
リゲルから見れば、降竜祭とかイベントはそれほど気にしないのだが、仲間が失敗するとなると、グループの参謀役として重用されている身としては気にせざるを得ない。
もっとも彼自身が、降竜祭の実行委員に名を連ねているわけではないので、気に病む必要は無いのだが。
「後は仕上げだけだな。今日は午前中短縮授業と終業式だけで終わるので、午後一杯賭けて飾り付けなどを済ませたら、心置きなく明日を迎えられる」
たとえば普段から体育館などがデコレーションされていたら授業に支障が出る。だから、飾り付けは大まかな設定だけを練り上げていて、最後の半日で設計図通りに一気に組み上げる方針だった。
「手伝おうか?」
「それは困る」
「は?」
ラムリーザは、最後の手伝いぐらいは力を貸してあげてもよいと思って手を差し伸べたが、ジャンはニヤリと笑ってその手を振り払ったのであった。手伝ってもらって困るというのは妙だが、要らないと言うならそうするのだ。
一方女子組。
「リリスお疲れ様ですの」
「疲れたわぁ」
「百歳の魔女はすぐに疲れる」
「実行委員として命令する。ソニアは明日の祭、参加禁止」
「なんでよ!」
なんともまぁ、いつも通りの実りのない会話でしたとさ。
教室でも、今日は降竜祭の噂で持ちきりだ。新しいイベントをいろいろと生み出してくれた生徒会長ユグドラシルは、割と生徒たちに人気があったのだった。
「ユグドラシル先輩、憧れるわぁ~ん」
「でもダメだよー、もうなんか彼女いるみたい」
「去年までさえない感じでフリーだったのに、今年凄いなぁと思ったらもう相手いて、だれよー」
「ラムリーザの妹らしいよ」
「ちょっとラムリーザ!」
「なんね」
ラムリーザは、変なところからクラスメイトの女子から非難を浴びることとなった。彼女らが言うには、妹がユグドラシル先輩と引っ付いてしまったのはラムリーザのせいらしい。
「知らんがな」
「何よ取られんぼ! ラムは悪くない!」
「あーっ、言ったなこの乳魔人!」
横から援護射撃をしたソニアに矛先が向いたようなので、ラムリーザはこれ幸いと口論から抜け出すのであった。
予定通り、午前中は短縮授業で昼食前に学校は終わり。降竜祭の実行委員以外は、今日は自由となったのである。
「そう言えば明日はソニアの誕生日ですのね」
「ユッコ、プレゼント頂戴」
「七色雑草セットをあげましょうか?」
「そんなの要らない。ココちゃんを二十個頂戴」
「駄目ですの!」
そんな話題が挙がったので、昼食はごんにゃにという話になった――が、「クッパの騒動」の日に、ソニアはキャンペーンの終了を確認していた。
こうなれば二人は気落ちするもの。今日はもう家に帰ってご飯食べようという話になったのだ。
「あーあ、三十四個で打ち止めかぁ」
ユコは、残念そうにつぶやく。
「ひどい、なんでそんなに?! あたしまだ二十三個しかないのに!」
「いや、十分すぎるよ」
思わずラムリーザは突っ込みを入れる。抱えるほどの大きさがあるクッションが二十個以上あって邪魔だなと思っているのはラムリーザだけ。
クッションだからと言って、整頓すらさせてもらえないのだから、さらに困る。
「「足りない!」」
しかし二人は声を合わせて反論した。
「なんでやねん……」
これにはラムリーザもドン引きするしかなかった。
一方降竜祭実行委員。
しかし、ここでどうやら予想していなかったトラブルが発生したようだった。
今日の午後から行われる最後の集まり。しかしその場に現れたのは、ジャンとリリス、そして生徒会長のユグドラシルの三人だけだった。
「えっ? どうなってんの? 他のみんなは?」
ジャンは、大袈裟に驚いたような声でユグドラシルに詰め寄る。
「げふっ、ごほっ、ジャン君も近寄らない方が良い。自分を含め、他の実行委員みんな、コリーウォブル病でダウンしてしまったんだ。自分もこのことを伝えるために、なんとか放課後まで残っていたけど、もうダメだぁ」
ユグドラシルも、多少大袈裟に苦しそうにしてみせる。
「あれあれ、それはいかん。実にいかん」
ジャンの台詞は若干棒気味だが、突然のトラブルに動揺してしまったのだろう。
「油断してた――。自分はもうダメだ、後は任せる。君たちのやりたいようにやってくれ」
「どうなるんだよ、中止?」
「どうやら実行委員で健在なのは君たちだけだ。二人で考えてやってくれ、全ての責任は自分が取るから」
ユグドラシルはそう言い残すと、ごほごほと咳をしながらフラフラと頼りない足取りで、実行委員の会議室から出ていった。
残されたのは、呆然としているジャンとリリスの二人だけだ。
「どうしたの? ジャン、中止になるのかしら?」
リリスは、眉をひそめてジャンを見つめている。ジャンはリリスの視線に気がついて、その瞳を見つめながら言った。
「どうしよっか?」
「う~ん……」
ジャンは、腕組みをしたまま考え込んでいる。
「無理でしょ? 逃げようよ、どうせ会長が責任を取るんだから、私たちは関係ないわ」
「折角ここまでやったのに、逃げていいのか?」
「私には無理よ。そうだわ、明日から冬休みだから、久しぶりに帝都にあるジャンの本店に行ってみたいわ。ほら、去年は本店でソニアが馬鹿踊りしたじゃないのよ」
リリスは少し声が上ずっている。どう考えても、二人だけで明日の朝までに準備を終えるのは不可能に見えた。
「ほらほら、なんだったら海水浴にでも行きましょうよ」
ジャンは、すっかり動揺してこの冬空の中海へ泳ぎに行こうというリリスをじっと見つめていた。
「私は落とし穴に入っても――ああそうだ、マインビルダーズ一緒にやりましょうよ。ジャンもアカウント作って。ラムリーザたちと創ったワールドが残っているわ」
「それでいいのか?」
ジャンは静かに、そしてリリスを落ち着かせるように言った。
「えっと――」
「今が午後の一時、明日の開幕午前九時までまだ二十時間もあるぞ」
「そんな、徹夜だなんて」
「去年の春、俺の所に来る前日まで、ネットゲームを徹夜で数時間やってたんじゃないのか?」
「ちょっ、まっ――」
「今年の春先には、投稿した動画を一晩中自己クリックしていたことあるんだろ」
「わっ、私帰るっ!」
恥ずかしそうに真っ赤な顔をして逃げ出そうとしたリリスを、ジャンは後ろから抱きついてから優しく語りかけた。
「俺は何事にも手を抜かないそんなひたむきなお前が好きなんだよ。二人で残り二十時間、やってみようじゃないか」
リリスは何も答えなかった。しかし、もう逃げ帰ろうとはしなかった。
「やってみようぜ!」
ジャンはリリスをぐるりと回して正面を向かせると、そのまま両手で挟むように肩を掴んだまま、力強く言ってみせるのだった。
「わかったわ、やってみましょう」
リリスはそう答えた。しかし、あまり声に力は入っていなかった。
ジャンはまずは折り畳みの長机などの重たいものを、体育館や運動場に並べる作業を共同で行った。
リリスが疲れると、今度はパイプ椅子などの一人で運べるものをジャンは運び始める。
その間、リリスは折り紙の輪やペーパーフラワーなどの飾り付けに使う小道具を作成するといった軽い仕事に取り掛かる。
最初は不安そうな、そしてめんどくさそうな顔をしていたリリスだが、二度目の机運びの時には、いつもの表情を取り戻していた。
ジャンもリリスも、ずっと働きづめだった。本来なら十人以上は居る実行委員。そのメンバーで協力して準備するところを、たった二人でやっているのだ。
しかしあえてジャンは、ラムリーザたちに救援を求めない。それは、リリスと二人きりを楽しんでいるようにも見えた。
「ねぇ、ラムリーザを呼びましょうよ」
「俺はラムリィたちには、明日を楽しんでもらいたいんだよね。だから、これは俺とお前の仕事だ」
「そうなるのね」
「さて、本題に入るぞ。運動場でのステージ作成だ」
「ふえー」
「へー、リリスもふえぇって言うんだな」
「ちっ、ちがうわ。ふえーって言ったの。ふえぇちゃんのふえぇとは違うわ」
微妙な響きの違い以外は、誰にも分からない。
「さてと、この放送機材は流石に持ち運べないな。台車で運ぶぞ」
ジャンは用具入れから二台の台車を引っ張った。そして大きなスピーカーを上に乗せる。リリスの方には、スピーカーでは重すぎるので、アンプの類を乗せていた。
「それじゃあどっちが早く運べるか競争よ」
「あまり揺らすなよ、機械だから壊れるぞ」
「あれ、このレコードプレーヤー、故障中って書いてあるわ」
「ん~、文化祭の後夜祭パーティで生演奏だったのはそのためか」
二人はゴロゴロと台車を転がして、運動場の一角へと機材を運び込んでいた。当日はこの辺りが本部席となり、司会進行を行うことになっている。
この分だと、その仕事も二人で担当しなければならないようだ。
「コリーウォブル病って何かしらね」
少し荒い息を吐きながら、リリスは尋ねた。
「要は風邪だろう。帝国もこの時期は少し肌寒くなるから、リリスも風邪には気を付けろよ」
「大丈夫よ、馬鹿は風邪を引かないっていうから」
「それってお前――」
「あっ――」
リリスは、自分で言ってから、自分で馬鹿だと宣言してしまったのに気がついたようだ。こんなところが、根本的にはソニアと変わらないと言われる所以である。
ジャンがステージの建設をしている間、リリスは放送機材のケーブルを繋いだりしている。こんな所でゲーム好きであるリリスが役に立った。リリスは自分でゲーム機などのケーブルを接続するのには慣れっこなのだ。
ジャンが土台を並べている時に、ふいに左右に設置されているスピーカーからブツッて音がした。続いて、「よろしいですわね、お楽しみがいろいろあって――」などと色気を含んだ声が、運動場に響き渡った。
「ひょえ~、ゾクゾクするぜ。その色気はソニアには辿りつけない秘境だわな」
リリスは面白がって、マイクテストを続けていた。
「ふえぇプロレスを開催します。青コーナーより、青春のエスペランサ、ジャン・エプスタインの入場です!」
「じゃんじゃじゃーん! ぽんたかみんぱーおにばろむりこんぱっぱらぱっぱっぱー」
ジャンは入場テーマを適当に口ずさみながら、ガタンガタンと次々にステージとなる土台を並べていった。
「赤コーナーより、竜の爪ドラゴンクロー、ラムリーザ・フォレスターの入場です!」
「いきなりメインエベントかよ」
こうして、ユグドラシルの残した設計書の通り、ステージと放送席が完成した。その頃にはすでに日は傾いて、地平線の彼方に浮かんでいた。
「さて、次は体育館のパイプ椅子並べ――の前に、夕飯にしようか」
「私、ちょっと近所の雑貨屋で弁当買ってくるわ」
「うん、頼むよ」
ジャンは、一人ステージの上で大の字になって寝転がった。青春のエスペランサも、一人でステージ作成は流石に堪えていた。それでも、ジャンの表情は「しめしめ」といった感じであった。
「リリスが自分から弁当買い出しを引き受けてくれたな」
ジャンの記憶では、これまでにリリスが自発的に何かをやってくれるというものは無かった。それが、今こうしてジャンのために動いてくれている。
今日もリリスは最初は無理だろうと諦めたような表情で渋々ジャンに付き合っていたのだが、そのうち生き生きとした表情になって準備を楽しんでいた。
「ふっふっ、根暗吸血鬼だか何だか知らんが、環境が彼女を根暗にさせていたんだよ。環境さえ変われば、人は変われるのさ」
しばらくして、リリスは戻ってきた。両手でバケツのようなものを抱えて。
ジャンは、弁当を買ってくると言ったのに、リリスは何を買ってきたのだ? と考えた。しかも一つだけ。自分のものしか買ってこなかったのだろうか?
「ジャン、お待たせ」
「それ何だよ」
「鶏の肉よ」
「んんん?」
バケツの蓋を開けると、中にはどっさりと揚げた鶏肉が入っていた。
「レイチャッキー・タンドリーチキンよ。二人前でよかったけど、今日は疲れているから三人前買ってきちゃったわ。でもまだ作業は続くのでしょう? 時々つまみながら作業続けましょ」
「なるほどね」
意識は変わっても習性は変えらないのか。リリスは人のために動いたが、その内容は自分一人のことの延長線であった。おそらく普段からも、こんな鶏肉をつまみながらゲームしているのだろう。
「飲み物は?」
そこでジャンは、リリスがこれしか買ってこなかったのに気がついた。
「あそこに水飲み場があるじゃないの?」
「んんん?」
ジャンはこれまではリリスとの行動で常に主導権を握っていた。というより、握って行動しないとリリスは基本的に籠っている。これからは、リリス主導権のやり方にも慣れていかねばならぬ、と深く考えるのであった。
日は沈んだが、作業は終わらない。
周囲が暗くなったので、最後に校庭ステージの照明テストをしてから、次は体育館へと向かった。日中ジャンが運び込んだ全校生徒分のパイプ椅子を、今度は整然と並べなければならないのだ。この作業はめんどくさいがそれほど力は要らないので、二人で協力して行っていた。
「この椅子で相手を攻撃するのもプロレスなんだよなぁ」
「それって反則攻撃じゃないのかしら?」
「反則も五秒間はやっていいんだよ」
「あなた、悪人なのね」
「リリス、ちょっといいかな」
雑談しながらパイプ椅子を並べていたところ、ジャンはふいにリリスを呼び止める。そしてすぐに、リリスに椅子を手渡してしまった。
「これがどうかしたのかしら?」
「1、2、3、4、5! よっしゃー、リリスの反則負け」
「なによそれ?」
「ふっふっふっ、今考案した技だ。相手に椅子を押し付けて、その隙に5カウント数えてもらって反則技に追い込む作戦だ」
「ずるい人ね、くすっ」
それでもリリスには受けたようで、小さく笑うとそのパイプ椅子も並べるのだった。
パイプ椅子を並べ終わったとき、もうすでに夜の八時を過ぎようとしていた。
大がかりな準備は終わったが、まだやることは残っている。ゲートや壁の飾り付けなど、リリスの作った小物を要所要所に設置する作業であった。
終わるころには夜の十時を過ぎていたが、二人とも夜には強いタイプだったので、それほど苦にはしていなかった。
………
……
…
「全部終わったー!」
「ふえぇー」
「なんだよリリス、ソニアみたいなこと言って。今のはふえーじゃなくてふえぇになっていたぞ」
「いいじゃないのよ」
「いいのか? ふえぇちゃんで」
「別に私はおっぱい揉まれても、ふえぇとは言わないわ」
三日月形に欠けた月を天頂方向に、半分欠けた月を西の空に見ながら、二人は運動場と校舎の境目にある土手で、大の字になって倒れこんでいた。
もともと二十人ぐらいのメンバーで、いつもの下校時間までに終わらせる予定であったが、それをなんとか二人だけで日付が変わってしばらくするぐらいの時間をかけてやり遂げたのであった。
「俺と、そしてリリス、お前と二人だけでやり遂げた。これは、俺たちの作り上げた祭りだぞ」
「私が、やり遂げたの?」
「そうだよ、すごいじゃないか。さすが徹夜のプロ、リリスもやればできるんだなー」
「あっ、当り前よっ、ソニア何かには負けない」
「ふふっ」
ジャンは、月明かりに照らされるリリスの横顔を見て、自分の狙い通りに事が進んでいることを実感していた。
リリスの表情は、暗く陰湿なものではない。一つのことをやり遂げた、清々しい顔つきになっていた。
それはもう根暗吸血鬼ではなく、任務を全うできた立派な一人の女、正真正銘妖艶なる黒髪の魔女――いや、美女だった。
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